落ち着くために歩いてるのに、整理どころか散らかっていく
『死にゆく者の祈り』中山七里/Audible
一日を片付けるために歩いていたはずが、逆に散らかっていく本。
帰り道を、わざと遠回りして歩いている。仕事終わりに体を動かすと頭の中が整理されるからで、これはもう何年も続けている習慣だった。
ところが最近、整理されない。歩いても歩いても片付かない。むしろ散らかっていく。中山七里にハマってからだ。
いま耳の中にあるのは『死にゆく者の祈り』。死刑囚の心に寄り添う教誨師が主人公、とだけ言っておく。その人が拘置所で向き合うことになった死刑囚が、かつて自分の命を救ってくれた旧友だった——設定をここまで聞いただけで、もう坂を上る足が止まりそうになる。会いに行った先に、恩人が死刑囚として座っている。それだけで、こちらの胸がざわつく。
しかも執行の刻は、待ってくれない。聴いているこちらにまで、締め切りの息苦しさが伝染してくる。落ち着いたと思った角を曲がると、次の角でぜんぶひっくり返っている。さっきまで信じていた構図が、坂を一本上りきる間に崩れていく。
歩きながら、自分が誰を疑っているのか分からなくなる。
電車に乗っても止まらない。座って、ただ揺られて聴いているだけなのに、心臓だけ妙に忙しい。誰が嘘をついているのか、そもそも嘘なのか。中山七里の物語は、こちらが安心しかけた瞬間を狙って足をすくう。気づいたら、降りる駅をひとつ乗り過ごしかけていた。あわてて立ち上がって、ホームに降りる。
ホームの風で少し我に返る。けれど真相はまだ見えない。じらされている。あの友が本当は何をしたのか、何を護ろうとしているのか、書けるところまで、まだ私自身がたどり着いていない。
それでいい。たどり着きたくて、また歩くのだから。
電車を降りて、家までの最後の坂を上る。続きが気になって、玄関の前で少し立ち止まった。物語が終わるのが惜しいような、早く真相が知りたいような、どっちつかずの気持ちのまま、イヤホンを外した。
明日もたぶん、わざと遠回りして帰る

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