#8-5 イオのシステム・フェイラー|追憶のオリジン~氷の女王の眠る街

【前回までの話】
氷山内部の広大な螺旋階段を下りる一行。空洞から湧き上がる靄(もや)の中、一本道のはずが、なぜか同じ場所をループしていることに気がつく。異変を確かめるため、レイとイオの二人が上階の調査に向かうが、時空の歪みによってそれぞれのバランスが徐々に崩れていく……。
第5話 イオのシステム・フェイラー
イオの視点
時間は少し遡る。
*
一行は五人で氷山内部の階段を降りていた。
先頭のレイの歩みが止まる。
最後方のイオは、階段をもう一段降りて止まった。
「同じ場所に、戻っている……」
「イオ、計算して」
レイの声が飛ぶ。いつもより一拍早い。
「はい」
イオは求められた計算を始めた。
…おかしい。
通常なら、視覚情報と平衡感覚、そして脳内地図が一致し、「一階分、高度が下がった」と処理されるはずだった。
ここまでは暫定的にも演算できていた。
しかし目の前にあるのは、数刻前に踏みしめたはずの、あの歪な形の氷だ。
明らかなバグだ。
「……ここの時間は特殊に流れているようです。食事や排泄が必要ないのも、そのためと考えられます。
基準点が、ずれています」
通常なら、コンマ数秒で正確な座標を導き出せるはずの問い。
だが、今のイオにできるのは、辛うじて絞り出した「分析」という名の防衛だけだった。
(……現在地……)
イオの脳内で、方位磁針が狂ったように回転し、グリッド線が断裂する。
1+1が、どうしても2にならない。
(エラー。……再試行……エラー……)
位置計算の基準時間すら乱れている。
氷山の門を抜けた登りの時点から続いていた仮演算は、とうに許容オーバーしていた。
補正を試みるたびに、視界は深い霧に包まれていった。
(……無駄だ。今は、計算を捨てろ)
イオは決断する。
「私が行きましょう」
論理的な思考、周囲への気遣い、気の利いた言葉。それらすべてを「不要なプロセス」として強制終了させた。
セーフモード、発動。
そして、この混乱の中で最も安定した「信頼できる定点」であるレイを選び、同伴を申し出た。
「リスク回避です」
引き留めようとするルリに、そう告げた。
荷物を、極限まで軽くする。
*
時空の歪みは、彼の誇りであった「合理性」という基盤を、音を立てて削り取っていく。論理が繋がらない。
自分がどこにいて、どこへ向かっているのかさえ、靄の向こうに消えていく。
視界の端では、絶え間なく警告メッセージが明滅していた。
レイはイオの混乱など知る由もなく、確実な一歩を進む。
その冷静で規則的な動作だけが、今のイオにとって唯一の真実だった。
(この定点を、演算のアンカーにする)
二人は螺旋階段の一階上まで大きな壁際を登っていく。レイがつけた印を確かめるためだ。
「イオ、ここまでは異変はなかったよね?」
「…ハイ」
イオの抑揚のない、無機質な音声に、レイが眉を寄せた。
「どうした?」
「イイエ……次は、どちら、へ?」
声のボリュームは極限まで抑えられ、かすかに震えているようにも聞こえた。
仮面の奥の光が、省エネモードへと暗く沈んでいく。
一部機能をシャットダウンしたはずなのに、ノイズが止まらない。
間違った答えを出して、仲間を全滅させるリスク。かといって、答えを出せずに「役立たず」になる恐怖。
回路が焼き切れるような勢いで「正しいはずのデータ」を探し続け、その果てに辿り着いた、自分なりの着地点。
(分かりません、とは言えない。けれど、いい加減な「憶測」を口にすることも許可できない)
彼は必然的に沈黙を選んだ。
レイの傍らで、余計な出力をすべて断ち切ることに、彼は全リソースを注ぎ込んでいた。
(つづく)


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