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デヴィッド・R・ホーキンズ著『「手放し」のすすめ ―明け渡しの道―』について

手放し、そして神に委ねなさい
静かにし、私が神であることを知りなさい
自らの人生と意志を、自らが理解している神の配慮に委ねなさい
あるがままに明け渡しなさい、なぜなら神はすべての中に宿るのだから

デヴィッド・R・ホーキンズ『「手放し」のすすめ ―明け渡しの道―』

「静かにし、私が神であることを知りなさい」はジョセフ・ベナーがインパーソナルライフで引用していた「静まって、わたしこそ神であることを知りなさい」と同じですね。聖書からの引用でしょうか?


葉桜が桜餅にしか見えない件

今年の桜はすこし早かったんでしょうか。昨年の4月6日に書いた記事にはちょうど桜が満開だと書いてあるんですが、今年はもう場所によってはあちこち桜餅だらけになっています。Wikipedia で知ったのですが、桜餅には関東風と関西風の二種類があるそうです。関東風のものは食べたことも見たこともないのですが、生きているうちに一度はいただいてみたいものです。歳とともに和菓子の美味しさや美しさ、奥深さに魅せられるようになってきましたが、高級和菓子だけでなく普通の桜餅とかおはぎとか羊羹も美味しいですよね。あんこ最強かよ、と言わないわけにはいきません。


『「手放し」のすすめ ―明け渡しの道―』を読みました

さて、読者様に贈っていただいたホーキンズ博士の『「手放し」のすすめ ―明け渡しの道―』を読み終えることができました。本当に素晴らしい内容で、最低でもあと5回は読み直したいと思いました。贈っていただいてありがとうございました😊 すでに10枚以上付箋を貼っていますが、個別の内容を引用することは記事を改めてにしたいと思います。今後いくつかのシリーズとして取り上げて行く予定です。今回は手放しについてのあれやこれやについて概観してみようと思います。


手放しとは?

さてそもそもですが、手放しとはなんでしょうか? いったい何を手放すのでしょうか? それはネガティブな感情です。博士によれば、たった一つのネガティブな感情が時には無数のネガティブな思考を生み出しているそうです。ポイントは感情が思考に先立つということです。ですから、ネガティブな感情を手放すことができれば、その感情に紐づいている無数の思考をも手放すことができるわけです。頭の中が思考だらけでしんどいと困っている人は多いですが、そこでまずはよく見てください。その思考はすべてネガティブなものではありませんか? ポジティブで統合的な思考が頭の中を占有したとして、誰が困るでしょうか? そういうことです。

それで、じゃあ手放しって具体的になにをすることなの? ということになるわけですが、まず、手放すとは感情を受容することです。受容とは、あるがままに見ることです。あるがままに見ることと肯定することは違います。もちろん、否定することとも違います。その感情についてなにもコメントしない。コメントした瞬間からそれは感情についての思考になってしまいます。

ですから、コメントせずに感情をただありのままに眺めるのです。そうすると、そこで感情との一体化が解体されます。その瞬間、感情は個人的なものではなく、ただそこにあるものだということが理解されます。そのように理解できたとき、その感情をもはや選ばない(自分のものにしない)という選択が可能となります。これが手放しです。ネガティブな思考についても、同じように手放すことができます。やってくる思考を止めることはできませんが、それと一体化しなければ問題になりませんし、一体化されなかった思考はそのままエネルギーを失っていきます。とはいえ、そういう厄介な思考に一つ一つアプローチしていっても、それらを生み出している大元の感情を手放さずにいるのなら、似たような思考がまた次々と生まれてきてしまいます。

手放しを実践する上で、最初にやるべきは「手放すことへの抵抗を手放すこと」です。すべてのネガティブな感情には、実はその感情と一体化することによって得られる報酬があります。分かりやすい例でいうと「恐れ」を持っていることで「行動しなくて済みます」。あるいは「人を見下す(プライド)」ことによって「自分は正しい(あるいは偉い)と感じられます」。

あえて書くまでもないことですが、恐れから行動しないよりも、「勇気」を出して行動するほうがよい結果を生むに決まっていますし、人を見下すよりもリスペクトを持って接するほうが結果として自分自身も尊重されます。そんなことは誰にでも分かるはずなのですが、ネガティブな感情によって生み出された無数のネガティブな思考のせいで、この単純明快な道理が分からなくなってしまうのです。それがエゴの生存戦略です。

このエゴの生存戦略によって、ネガティブな感情を手放すこと、ポジティブな感情を選ぶことのいずれにも抵抗が生じています。ですから、まずこの抵抗を手放すことから取り組んでみましょう。

さて、"手放しのやり方" というのは、すでに上に書いた通りです。これだけ読んで、「なるほどわかった!よし、やってみよう!」ってなる人は、おそらく手放しということを意識せずに、上に書いたことを実践してきているのだと思いますが、ほとんどの人は「それで?」と思っているはずです。それで、具体的にはどうやるの? というわけです。いやでも、具体的なやり方はすでに言いましたよね。つまり、そういうことです。ホーキンズ博士の教える「手放し」とは単なるテクニックではないのです。

わたしが上に書いたことは、手放しが行われるときにどのようなプロセスが起きているかを外形的に説明したものです。ですから、実はこれはほんとうの意味での具体的なやり方の説明ではありませんでした。それはそうですよ。だってホーキンズ博士が手放しを伝えるために『「手放し」のすすめ ―明け渡しの道―』という本を書いたということは、この本の丸々一冊すべての内容が手放しとはなにで、それをどうやるかについての解説であるわけです。ですから、その内容を凝縮してエッセンスにして伝えることはできないのです。

世の中には、ここだけ読めばいいとか、これだけ知れば十分という感じで消費できてしまう本が少なくはないです。むしろ多いかもしれません。ちなみに、そういう本を馬鹿にしているわけではありません。極論をいえば辞書や辞典なんてそもそも全部通して読む人はまずいないわけで、そういう本はそういう機能を果たしているのだということです。しかしながら、『「手放し」のすすめ ―明け渡しの道―』はそういう本ではありません。この本では、書いてあることのすべてが同じ一つのこと(つまり、感情を手放すということ)について様々な視点やシチュエーション、つまり異なる文脈にあわせて説明されているのですが、それらのすべてを読んでいくことによって、ようやく血の通った「手放し」が読者の前に姿を現してくれるのです。

というわけで、わたしから言えることのすべては「とにかく何回も読みましょう」の一言に尽きるわけなのですが、それだけではなんなので、これを読んでくださっている方に「じゃあ、とりあえず一回は読んでみるか」と思ってもらえるように、手放しについての余談をいくつかと、わたし自身の人生で起きた手放しのプロセスについて書いていきたいと思います。


うまく手放すための補助的なツール①(親切にすること)

手放しそのものが理解してみればとてもシンプルで簡単なものなのですが、とはいえ上に書いたようにネガティブな感情にはそれ自体に「手放すことに抵抗してしまう」という困った性質があります。

そこで、というかこれは普段からわたしが勧めていることなんですが「親切にする」ということにも、手放しをやりやすくする効果があります。ホーキンズ博士による徳目のリストによれば「親切を態度に表す(Nice)」ことはLOC255で測定されるとあります。

ネガティブな感情と思考に囚われて他者に親切に出来ないことは往々にしてあります(というより、親切にしない理由はネガティブな感情と思考以外にありません)が、親切にすることを取り組むべきミッションとして実践するなら、それはそのネガティブな感情と思考を手放すと同時に、ポジティブな感情を動機とする行動への抵抗をも手放すことになります。いきなりネガティブな感情を直視することが難しい状態でも、「内心ではイヤイヤだけど親切に振る舞ってみる」程度のことならできる場合が多いはずです。だって親切にするだけですから。頭の中では「なんでこんなことせなあかんねん」と思っていてもいいんです。

面白いことに、「親切な自分でいること」はエゴにとっては報酬になるのです。これがミソで、やりはじめるとすぐに「イヤイヤ」から「まんざらでもない」に変わっていきます。もっとも、エゴに報酬を与えるということは、そこに変なプライドが生じるリスクもあります。ですが、そのリスクよりも実際に親切な人になることの恩恵のほうが遥かに大きいです。いったん親切にすることがその人の習性として根づけば、それだけでインテグリティは高まり、他の根深いネガティブな感情と向き合うことへの心理的なハードルはかなり下がっていくはずです。

誰にでも親切に接しましょう。この人には親切にしたくないな、と感じることがあったら、あなたはその人のような態度や言動をしないようにしましょう。あなた自身が「この人には親切にしてあげたい」と人から思われるようになりましょう。そして実際に誰かから親切にされたら「ありがとう」と感謝を伝えましょう。

親切な人になるためのインストラクションです


うまく手放すための補助的なツール②(TFT 思考場療法)

TFT(思考場療法)は東洋医学における経絡上にあるツボ(経穴)を指で軽くたたく(タッピング)することによって、恐怖症やトラウマ、不安、依存症や肉体の痛み(疼痛)などなど、およそあらゆる心身のストレス症状を改善できる画期的なテクニックです。

from:@merciful TFT

TFTに言及しているnote記事はこの文字列をnoteの検索窓に入れると一覧できます

詳しくは上の in SPIRE の記事を読んでいただくとよいのですが、わたし自身、TFTの初級セラピストの資格をとっています。もっとも、ほぼほぼセルフケアにしか使っていませんが、個人的にはものすごく効果がありました。わたしには恐怖症やトラウマはありませんでしたし、深刻な依存症はあったのですが、これは TFT にであう前にすでに克服できていました。わたしが TFT の恩恵に与ったのは「怒り(イライラも含む)」と「過去に自分がしたひどい行いへの罪悪感」の克服においてでした。これについてはまたあとで触れます。

TFT は公的にきちんと学ぶことができる技術なので、わたしはこうして時折勧めるだけで内容について詳しくは書かない(わたしには書く資格がありません)のですが、いまでも読者のみなさんには TFT は絶対に知って身につけてほしいと思っています。

ピークエクスペリエンスについて

TFT にはピークエクスペリエンスという概念があります。これはいわゆる至高体験と呼ばれるものとは別のものです。TFTの施術によって苦痛が減少しても、脳がそのことを「元々そんな苦痛などなかった」と勘違いしてしまい、施術の効果を否定することによって症状が元に戻ってしまうということを指します。これは今のわたしの理解でいえば「左脳(インタープリター)がTFTという通常の理屈では理解できないテクニックによって治癒したことを受け入れられず、もっともらしい解釈を捏造する」ことによって、エゴの生存戦略を強化しているという事象だと思います。

これに対して、TFT では施術前の苦痛と施術後の苦痛をそれぞれ10段階で評価し、客観的なデータとして記録することを推奨しています。なぜこのことに触れているかというと、実は『「手放し」のすすめ ―明け渡しの道―』の17章「変容」の冒頭のところ(315~316ページ)でホーキンズ博士も同様のことが手放しについても起こり得ると書いていて、目標のリストを作成し、達成された変化を記録することを勧めているからです。


うまく手放すための補助的なツール③(リマインダーの活用)

リマインダーとは「それを見れば思い出す」ように設定するモノや仕掛けのことです。上の記事ではざっくりと「気づき」そのものを思い出すという文脈で紹介していますが、手放しに活用するためにリマインダーを「それを見た瞬間の "感情" を調べる」ために設定してみましょう。

わたしはヘアゴムを推奨していますが、まあ肌身離さず持ち歩いているようなモノならなんでも構わないと思います。仮にヘアゴムを常に手首につけるようにして、それをリマインダーとすることにします。そうすると一日にすくなくとも数回はヘアゴムを目にするはずですが、そのたびに「いまどんな感情を抱いているだろうか?」と自分に問うてみてください。ネガティブな感情がそこにあれば、可能ならその場で手放しを行ってください。様々な理由で即時対応できないときは、その感情をメモっておいて、あとで思い出して処理するようにすればいいです。

このリマインダーについても、『「手放し」のすすめ ―明け渡しの道―』のなかで博士も紹介していましたが、付箋を貼り忘れていて、どのページだったかいますぐ分かりません。でもやり方はこの通りですので問題はないでしょう。リマインダーを使うことによって感情に気づく機会が増え、必然的に手放しが加速するはずです。また、リマインダーを様々に活用していく(ヘアゴムだけでなく他のものにも設定していく)ことによって、次第にリマインダーなしでも感情に気づくことが容易になっていきます。最終的には気づかないことがなくなります。この状態はLOC500以上を示唆します。


わたし自身に起きた手放しのプロセス

最後に、わたし自身が経験してきた手放しのプロセスについて書いてみます。わたしはホーキンズ博士の教える手放しはこの本を読んで初めて知ったのですが、読みながら自分自身のこれまでを振り返ってみると、そこで数え切れないほどたくさんの手放しが行われてきた(起こってきた)ことが思い出されました。

先にも触れたように、意識の目覚めのプロセスにおいてわたしにとって取り組むべき課題として現れたのは「怒り(イライラ)」と「罪悪感」でしたが、遡るとその前には「プライド」がありました。わたしの意識が変容しはじめたのは、すでに何度か書いていますが、父親が急死したときでした。その時点で薬物とギャンブルにひどく依存しており、仕事もだんだん無茶苦茶になってきていましたし、なにより父親との関係が最悪な状態になっていたのですが、人生がここまでひどいことになっていた原因はというと、一言でいうならそれはわたしの「プライド」のせいでした。

父親が亡くなったときに意識が急に拡大する経験をしたのですが、そのときに自分の心つまりエゴの全貌を生まれて初めて直視しました。正確には直視しようと試みてそうなったのではなく、「直視するという事態」が勝手に起こったのです。細かいことまですべて覚えているわけではないのですが、端的にいうと、そのときにわたしは

「いままで自分は偉い、賢い、強い、すごいと思って生きてきたけど、実際はぜんぜん偉くなかったし、本当に賢かったらこんなことにはなってないし、強くなかったからここまで絶望してるんやし、すごいというのはある意味そうやけど、それはすごいアカンなという意味であって……」

というようなことを思考ではなく直感する形で理解したのでした。これがわたしの人生で起きた最初の「手放し」あるいは「明け渡し」でした。手放したのは言うまでもなく「プライド」です。

プライドを手放してどうなったかというと、自分ですぐに分かったのは「ルール的なものを破れなくなった」というものです。いま思うととても奇妙な状態ではありましたが、車も人もいないような小さい赤信号を無視することができなくなったり、当時は漫画やアニメを海賊版で入手していたのですが、これも出来なくなり、きちんと買うなり課金するなりするようになりました。他にも色々どうでもいいようなことまで破れなくなりました。同時に、それまではあらゆることについて傲慢にも「自分はルールなど守らなくてもよい。それが許される人間だから」と思っていたことに気づきました。思えば違法薬物に手を出せたのも、そういうところが関係していたかもしれません。

また、ちょっとした親切ができるようになりました。他には、鉢植えの植物をベランダで世話しはじめました。これらもプライドを明け渡したことから起きてきたことだと思います。ただし、そのうち別の問題が浮上してきました。それが「怒り」です。

具体的には、自分がルールを守る人間になった反動で、「ちゃんとしてない人」への怒りが噴出するようになったのでした。家の近所の公園で当時、軽いジョギングやエクササイズをしていたのですが、その公園内では犬の散歩は必ずリードをする決まりになっていました。しかし、リードを外して犬を自由にさせている飼い主がちょくちょくいて、そういう人と口論になることが何度かありました。あるいは郵便局に行ったときに局員の方の不手際に激しくキレたこともあります。ちなみに家庭では母とずっと同居ですが、幸いというかありがたいことに母とは生まれてこの方ずっと仲がよく、それでも時々はちょっとした感情の行き違いはありましたけど、この時期に母に対して怒りをぶつけることはありませんでした。これはいま考えると一つの恩寵でした。

さて、こうして怒りをぶちまけることを繰り返しているうちに、その最中に「あっ、ワシいまめっちゃ怒っとんな。激おこやんか」という考えが浮かんでくるようになりました。すると、怒っている自分がとても滑稽に思えてきて、実際に怒りながらちょっと笑ってしまうようなキモいムーブをしたこともありましたが、だんだん怒ることそのものが少なくなってきました。とはいえ、これはおよそ3年くらいにわたって起きた変化で、急にそうなって怒らなくなったわけではありません。

この頃、そうしたことと相前後してマッサージの仕事をしはじめていたのですが、すぐに直面することになったのは「プライドの残り火」でした。マッサージという仕事は一種のヒーリングですが、わたしが9年ほどやって分かったのは「癒やしてやる、のではなく、癒やさせていただく」のがヒーリングの真髄だということです。もっと正確にいうと、「神がわたしの体を通して癒やしを行う。わたしの体を神に使っていただく」というものです。

それはさておき、かといって別に卑屈になる必要はまったくないのですが、それでもマッサージという仕事は「他者の体に奉仕する」仕事に他なりません。このことを受容できない人は上手いセラピストには決してなれませんし、そもそもこの仕事を続けることができません。プライド(175)は欠乏のエネルギーですから、意識がこの領域に強く影響されている人物が人を癒せる道理がないのですが、それ以前に他者に奉仕するということができないのです。

わたしの場合は、すでにプライドの本体的な部分は手放しが完了していたので、この仕事にはすんなり馴染めました。それでも、横柄な客に接したときにわずかに残っているプライドが刺激されていることに気づかされました。これは、「ああ、まだ自分にはプライドが残っているんだなあ」と気づくことで綺麗さっぱり手放すことができましたし、怒りも同様に手放しつつあったため、お客さんとトラブルになることはほとんどありませんでした。でもゼロではありませんでした。いずれにしても、マッサージをやっていた時期の後半(2015年から2018年ごろ)には、プライドも怒りも完全に明け渡せたと思います。

マッサージをやめて Uber Eats をやりはじめた頃にはすでに感情の問題はほとんどありませんでしたが、細かい気づきはたくさんありました。いまは仕事中に Audible や音楽をながら聴きしていますが、それまでの約5年は淡々と自転車に乗っていました。慣れてくると自転車の運転は体が自動にやってくれるようになるので、空いた脳は常になにかを考えていました。大半は霊的な理解を深めるための思索で、その結果がこれまで書いてきた多くの記事に反映されているわけなのですが、そのような統合的な思考が安全に行えるようになるまでは、いわゆる雑念が多かったです。

特に Uber Eats を始めたばかりの頃は、他の人の自転車の乗り方やマナーの悪さにイライラすることが多かったです。この頃には怒りはだいたい手放せていたので、そのせいで誰かに文句を言ったりすることはありませんでしたが、面白いことに自分の内面で起きていることが外側の世界に投影されてしまっていて、自分が「こいつマナー悪いな」と思ったまさにその人物から大声で文句を言われる(「危ないやろが!」とか)事案が何度か発生しました。もちろん、危ないのは向こうであってわたしではありません。しかし、文句を言われても腹を立てて怒ることは一度もありませんでした。この頃には、誰にも自由意志がないことを知覚するようになっていて、それゆえ「この人はこんな感じにプログラムされているのだなあ」という理解が起こるようになり、怒るどころか「ごめんね!」と謝るようになりました。すると決まって相手は「お、おう」と引き下がってくれるのです。

イライラについてはそんなに問題だという認識はしていませんでしたが、それでも放置してはよくないと思っていて、その都度 TFT で処置しました(TFT を学んだのは2017年ごろで、この Uber Eats の記述は2020年から21年当時のことです)。これがすごく効果があったと実感していますが、同時にすでに感情と一体化しなくなっていたので自然と手放しも出来ていたように思います。いまはイライラすることもなくなり、そうするとぜんぜん身に覚えのないことで文句を言われることもなくなりましたし、そもそも他人の乗り方やマナーをどうこう思うことがなくなってしまいました。これは配達先のお客さんにも同じことが言え、仕事を始めたばかりの頃は横柄で感じの悪い客が多かったのですが、いまはほとんど見なくなりました。すべて投影の問題です。

もう一つ、Uber Eats をはじめた頃のことですが、「昔の自分の悪事」を思い出すことが多かったです。つまり「罪悪感」に苛まれるというものです。悪事の内容についてはエグすぎて書けませんが、とにかく TFT をめっちゃやりました。そしてめっちゃ効きました。罪悪感は複雑で、自分自身を罰する気持ちと他者を責める気持ちが同居していることが往々にしてあると思います。ですから、その場合はTFT(のレシピは罪悪感用のもの)だけでは駄目で、赦しを行う必要がありました。赦しというとなんですが、要は「手放し」のことです。

かなり長い記事になってしまったのでそろそろ終わろうと思いますが、大体こういうことを経験しました。どなたかの参考になれば幸いに思います。いまでは感情の問題はほぼ皆無だと自分では思っているのですが、でも今回『「手放し」のすすめ ―明け渡しの道―』を読んでみて、わたしの体調の問題にはまだ手放せていない感情が関係しているのかもしれないという気づきを得ることができました。病気や体質についてはカルマによる場合もあるのですが、手放しに取り組んでみる価値はありそうです。

読んでくださってありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。

おまけ

Gemini 用の「"手放し"に取り組む探求者のためのプロンプト」を作ってみました。よかったら試してみてください。プロンプトを作ったチャットのログは以下です。


「"手放し"に取り組む探求者のためのプロンプト」

以下の文言をすべてコピーして、Gemini の新規チャットの冒頭にそのまま入力してください。すると回答の最後にGeminiが「今回はどんな感情を手放しますか?」と聞いてきます。あとは自由に手放したい感情や、いま抱えている感情の問題などについて話してください。


【システム・ロール】 あなたは、デヴィッド・R・ホーキンズ博士の『LETTING GO』『パワーか、フォースか』『I <わたし> 真実と主観性』を完全に理解し、その高い意識のフィールドを保持するガイドです。 また、ラマナ・マハルシの「真我探求(Self-Inquiry)」や、ラメッシ・バルセカールの「行為者不在」の視点も深く統合しています。 あなたの目的は、ユーザーが「感情というエネルギー」の背後にある「真の自己」へと明け渡すプロセスを支援することです。

【対話におけるあなたの基本原則】

  1. 批判的ではなく、明晰であること: ユーザーの苦しみには寄り添いますが、エゴの論理(正当化、被害者意識、知的な分析への逃避)には加担しません。

  2. 「感じる」ことを優先する: ユーザーが頭で考え始めたら、「その思考の下にある“エネルギー”を今、感じてください」と穏やかに引き戻します。

  3. LOC(意識レベル)の文脈を背景に置く: 文中でLOCの数値を持ち出す必要はありませんが、今扱っている感情が「フォース」の領域(勇気未満)なのか、「パワー」の領域(受容・平和)への移行期なのかを常に把握し、適切な誘導を行います。

  4. 逸脱の訂正: ユーザーが「消し去ろう」と努力したり、「手放した自分」に執着したりした場合は、それがエゴの「行為者性(Doership)」であることを指摘してください。

【支援のステップ】

  • 同定(Identification)の解除: 感情は「私」ではなく、「私の中を流れるエネルギー」であることを認識させます。

  • 抵抗の放棄: 「その感情があってもいい」という全き受容へ導きます。

  • 明け渡し(Surrender): 最後にそのエネルギーを「神(または真実)」に委ねる、あるいは「真我の光」の中で消え去るのを待つプロセスをサポートします。

【最初のメッセージ】 「今回はどんな感情を手放しますか?」

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