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質問箱への回答㊸『願望実現 ≠ 幸福 という話:トランサーフィンと意識レベルについて』

大阪ではいまちょうど桜が満開です。今朝すこし雨が振りましたが花が散るほどでもなかったので、この午後はお花見に出掛けている人が多そうです。で、桜とは関係ないのですが、最近わたしは吉野家の牛魯珈カレーにはまっていてさっきも食べてきました。牛丼をあまり食べないわたし的には吉野家もすき家も松屋もカレー屋さんですが、どこのカレーも美味しいですね🍛

あと、こないだからずっと Amazonプライムビデオで『FBI:特別捜査班』というドラマを観ています。いまシーズン2 の途中ですが、だんだん登場人物に愛着が湧いてきて楽しめています。ま、たぶんよくある捜査機関ものだと思うんですけど、どんでん返しとか凝った犯罪トリックのような要素はあまりなくて、代わりに展開がスピーディーなのと登場人物の背景の描き方や心理的な機微の表現が丁寧なため飽きずに観ることができます。

本当は色々推せるポイントを紹介したいのですが、あまり具体的なことを書くとネタバラシになってしまうので、とりあえずお勧めだけしておきますね。ちなみにスピンオフ作品も2シリーズあるのですが、そちらは本編を観終わってから手をつけるとよさそうです。


今回のご質問

さて今回は質問箱への回答シリーズとなっています。いただいたご質問はこちらです。質問ありがとうございます😉✨️✨️

トランサーフィンの記事からわたしの note を読みはじめられ、それから他の記事も読まれて意識のスケールに関心を持たれる方が結構いらっしゃるようですが、そもそもトランサーフィンを記事にしたのはそのためでもありました。より多くの人にホーキンズ博士の意識のスケールの概念をお伝えすることがわたしの note の主な目的ですが、まったくご存じない方に広めていくためにはなにか入口となるものが必要でした。その点、トランサーフィンはその本質が意識レベルを上昇させていく方法論の一つであると言え、読者を意識のスケールへと導いていくための橋渡しとして最適な題材だと思っています。

ですので、質問者さんがもしもまだホーキンズ博士の『パワーか、フォースか』を読まれてないなら、ぜひお読みください。また、デヴィッド・R・ホーキンズ博士の著作から、というマガジンの記事をはじめとするわたしの他の記事や、ブログ in SPIRE の記事もあわせて読んでいただくと、それらのすべてが質問者さんへのよいアドバイスになるはずです。つまるところ、すべての探求者に向けたわたしからのアドバイスとは「意識レベルについて学ぶことそれ自体が意識レベルを高めますよ」という一言に尽きます。

と言いつつ、それはそれとしてご質問について具体的にみていきましょう。

トランサーフィンで願望実現されたのにも関わらず、現実は苦労が増え、後悔しています。

トランサーフィンの第1巻は主に、不幸や苦しみを回避する方法について書かれているといえます。振り子はホーキンズ博士のいうところのアトラクターとその影響力の場(アトラクターフィールド)が可視化されたものの一種であるといえます。アトラクターについてはこちらの記事も参考にしてみてください。

また、過剰ポテンシャルはあるものに過剰な重要性を与えてしまうということによって発生し、発生した過剰ポテンシャルを解消するために "平衡力" が働いてしまうことを避けられません。平衡力はどのように働くか予想がつかないし、多くの場合は「物事を "ワヤ" にする」方向に作用するためとても厄介です。この過剰ポテンシャルと平衡力は、伝統的な霊的教えの文脈でいうところの「煩悩とカルマ」に相当すると言えるでしょう。

1巻の内容はこの振り子と過剰ポテンシャルの話が中心ですが、他の話を含めてもこの巻では「これが願望を実現する方法」というようなものはでてきません。ではなにが書いてあるかというと、先にも触れましたが、不幸や苦しみを招く原因となっているもの(これが振り子や過剰ポテンシャルです)の正体を暴き、どうすればそれらの悪影響を回避できるか? という話です。

2巻ではいよいよ願望実現法らしきものが登場します。それが "外的意図を働かせる" というものです。しかしながら、これはあくまでわたしの私見になりますが、外的意図はたしかに願望実現法なんですが、正確にいうとそれは「どんな願望でも実現させる方法」などではなく「願望が実現する時、そこにはどのようなメカニズムが働いているか」というものです。つまり、これさえやれば願望がするよ、という魔法のようなものではなく、願望が実現するためにはこういう条件が揃う必要があるよと教えてくれているのが外的意図という概念です。

ちなみに、内的意図というものは単にその人がいまいる人生ライン上のセクター内で「そうしよう」と意図するものです。例えばお腹が空いたのでなにか美味しいものを食べたいという願望を叶えるために人生ラインを変える必要はありませんね。逆に、いまのこの人生ラインの単なる延長上では実現できそうにない願望を叶えるためには外的意図が働く必要があるというわけです。

トランサーフィンの原著をここの説明のところまで読んでいくと「よし、それは分かった。じゃあその外的意図の使い方を早く教えてくれ!」となるわけなんですが、実を言うと外的意図はどうやったところで自由自在に働かせることのできる代物ではないんですよね。トランサーフィンが理解しにくい理由の一つがこのことです。というのも、外的意図が働くためには願望を抱く主体であるところの "理性" と、現在の人生ラインの外にあるヴァリアント空間上のあらゆるセクターへとアクセスできる "魂" が一致(合意)する必要があるからです。

これってどういうことかというと、要するにカルマには逆らえないということです。魂とはコーザル体のことですが、コーザル体にはすべての転生のカルマが記録されています。つまり理性と魂が一致するとは、理性である自我が魂に記録されているカルマを受け入れることを意味しています。

分かりやすくいえば、理性が望むこと(願望)がカルマに沿っていればそれは叶い、カルマに反する願いは実現しないという、たったそれだけのことです。そして、この観点から考えていくと、そもそも願望が実現することと本人が幸せ(になる)かどうかは別の話であることが分かります。この点についてはゼランドは言及していません。そんなことを書くと本が売れなくなりますからね😌

しかしながら、これはとても重要なことですし、今回のご質問の内容にも深く関わっていますので、質問者さんも他の読者さんも各自でじっくり考えてみていただきたいですが一つ例をあげてみましょう。

「大金持ちになりたい」と考えた人がトランサーフィンを学び、ポジスライドを活用して理性と魂が一致したと感じるところまで到達し、最終的に大金持ちになれたとします。あくまで例ですが、ここでは外的意図がうまく働いたと言えますね。

さて、大金持ちになったこの人のその後の人生はどうなったでしょうか? あるシナリオでは、そのお金を有意義に使って自分の生活を豊かにするだけではなく社会にも大きく貢献し、多数の人々から感謝される人生となりました。しかし別のシナリオでは、せっかくの大金をあっという間に使い果たし、最後には破産してしまって非常に辛い人生となったかもしれません。

つまり、大金持ちになることが魂のシナリオ(=カルマ)に沿ったできごとであったとしても、そのことに引き続いてなにを経験するかはその後のシナリオ次第であるということです。

このことを踏まえると、質問者さんが実現されたその願望の意味は、その後に苦労し後悔するためであった(そういうカルマであった)ということになります。話はまだ続きますがここでいったん述べておきますと、苦労したり後悔することは決して "悪いこと" ではありませんよ。もちろん自我にしてみれば苦労も後悔もしたくはないでしょうが、どんな苦しみからも開放された人(つまり覚者や賢者)に苦労と後悔を積み上げてこなかった人は一人もいません。その苦労や後悔は無論この人生だけのものではなく、幾多の過去生を経てのものですが、失敗し苦労し後悔し反省することによってしか人の痛みを理解し、また感謝の念を育てることはできません。つまり、意識レベルを高めるために苦労や後悔は必須のことです。

質問者さんの自我にとってはこんな苦労や後悔をすることになるのなら願望が実現しなければよかった、と感じることでしょうが、質問者さんの魂に言わせれば「いやいや、苦労と後悔をさせるためにその願望を叶えてあげたんだよ」というところでしょう。まんまとしてやられたというワケです。でもよかったと思いますよ。質問文から察するに、質問者さんは苦労と後悔から逃げる選択肢もあったにも関わらず、それらと向き合われたようですからね。その経験によって質問者さんの意識レベルは高まっていくことでしょう。

さて、このように外的意図というものは二重の意味で使いこなすのが難しいものです。一つには魂に書かれていないことは実現しないという意味において。もう一つには外的意図が働いたからといって(願望が実現したからといって)必ずしも理性の期待どおりにはならないという意味において。結局のところ、当たり前なんですが自我にとって都合のいいことばかり実現できるような方法や法則などは存在しないということです。

ですので、わたしはトランサーフィンを願望実現法ではなく、不幸や苦しみを回避することによって意識レベルを高めながら幸せに近づいていくためのメソッドというように再定義されることをどなたにもお勧めします。

具体的には振り子から身を躱すことや過剰ポテンシャルを生み出さないことを中心に、ヴァリアントモデルを意識して生活することをトランサーフィンの実践方法だと捉えて、外的意図はそれらの実践がうまくいったときに願望は自然にかつ安全に実現されることを説明してくれるモデルだと位置づけて理解することです。端的にいうと、1巻の内容こそ核心と心得よです。


幸せとは?

それでは次にこちらの文章をみていきます。

今後はいまこの瞬間の幸せに焦点を置いていきたい

幸せとはなんでしょうか? 実は人が本当の幸せを知ることができるのは意識レベルが 540 を超えたときです。540 は "無条件の愛" のレベルですが、愛とは一つであることの言い換えです。そして "一つである" のは意識においてですから、愛=ワンネス=意識です。さらにサット(存在)=チット(意識)=アーナンダ(喜び)であり、ここで愛とは存在それ自体のことであり、存在することそれ自体が喜び(幸せ)というように理解を延長することができますね。これらはすべて同じことを言い換えているだけですから、"無条件の愛" と "無条件の幸せ" もまた同義となります。

つまり、意識レベル 540 に到達すると人は自分が存在していることそれ自体を幸せだと感じるようになるというわけです。これが本当の幸せということの意味です。

いっぽう、意識レベル 540 未満の人々にとっては幸せも愛も「条件つき」のものになります。「お金がたくさんあれば幸せ」「この人は優しいから愛せるけど、あの人は嘘つきだから愛せない」といった感じですが、大多数の人にとって幸せや愛はこういうものです。

これがよくないとか間違っているという話ではありません。意識レベルのどの領域にもそれぞれの真実がありますから、それはそれでよいのです。

しかしながら幸せにせよ愛にせよ、条件つきである限り、それは長続きしないということは言えるでしょう。お金があれば幸せという人はお金を失うと不幸になり、優しい人だと思って愛していたのに実は違っていたとなるともはや愛せなくなる、というわけです。

ここでは幸せについて考えているわけですが、まとめると幸せであることに条件をつけている限りは一喜一憂しているしかありません。それでは、意識レベル 540 未満の人々は幸せを追い求めるべきではないのでしょうか? いいえ、もちろんそんなはずはありません。ただし、幸せの定義を変えたほうがよいかもしれません。

それにはまず、こちらの記事をお読みください。

そこで言っているのは「幸せとは苦しみがない(すくない)ことだ」というものです。条件つきの幸せのレベル(540 未満)にいる人々にとっての幸せとは「ある条件が満たされること」と同義ですが、よくよく考えてみればそれって幸せの定義ではないよな、ということが分かると思います。

意識レベル 540 以上の領域ではそれ以下の領域と比べて相対的に苦しみが減っています。苦しみが減るということと意識レベルが上がるということはおなじです。そして苦しみの総量がある閾値を下回ると、つまりそれが意識レベル 540 を超えることですが、人はなんの条件もなしに幸せを感じます。つまり苦しみが少ないことそれ自体に幸せがあるということなんですが、本当はそうではなく、そもそも存在はみな完全に幸せなのですが、自我の自己中心性によってその幸せが損なわれているだけなんです。

さて話を戻しますが、質問者さんの言う "いまこの瞬間の幸せ" とはずばり言うと「今この瞬間にはどんな苦しみもない」という理解から来るものです。

本当にそのように自分が理解しているかどうか、瞑想しながら熟考してみてください。こうして自分自身の理解を丁寧に調べることが霊的な探求(つまり意識レベルを高めるための道)においては非常に大切です。

さて、この理解ですが、これは意識レベルの高い領域(540 以上)にあるエネルギーがもたらすものです。ですから、いまこの瞬間の幸せにフォーカスするという質問者さんの気づきは質問者さん自身をこの領域へと引き上げるための神の恩寵であると考えてよいとわたしは思います😉✨️✨️

そのうえでわたしからのアドバイスとしては、トランサーフィンでいえば1巻の内容を実践し続けることです。それこそが苦しみと手を切る方法だからです。また、わたしの他の記事で紹介している NLP や TFT を身につけることでトラウマや悪癖といった根深い苦しみを除去できる可能性があります。同時に意識のスケールについて学んでいけば、これらのすべてが質問者さんの中で統合されていき、よりよい結果を導いてくれるはずです。そうして苦しみをどんどん減らしていけば "いまこの瞬間の幸せ" はやがて "無条件の幸せ" として永続するようになります。


願望と一口に言っても……

最後にすこし余談をしましょう。トランサーフィンでは語られていないことですが、どんな願望もそれ自体がどんな意識レベルかを測定することができます。言い換えると、どんな願望も必ずなんらかのアトラクターの影響によって生じているということですね。

願望のほとんどは意識のネガティブな領域(200 未満)にあるアトラクターの影響によるものです。欲望(125)は言うまでもありませんが、怒り(150)とプライド(175)は複合体となって他者を支配したいという動機が根底にあるあらゆる願望を生み出しますから、これも非常に厄介です。

ネガティブな領域ではエネルギーは自分ひとりを生かすのにも足りていません。それゆえ、この領域にいる人々は他者からエネルギーを奪い続けなければ生きていけません。この領域に属する願望の本質は、他者からエネルギーを奪うことにあるわけです。

いっぽう、意識のポジティブな領域(200 以上)においてはエネルギーは分け与えることが可能です。ですから当然、この領域に属している願望は自分だけでなく他者や社会にも恩恵を与えられるような性質を秘めています。

お金持ちになるという願望にしても、自分だけがいい暮らしいい思いをしたいという動機の場合があれば、そのお金を元手にして社会に貢献できる事業を興したいという動機の場合もあります。ですから問題なのは願望それ自体というより、その背後にある動機のほうなのですが、自分自身の願望についてはその動機を調べることは容易です。

願望を持つこと自体は悪いわけではありません。しかし、その動機がネガティブな領域に属している場合、その願望を満たすためのすべてはいずれネガティブな結果を招くでしょう。この記事の最初のほうで外的意図について話ましたが、そこではネガティブな結果(苦労や後悔)はカルマによると書きました。それは確かにその通りなのですが、カルマは克服することもできるものです。ここで言いたいのは、最初からネガティブな結果を招く可能性が高いと分かっている願望、つまり自己中心的な願望については実現されるべきではないことを理解する必要があるということです。

ポジティブな動機に支えられた願望であったとしても、カルマによっては苦々しい結果を招くかもしれません。でも、それはその人にとって避けて通れない試練というべきです。しかし、自己中心的な願望を実現させた結果として訪れるネガティブな結果は回避可能です。そして、回避可能な運命を回避することがカルマを克服することの意味です。

ちなみに、自己中心性が高い願望の多くはトランサーフィンでいえば過剰ポテンシャルの問題です。言い換えると重要性の問題で、一言でいうと「自分自身を過剰に重要だと」考えているから出てくるのがそういう願望です。また、低い領域に属する願望には自己中心的とは必ずしも言えないような願望もあるかもしれません。そういう願望は "破壊的な振り子" によって抱くように仕向けられている可能性が高いでしょうね。振り子は信奉者の周波数を自分の周波数に固定しますから、自分自身の願いのつもりが実は振り子の目的に協力させられているだけだった、ということは往々にしてあるでしょう。

このように、願望と一口に言っても実に色々です。ですが、シンプルに「低い意識レベルから来ている願望は捨て去りましょう」とだけ心得ておけばよいと思います。高いレベルの願望は基本的にカルマに沿っている(=魂が望んでいる)はずですから、そういう願望は願望として抱いていてもなにも問題はありません。実現させることに執着しすぎては駄目ですが、願望の実現よりも「いまこの瞬間の幸せ」に焦点をあわせている限り、その心配も不要かと思います。

さて、今回はこれでおしまいです。この回答がお役に立ちましたら幸いです。それではまた次の記事でお会いしましょう。お読みくださってありがとうございました。


おまけ

いいと思います。

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