見出し画像

「丁寧」と「親切」 ―徳目、あるいは美点について

ここのところ頻繁に記事を投稿していますが、それも今回で一段落する予定です。わたしがこんな頻度で更新するのって、トランサーフィンについて書いていたときを除くと珍しいんですが、なんというかこう "一まとまりだが非線形的なアイディア" とでも呼ぶべきものが降りてきていて、それを当初ひとつの記事で書こうとしたんですが、それでは到底収まりようがないことが書き始めてすぐに分かってしまって、とはいえのんびりとしていたらそのアイディアであってアイディアでないような塊感のあるものが消えてしまいそうな気がしたので、頑張って急いで形にしていた次第なのでありました(間に合った)。

全体としてのキーワードはやはり文脈と再文脈化で、外形的には主として「意図」について書いていたんですが、これをコンテントとするなら、文脈と再文脈化という概念はそれを配置するためのコンテクストでした。なにが言いたいかというと、再文脈化という概念を伝えることそれ自体が「意図」や「ACIMにおける "奇跡" 」という概念に対する読者のみなさんの理解をを再文脈化するという、メタ的な構造こそがこの非線形的なアイディアの正体だった、ということです。道理で、書き出してみないとどんな形になっているのか自分でも分からなかったわけです。ちなみに、奇跡=再文脈化というのは半ば出来すぎた話でした。こういうのが聖霊の仕事なのでしょうね。

さて今回は、前回の聖霊の話とも接続できそうな話をホーキンズ博士がしている動画を見つけたのでシェアします。と同時に、この動画に続く動画において「親切さ」とか「礼儀正しさ」とか「受容的でいつでも応答可能であること(Availability)」といった "徳目(Virtues)" がめっちゃ大切で、ぶっちゃけそれだけ実践していれば悟りに至ることもできるんだよ、という話をしています。

まずはこれらの動画を自動翻訳でご覧いただき、できればその上で Gemini (じゃなくてもいいですけど、わたしが Gemini を使っているので Gemini 推奨です)に読み込ませて解説してもらってください。そして、さらにできるなら解説を読んだあとでもう一度動画を見て、それから Gemini に色々聞いてみるとよいと思います。そうしていただくと、わたしが書くことが少なくて済むかもしれません。

ちなみに(この時点で書くことを減らす気がない)、いまの Gemini はホーキンズ博士、ラメッシ・バルセカール、それからグルジエフについても高い解像度を持った回答ができるようになっています。誤りがないとまでは言いませんが、彼らの本の内容について分からないことを聞いてみると理解がぐっと深まると思います。まあ、グルジエフについては教えそのものの解像度があまり高くない(≒神秘性を帯びている)ので程々がいいですが、博士とラメッシについてはかなり信頼できそうです。

というのは、AIにとって英語は非常に論理的で理解しやすい言語である上、学習するためのソース(ネットにある情報や膨大な各種論文など)が他の言語に比べて段違いに充実しているんですけど、博士はもちろん、ラメッシは英語で話し、英語で書いていたからです。いっぽうラマナ・マハルシの話になると、そのソースはタミル語で話したマハルシの言葉を現地の通訳が英語に翻訳し、それを聞いたアメリカ人が英語で書いた本に書いてある情報なので、解像度がどうとかいうより、かなりの度合いでデタラメです。同様に、ネオアドヴァイタとカテゴライズされるアメリカ人自称覚者たちの話もデタラメ(控えめにいってマハルシやマハラジの語った教えからコンテクスト生命を削ぎ落とした死体のようなものです)なので、それを AI に聞くのは二重三重の間違いです。


さて、それでは動画をご覧ください。

コンテクストとコンテントの関係

徳目(美点)について


コンテントとコンテクストの "間(あわい)" にあるもの

さて、まずは一つ目の動画について見ていきましょう。ここで博士は図表を用いて次のような概念を提示しています。

  • 中心(エゴ): 線形で限定的、定義可能。ニュートン力学的なパラダイム。 [01:47]

  • 近接フィールド: やや広範で、半線形・半限定的。非線形な要素を含み、より拡散された領域。 [02:00]

  • 無限の文脈(意識そのもの): 最も強力で支配的な領域。非線形で、私たちの本質である「自己(Self)」の輝きそのもの。 [02:26]

Gemini がまとめてくれた説明をコピペしましたが、ここにはこれまでのわたしの話(ホーキンズ博士の邦訳本の情報を元にしています)には出てこなかった "近接フィールド(Proximate Field)" というものが登場しています。

これは前回の記事でわたしが言った "中間的なコンテクスト" と同じものを指していると考えてよさそうですが、上記の説明からは「コンテクストでもありコンテントの延長でもある」というニュアンスも読み取れます。

これを聖霊との関係で表現(再文脈化)するなら、近接フィールドこそが聖霊の居場所であり、仕事場であると言ってよさそうです。すなわち、聖霊が働きかけてくれる場はこの近接フィールドであるというわけです。このように理解することで、聖霊についての解像度が上がるはずですし、同時に聖霊を神秘的に捉え過ぎてしまうエゴの罠からも開放されるでしょう。まあ、ACIMから神秘性を完全に剥ぎ取ってしまったら、それはそれで面白くもなんともないでしょうから、神秘的なものとしての聖霊と、近接フィールドの性質と機能に名前をつけたものが聖霊であるという理解を「重ね合わせ( or ではなく and)」の状態で保持しておくのがよいと思います。そうしておけば、観測したときにいずれかの状態の聖霊が顕現してくれることでしょう。

この動画のテーマとして博士は「ある出来事(コンテント)が "善か悪か" "合法的か違法か" などは、すべてその周囲にある「状況的フィールド(コンテクスト)」によって決まると述べています。状況的フィールドとはコンテクストとしての近接フィールドのことで、再文脈化や文脈の拡大はこのフィールドにおいて起こります。


「親切」や「丁寧」をわたしが推す理由

二つ目の動画では、先の動画におけるコンテクストに目を向けることの重要性という文脈を引き継ぎつつ、具体的にどのような徳を実践すればエゴを超越できるかということを話しています。

徳を実践するということは、その徳を人生のコンテクストに落とし込んでいくということです。動画で博士が用いている具体的な徳目のリストをわたしの方で表にしてみましたので、ぜひダウンロードして手元に置いてください。この作業も以前なら全部自分でやっていましたが、いまは英語の項目と対応する数値だけ入力して、これをテキストで Gemini に読み込ませるだけで日本語訳を追加した上で数値でソートしたものを表計算ソフト用に貼り付ければそのまま表になるデータとして出力してくれるので、助かります。

ポイントとしては、この表にある徳目のいずれか一つを実践していくだけで意識レベルは上昇し、エゴを超越できると博士が述べているところです。もちろん、複数選んで実践してもよいですが、わたしが思うには下の方にあるものから実践しつつ、より上にあるものを自分の人生に追加していくのがベターですね。

こういう徳目を意識して地道に実践していくというのは、なんというか「あまりスピリチュアルじゃないよね。ただの道徳じゃん」と思えるかもしれません。でも、そのように思ってしまう人はスピリチュアルの意味を「間違えて思い込まされている」んです。誰の仕業によってか、と犯人をバラすようなことはしません(多すぎて挙げられない)し、わたしの記事の熱心な読者の方にはさすがにそんな誤解をしている人はいないと信じたいところです。

ちなみに「道徳的」であることは意識レベル 200 ですが、これはギリ真実であるということです。というのも、道徳というのは時代や場所というコンテクストによって如何様にも違ってくるものなので、道徳的であろうということ自体はギリ真実ではありますが、その道徳とやらはどういうものなんだい? ということになると、もしかしたら 200 以下かもしれないということです。

さておき、こうした徳目を実践することによって、その徳目が人生のコンテクストになっていくわけです。意識レベル 200 以上のものはそれが人物であれ事物であれ概念であれ、それ自体に意識レベルを高める浮力のようなパワーがあります。ですから、それが人生のコンテクスト(ここでは ≒ 動機)となれば、例えば意識レベル 200 ちょうどの人が「開放的でいる(240)」ということにコミットすれば、その人は 240 以上に飛躍できるのです。

そして、これも重要なことですが、この240に飛躍した人が今度は「思いやり」を実践して 295 へと飛躍したとしましょう。このとき、この人にとって開放的でいるという美点はもはや意識レベルを上昇させないのでしょうか? もちろん、そんなことはありません。浮力は浮力としてずっと働き続けます。ですから極論すると、このリストにあるすべての徳目を実践して身につけたなら、それらすべてが意識レベルを上昇させるアトラクターとして働きますので、それはもう、なんかすごいことになると思いますよ。

さて、そういうわけですが、表の中で背景がイエローになっているものは、わたしのおすすめです。そして、「丁寧(245)」「親切(kind 220 と nice 255)」もその中に入っています。kind は内面において親切を心がけているというもので、それを外面つまり態度や言動にも乗せていくのが nice です。

丁寧とは、手を抜かないこととわたしは理解していますが、もちろん手を抜いてもいいことや、むしろ手を抜いたほうがよいこともあります。ですので、ここでいう手を抜かないとはもうちょっとメタ的なもので、手を抜くにしても「丁寧に」手を抜くということです。もちろん手を抜いちゃいけないことはもっと「丁寧に」やるわけです。そして、常にそう心がけることによって「丁寧に生きていく」というのがわたしの丁寧論(と言うほどのものではない)です。

スクロールするのが手間だと思うので、もう一度画像を貼っておきますね。

つまるところ、丁寧も親切も、なぜわたしがそれを勧めるかというと、これらを実践することに「エゴはあまり抵抗しない」からです。すくなくともわたしはそう考えていて、それで勧めているわけです。そして、分かりやすいです。ちなみに「懇切丁寧」としてしまえば親切と丁寧の両取りっぽいんですが、あくまで親切は親切、丁寧は丁寧と分けて考えたほうが良いと思います。ちなみに「丁寧道のすすめ」みたいな記事がこちらです。

表の中で他にイエローにしたものは親切や丁寧ほどエゴに優しくないかもしれませんが、どれも分かりやすくはあると思います。なかでも特に重要だと思うのは「ユーモアのセンス(345)」ですね。有難そうなことや超越的なことをどれだけ言っていても「おもんない」自称マスター、自称グルはそれだけで NG ですよね? わたしはそう思います。

というわけで、今回はこれで(本編は)以上になります。読んでくださってありがとうございました。また次の記事でお会いしましょう。しばらく間があくかもしれません。


おまけ(ふつうの軽音部が好きすぎて、の巻)

ふつうの軽音部の最新巻(どの巻も当然ですが最高です)が最高に最高なんですけど、なんでこんなに最高なのかなって、ここにきてちょっと自分で不思議に思うくらい最高だったんですよね。それで舞台となっている架空の「谷九高校」のモデルはどこだろうと思ってマップを見てたんですよね。すると、谷九(というのは谷町九丁目の略ですが、谷九というときそれは谷町九丁目というエリアのことではなく、谷町九丁目と名付けられた交差点のことを指すと思います。大阪だと例えば他には天六:天神橋筋六丁目という概念があるのですけど、比較すると天六は面あるいは領域なんですが、谷九って点なんですよね。でも点でありながら、ただの交差点の名前以上の意味がそこには内包されていて、あっ、この話終わらなさそうなのでやめますね)からギリ徒歩圏内にある公立高校って高津高校しかないんですよね。

ギリなんで近いと言っても歩くと15分くらいはかかる距離なんで、谷九で降りて高津高校に通うというのは全然あるあるなんですが、そこがモデルだとしたら谷九高校とはならんようにも思えます。いや、そんなこともないのか。まあ、いずれにしても第一候補ではあるよなと思いつつ、今度は物語における他の重要な舞台として長居公園に目を向けました。ここは主人公の鳩野ちひろの家から近いはずの場所なんですが、そうすると鳩野の出身中学もこの地域だということになりますね。大阪市は現在は学区制がなくなっているみたいなんですが、2013年までこの地域は第6学区なんです。正確には長居公園そのものは東住吉区で第5学区なんですけど、公園の西側は住吉区で、長居という町名が存在しているのはこちらのエリアになります。

まあ鳩野の家がどっちかは分からないんですけど、しかも物語中で演奏される楽曲にはごく最近のものもあるので、そもそも学区で考えるのにはぜんぜん意味ないんですけど、ちょっと学区について考えたおかげで、わたしがなぜそんなこと(谷九高校のモデル校)を気にしているのか自分で理解できたのでした。というのは、わたしの出身高校は住吉高校というところで、第6学区なんですよね。長居公園からは自転車だとまあまあ近くて、当時仲の良かった女の子がこの長居公園のすぐ近くに住んでいたりして、よくその辺に遊びに行ってたこともあり、なんというかエモかったんですよ。たはは。

で、とはいっても住吉高校が谷九高校のモデルっていうのはさすがにないか、そうであったらもっとエモかったんだがな、と思ったんですが、高津高校について調べてたらこんな記事がありました。

そうなると住吉と今宮に絞り込まれるわけだが、ここでルーキー版の最初の方、新歓ライブの場面が生きてくる。軽音部員が着ているTシャツに描かれているのはTEN-CHA K-ON CLUB、つまりもともと地理的には天下茶屋周辺の高校をモデルにしていたと思われる。なぜジャンプラ版で谷九にしたのかはわからないが。

ルーキー版というのは原作者が自分で絵も描いていたオリジナルのバージョン(が存在すること自体この記事で知りました)のことらしいのですが、その時点では天下茶屋周辺の高校、おそらくは住吉高校がモデルになっていた可能性が高いというのがこの著者の方の見立てです。ほらな。

まあ、真相は分かりませんが、もしそうならわたしが読んでいてめちゃくちゃ最高に感じるのも道理かもしれません。ちなみに在学していたのはもう40年近く前のことなので校舎の風景とかがそのまま描かれていたとしても覚えてないですし、もしかしたら建て替わっているかもしれません。ただ、物語全体の空気感みたいなものがわたしに強いノスタルジーを感じさせるので、個人的にはこの説を支持したいですね。もちろん、まったく的外れだとしても、この作品は神で最高なので、まったく問題ありません。

ちなみに作中の推しバンドはるりるり帝国です。というか真島るり推しです。言うほど出番ないし、今後も言うほどメインストーリーに絡んではこなさそうだけど、ただの脇役にしておくのはもったいない気がしますね。動かせば化けると感じます。スピンオフを期待します。単行本の巻末のおまけ漫画はぜんぶ真島るりの話にしてもらいたいです。ちなみに最初にこの作品に引き込まれたのは、たまき先輩が歌う銀杏BOYZでした。これも致し方ない。ちなみにちなみにってしつこいんですけど、ちなみにゆらゆら帝国は実は聴いたことないです。

いいなと思ったら応援しよう!

BLACK 記事へのリアクションや記事執筆への励ましのサポートありがたく頂戴します🙏 また、プロフィールにAmazonほしいものリストも掲載しています。こちらもぜひよろしくお願いします!