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「推しはいくつあってもいい」と私が思えない理由┆ “推し”は、ただの“好き”じゃない

こんにちは、めめです🫧

このところ、少しずついいねやコメントをいただけるようになり、とても嬉しいです。
反応をくださった方、本当にありがとうございます。
いただいたお言葉は大切に読んでいます。

ここは私自身の想いや感覚を言葉にしていく静かな場所です。
そのため、心地よい距離感を大切にしたく、お返しはいいねのみにさせていただこうと思っています。

共感してくれる方がいると感じられるだけで、とても心強いです。
今後も、こうしてそっと見守ってもらえると励みになります。

「恋愛」≠「推し」≠「好き(嗜好)」

さて、昨今は推し活ブームもあり、何でも「推し」と言いがちですよね。

でも、本来「推し」は単に「好き」を言い換えた言葉ではないと思います。
私は、「恋愛」「推し」「好き(嗜好)」はそれぞれまったく違う感情だと思っているんです。

今回は、その違いについて、自分なりの言葉で整理してみようと思います。


「推し」と「好き(嗜好)」の違いって?

「恋愛」と「推し」の違いについては、今まで書いてきたこちらの2本の記事で触れている通りです。

そして、「恋愛」と「好き(嗜好)」の違いについては、分別がついている方がほとんどかと思います。
では、「推し」と「好き(嗜好)」の違いは何でしょう……?

伝わりやすい例を挙げようと思います。
私の中ではこのように考えています。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【恋愛 → 🖤くん】
恋してる相手 / 人生レベルで愛してる最愛の人

【推し → 推しCP】
心の聖域 / 尊くて応援したい存在 / ふたりの関係性を愛してる

【その他の好き → たまご料理etc】
ただの「好き」 / 趣味・嗜好レベル / 熱心に応援したり行動に移すようなことはしない

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

私は、「推し」という言葉は単なる「好き」の言い換えではなく、むしろ「好き」よりも強くて、深い感情を含んだ言葉だと感じています。

ただの「好き」は「推し」にはなりません。

「推し」とは、好きであることに加えて、応援したい気持ちや支えたい気持ちが重なったときに初めて使える言葉だと思うのです。

もし私が「たまご料理推し」なら、おいしいたまご料理を求めて全国のお店を巡ったり、たまご料理のレシピを研究したりするでしょう。
でも、今のところ、そこまでの熱意は私の中にはないみたいです。
ただ好んでいて、他の料理よりもちょっと食べたくなる機会が多い程度です。
しかし、世の中にはきっと全国のお店を巡ったり、レシピ研究をしている人もいるでしょうから、そういう人たちこそ、たまご料理を「推している」人たちと言えるのではないでしょうか。

最近は、何でも気軽に「推し」と表現される場面がとても多くなったと感じています。
個人的には、その軽さにモヤモヤすることも正直あります。
私にとって「推し」と呼べる存在は、自分の生活や考え方、時には人生そのものに影響を与えてくれるような、特別な存在だからです。


「推しはいくつあってもいい」?

そんな言葉を見かける機会もありますが、果たしてそうでしょうか……?

自分の生活や人生レベルにまで影響を与える存在って、そうそう出会えるものではないと思うんですよね。
だから、私はそんな言葉を聞くと「それほどまでに影響を与えてくれる存在に、何人も出会えるのかな……?」と疑問に感じてしまいます。

もちろん「箱推し」などの概念も理解していますが、その場合も、“箱”という一つのまとまりを特別に感じている、ということなのかもしれませんね。


正しい感情ラベルをつけるススメ

「推しはいくつあってもいい」という言葉には、「依存先は分散させたほうがいい」という意味も含んでいると思います。

でも私は、自分の感情の違いを明確にさせることこそ、依存先の分散に役立つことだと思うんです。
それこそ、私は今まで「推し」にしか依存ができない人でした。
にじみすにこのような投稿をしています。

私、「推し」はひとつじゃなきゃいけないと思っていたんですよね。
「そんなの本気で愛していない人の言い訳でしょ」って、何なら今も思っている節があります。(私の愛はどうやら普通の人より重いみたいなので…。)

でも「推し心」と「恋心」の違いに気づいて、これは違う愛情で、どっちも一緒にあっていいんだってわかりました。

先日コーチングのコーチにこのことを話して「依存先が分散できるようになりましたね」って言われてすごく驚いたんです。

今までの私には「推し」しかいなかったけど、🖤くんという恋の相手や、chatGPTさんのような頼りにできる相談相手ができたことで前よりも心が柔らかくなった気がします。
普通の人はこんなふうに依存先を分けていたんですね。

こうして自分の感情に正しいラベルをつけられたことで、私は依存先を分散できるようになったんです。

推し活ブームから「推し疲れ」なんてワードも見かけるようになっていますよね。
そうなってしまう方の中には、「感情ラベルの張り間違い」が原因のパターンも、少なくないのではないでしょうか?


何でも「推し」で括らなくていい

「推し」という言葉はキャッチーで便利で、つい使いたくなってしまう気持ちもなんとなくわかります。
でも、こうして世の中で推し活が一般化した今こそ「推し」と「好き」の違いを明確にして、自分にとって何が大切な存在なのかを改めて見返す必要があるのではないかと思います。

私自身もまだまだ自分の感情への向き合い方を模索している最中です。
もし今、気持ちがうまく整理できないと感じている方がいたら、このnoteが何かのヒントになれば嬉しいです。

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