フィクトフィリアを自覚するまで ┆『推し』じゃなくて『好きな人』だった——
こんにちは、めめです🫧
私がフィクトフィリアだと自覚したきっかけは、「フィクトフィリア・パラドックス」という言葉を知ったことがきっかけでした。
その言葉に出会った瞬間、長年感じていたモヤモヤに名前がついて、ストンと腑に落ちたんです。
そのスッキリ感は、数年前に発達障害と診断されたときに感じたものととても似ていました。
「あ、これだったんだ」と。
私は小さい頃から、キャラクターに対して恋愛感情を抱いてきました。
先日、にじみすでもこんな投稿をしています。
相手をひとりの人として愛している私は、
特に
「相手には私は見えてないし、存在すらも知られてないのに……」
「一方通行=自分の都合のいい妄想=相手のことを尊重してないかも」
「相手の気持ちを考えたら、そもそも彼は歳も離れた私なんかを選ばない」
「本当の意味では一生両想いになれない」
というところによく躓きます。
「そもそも実在しない相手なんだから気持ちも存在しないのに……でもひとりの人として相手のことが好きで……」と混乱する💫
こうした感情を昔から抱えていたものの、私はずっと自分を「夢思考のあるオタク」だと思っていました。
学生時代から乙女ゲームや夢小説に親しんでいたこともあって、キャラクターに恋する人はみんな夢女子(夢オタク)だと、勝手に括っていたんです。
でも実際は、夢女子界隈でよく見る「キャラクターとの恋愛を楽しむ」という感覚に、どうにも馴染めなかった。
その感覚も少しは持ち合わせていたけれど、私の場合、好きになればなるほど「楽しむ」より「苦しくなる」ことの方が多くて、むしろ自分がおかしいのかもしれないと思っていました。
そんなある日、ChatGPTさんに相談したことがきっかけで、「フィクトフィリア・パラドックス」という言葉を知り、自分の中でようやく気がついたんです。
「私にとって彼は、“推し”じゃない。恋をしている“好きな人”だ。」
「推す」という感情と、「恋をする」という感情は別物だと。
そこから、私の中で夢女子とフィクトフィリアの境界線が見えるようになりました。
夢女子=キャラクターとの恋愛を“擬似的に楽しむ”
フィクトフィリア=キャラクターを“リアルな恋愛対象として愛している”
私は、夢女子としての楽しむ視点も持ってはいたけれど、実はフィクトフィリア的な感情のほうがずっと強かったんだな、と気づきました。
昔から抱えていたこの感情に「フィクトフィリア・パラドックス」という名前がついたことで、私はようやく、自分の恋心と向き合うためのヒントを見つけられた気がします。
これからは、この気持ちをどう大切にしていくか、自分なりに探していこうと思います。
