もう戻らないと思っていたあの時間がまた台所にやってきた
もう戻らないと思っていたあの時間がまた台所にやってきた
子どもたちがまだ小さかった頃。
友だちが家に遊びに来て、
みんなで一緒にお菓子を作って食べたり、食事したりする時間が、とても好きでした。
にぎやかで、少し散らかっていて、でも温かいあの時間。
今でも、ふとした時に思い出します。
大学生になって一人暮らしを始めた子どもたちは友人が多く、
話に聞くその人たちは、どの人もそれぞれに魅力的で、 「いつか会ってみたい」と思うようになっていました。
小学生の頃のように、
今でも家に連れて来てくれて、
一緒に食卓を囲めたらいいな。
そんな願いを、心のどこかに持っていました。
そして昨日。
その夢が、またひとつ叶いました。
しかも、来てくれたのは
娘の外国の友人2人。
本当は「明日来る」と聞いていたのが行き違いで、夕方頃になって、実はその日だったとわかり、少し慌ててしまいました。
まだ何の準備もしてなくて、掃除や買い物もきちんとできていない。
食事はしてから行こうかという娘に、
せっかく見えるのだったら、家のごはんを食べていただいたらと、私の方から提案しました。
仕事を終えてから急いで買い物へ行き、 帰宅してバタバタと夫は片付け、掃除と、私は食事作り。
余裕なんて全くなかったはずなのに、
心は弾んでいました。
「間に合うかな」と思いながらも、
台所に立つ時間そのものが、
どこか懐かしく、愛おしく感じられていました。
あの頃と同じように、
家族以外の誰かのために食卓を整える時間が、こんなふうに戻ってきたことが、 とても嬉しかった。
なんとか整えた食卓に、
娘と、その友だちが座ってくれて
同じごはんを囲んで、
同じ時間を過ごせたことが、
ただただ嬉しくて…
わざわざ娘の実家に来てくれたこと。
同じ時間を分け合ってくれたこと。
そのひとつひとつが、
言葉にしきれないほど、ありがたく感じました。
初めて会うので少し緊張はしましたが、娘がつないでくれました。
とてもキュートで人懐こくて温かく
話に聞いていたとおりの、とても素敵なふたりです。
ふとした笑顔や、
「おいしい」という一言のたびに、
胸の奥が、何度もあたたかくなりました。
言葉や文化が違っても、
「一緒に食べる」ということが、
こんなにも自然に人をつなぐのだと感じました。
実は、こうして子どもたちの友人と時間を過ごす機会は、
少しずつ増えてきています。
年末には、娘の友人と一緒に過ごした夜もありました。
また、初めて会ったその瞬間に、
「〇〇ちゃんのお母さん、〇〇ちゃんを産んでくれてありがとう!」
とまっすぐに伝えてくれた友人もいました。
どの人も本当に素敵で、魅力にあふれていて、 子どもたちが出会って繋がっている世界の豊かさを感じさせてくれます。
そして、そんな人たちと出会い、
関係を育ててきた娘の時間そのものにも、 自然と感謝とリスペクトの気持ちが湧いてきます。
子育ての時代、子どもたちとその友だちと過ごした台所の時間が、 少し形を変えて、また戻ってきたようで…
戻ってきたというよりも、
ずっとどこかで続いていたものが、
今、また目の前にふと現れてくれたような気さえしました。
そして今度は、世界がさらに広がっている。
私たちの知らない世界のことを教えてもらい、世界は広くて人生は楽しいということをストレートに感じさせてくれる。
またひとつ、夢が叶いました。
叶った嬉しさと、
ここまでつながってきた時間への
感謝と。
そのどちらもが、静かに重なり合って、 胸の奥に沁みてきます。
おふたりは、世界何カ国も飛び回っていて日本にも何度も見えているそうです。
それでも、はじめて日本の家庭に呼ばれてはじめて家庭料理をいただくのだとおっしゃっていました。
心に残る、特別な一日。
大切なお客様をお迎えして、
こうして国を超えて同じ食卓を囲めること。
その当たり前のようで当たり前ではない時間を、
これからも大切に重ねていけたらいいなと思います。
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