一生ボロアパートでよかった㉙
あらすじ
自慢だった新築の白い家が、ゴミ屋敷に変貌していく。父はアル中になり、母は蒸発し、私は孤独になった。
ーーー1人の女性が過去を振り返っていく。
↓前話
↓以下本編
午後、入学式も終わりホームルームの時間になると、ホノカ先生はベットのカーテンの間から顔を覗かせて、私に「大丈夫?」と声をかけてくれました。
「本当に1人で帰るの?」
直前まで親に迎えに来てもらうことを繰り返し勧められていましたが、私は断り続けていました。"親に迷惑をかけたくない"という誰にも察してもらえないだろう私の僅かばかりの優しさは、ホノカ先生にはとっては心配と迷惑という形にしかならないことは理解していました。ホノカ先生に1日優しくしてもらったのに、ここではなぜかホノカ先生よりも親のことを優先している自分がわがままに思えて、申し訳ない気持ちになりました。
「体調はよくなったので、帰れます」
断固としてその姿勢を保持する私に、ホノカ先生は困り顔を浮かべていました。5分ほどの攻防の果てに、ホノカ先生は私が意地でも1人で帰るだろうと理解してくれたようでした。いや、諦めてくれたと言うべきかもしれません。ホノカ先生はそれからすぐに教室へ行って、私のカバンを取ってきてくれました。そして労りの言葉を並べた後、「明日も保健室に来ていいからね」と言ってくれました。たとえ明日保健室に来る気が無くても、私には些かな励ましになりました。
下校時刻になる前に、ホノカ先生に促されて私は玄関へ向かいました。他の生徒に会わずに私が帰れるよう、配慮してくれたのだと思います。
玄関ホールは静かでした。朝、私を居た堪れなくしたあの喧騒が嘘のようでした。私の数歩先を歩くホノカ先生のローヒールがコツコツと鳴っているのがホールによく響いていました。私はぼんやりとその音が大人っぽくてカッコいいと思いました。そしてそれを追う私の上履きの音もまたホールによく響いていました。でも、その上履きの床をキュッキュッと踏みしめる音は、なんだか滑稽に聞こえました。小さい子どもがよく履いているピコピコと鳴る靴のようだと思いました。ホノカ先生の靴と私の上履きの音の対比はまるで「お前はまだ子供なんだ」と言っているようでした。確かにそうだと思いました。そう、私は子どものまま何も成長していない。そして今日もまた成長できなかった。もし私が成長できていたなら、今日みんなと同じ時間に帰れたはずでした。そしてみんなが奏でる喧騒に紛れて、こんな滑稽な上履きの音も聞かずに済んだはずでした。
「じゃあ、また明日ね」
上履きを脱いで外靴に履き直すと、そうホノカ先生に言われました。この"明日"という言葉が今の私にとってどれだけ空虚に聞こえるか、ホノカ先生には想像できないだろうと思いました。
私はその日、本当はクラスメイトたちにバイバイして帰りたかったのです。それから、帰り道が一緒の子を見つけて、途中まで一緒に帰りたかったのです。そして「また明日ね」と言って別れたかったのです。結局、その"明日"は私には来ませんでした。私は悔しくて、泣きたくなりました。でも、早くしないとみんなの下校時刻になってしまうので、早く帰らなくてはならないと思いました。私は顔を隠すようにお辞儀をしてホノカ先生に「ありがとうございました」と手短に応えて、玄関を出ました。
ちょうどその頃に、ホームルームが終わった喧騒が学校中から響きはじめました。私は振り向きざまに学校を見上げて、直射日光に目が眩みました。それから風が外の香りを運んできて、鼻にまとわりついていた保健室の消毒液くさい香りを流してくれました。そして澄んだ空気を肌で感じて、自分の周りだけか静寂に包まれていると実感しました。今朝私の中に積まれていたはずの重りは、全て砂になって飛ばされてすっかり空っぽになっていました。風に吹かれる制服は朝皺なくアイロンで仕立てたのに、くちゃくちゃの皺だらけになっていました。重りのなくなった私は、このまま風に吹かれてどこか誰もいないところへ飛ばされてしまいたいと思いました。
つづく
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