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新曲「安倍晴明」完成!千年経っても私たちは安倍晴明の手の平の上にいる。

新曲「安倍晴明」

ついに、新曲「安倍晴明」が完成しました

今回の制作は、これまでの「学べるMUSIC」シリーズの中でも、類を見ないほど過酷な時間でした。

完成した今、心地よい達成感と、それ以上の猛烈な疲労感に包まれています。

なぜこれほどまでに、私はこの人物に翻弄されたのか。

それは、安倍晴明という存在が、日本の歴史においてあまりにも特殊だからです。


史実と虚構の境界線

安倍晴明という人物を調べていくと、ある大きな壁にぶつかります。

それは、彼に関する記録のほとんどが「逸話」で塗り固められているという点です。

織田信長や徳川家康といった武士であれば、戦の記録や書状など、確かな足跡が数多く残っています。

しかし、晴明は違います。

式神を操った、死者を蘇生させた、呪いを打ち払った……。

語り継がれるエピソードの多くは、およそ人間業とは思えない超常的なものばかりです。

何が本当で、何が作り話なのか。

はたまた、そのすべてが真実だったのか。

調べていくうちに、境界線はどんどん曖昧になっていきました。

没後千年が経過した現代においても、私たちは未だに「安倍晴明」の手の平の上で踊らされているのではないか。

その底知れぬ魅力に抗えず、私は導かれるように制作に没頭していきました。


超高速ラップへの挑戦

「安倍晴明を形にするなら、これまでにないアプローチが必要だ」

そう考えた私が辿り着いた答えは、「類を見ない超高速ラップ」でした。

陰陽道の世界に触れてみると、そこには現代の言葉にはない、独特の響きを持つ単語が溢れていました。

「急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)」

「泰山府君祭(たいざんふくんさい)」

これらの、口に出しただけで空気が震えるような語彙を聴き手に叩きつけたい。 

その衝動が、今回の楽曲のスタート地点でした。

おどろおどろしくもスタイリッシュな単語をこれでもかと詰め込みました。

一瞬の隙も与えないスピード感で駆け抜ける、呪文の詠唱のような緊張感。

その表現だけに、すべての心血を注ぎ込みました。


映像制作という「沼」

楽曲以上に私を苦しめ、そして成長させてくれたのが映像制作でした。

今回は「超高速ラップに合わせて歌詞が表示される」という演出に極限までこだわりました。

たった2分の動画ですが、その1フレームのタイミングに全ての情熱を注ぎ込みました。

さらに、今まで使っていなかった動画編集アプリの機能をたくさん試してみました。

エフェクト、アニメーション、フィルター、タイポグラフィ……。

しかし、そのこだわりは諸刃の剣でした。

「よし、最高の演出だ!」とプレビューを再生した瞬間、画面がカクカクと固まりました。

凝りすぎたエフェクトに、デバイスが悲鳴を上げたのです。

そこからは、エフェクトを消したりアニメーションを控えめにしたり、削ぎ落とす作業の連続でした。

さらに、エフェクトを控えめにしても、次は「音ズレ」問題にぶち当たりました。

何度も何度も調整し、むしろズレる事を前提に作成したり…途方もない作業でした。

間違えなく、今までで一番、力を入れて作った作品です。


「学べるMUSIC」としての葛藤

こうして完成した「安倍晴明」ですが、正直なところ、自分の中で一つの疑問が浮かんでいます。

「これは果たして、コンセプトである『学べるMUSIC』なのだろうか?」

出来上がった映像を見返すと、もはや教育コンテンツというよりは、アニメの主題歌のように見えます。

一応、歌詞は実際に伝わる晴明のエピソードを元にしています。

しかし、そのエピソード自体があまりにも現実離れしているのです。

この「歴史とファンタジーの狭間」にある面白さについては、また別の記事で詳しく書くつもりです。

とにかく、今回は動画作りに力を入れすぎて、正直疲れ果てました。


蓄積されたノウハウ

動画作りを終えて、心身ともに消耗したのは事実です。

しかし、得たものは完成した一本の動画以上に大きかったと感じています。

編集アプリで「できること」と「できないこと」の限界を知ることができました。

完成した「安倍晴明」という作品以上に、自分の中に蓄積されたノウハウに価値がある気がします。

さて、次はどうするか。

今は少し、肩の力を抜きたい気分です。

次回作は、今回のような限界突破の挑戦ではなく、もう少しリラックスして楽しめる一曲にしようと思っています。

この情熱の結晶である「安倍晴明」、ぜひ皆さんの目と耳で確かめていただければ幸いです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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