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【日本史再入門】大人になって知った「知る喜び」—菅原道真と大阪天満宮

日本史再入門

「日本に生まれ、学校で日本史を習ったはずなのに、自分は何も知らなかった」

そう気づいたのは、大人になってからでした。

学生時代、歴史の授業は右から左へ通り抜けるだけ。

そもそも、一生懸命に勉強した記憶すらありません。

教科書に並ぶ文字を追うことさえしなかった私が、今、日本史の面白さにどっぷりと浸かっています。

きっかけはいくつかありましたが、その一つは菅原道真との出会いでした。


大阪天満宮の「人形」

数年前、ある資格試験の勉強をしていた頃のことです。

合格祈願のために訪れた大阪天満宮で、私の足は止まりました。

大阪出身の私にとって、そこは昔から馴染みのある「天満の天神さん」。

当時の道真公のイメージといえば、「九州に流された、なんか学問のすごい人」程度の、ぼんやりしたものでした。

しかし、境内の「菅家廊下」に展示されていた博多人形たちが、私の無知を鮮やかに撃ち抜きました。

そこには道真公の生涯がジオラマのように再現されていました。

華やかな出世から一転、無実の罪を着せられ、家族と引き離されて大宰府へ流される。

そんな波乱に満ちた物語が、人形を通じて生々しく綴られていたのです。

日本史に明るくなかった私は、その壮絶さにただ圧倒されました。

「えっ、この人、こんな人生を送っていたのか?」

教科書の文字では決して入ってこなかった一人の男の「熱」が、人形を通じてダイレクトに伝わってきた瞬間でした。


天神祭の真実

そこから気になって調べてみると、まさに「目から鱗」の連続でした。

一番の衝撃は、大阪の夏の風物詩である「天神祭」です。

子供の頃から当たり前のように楽しんできたあの賑やかな祭りが、実は菅原道真公の命日に執り行われる鎮魂の儀式であったこと。

私はそんな基本的なことすら、何も知りませんでした。

大阪天満宮がこの地に立つ理由も、道真公が大宰府へ向かう途中にこの地で旅の無事を祈ったという伝説に紐付いていました。

今まで「ただそこにある風景」だった当たり前の景色が、一瞬にして血の通った「物語」へと変わっていく。

この感覚は、何物にも代えがたい快感でした。


なぜ、今も花火が上がるのか

天神祭のクライマックスを彩る、あの華やかな「奉納花火」。

なぜ、学問の神様のためにこれほど派手な演出が今も続いているのか。

そこには、かつての大阪の人々が、道真公の強大なエネルギーを「街を活気づける力」に変えようとした、熱烈な敬愛と祈りがありました。

私が勝手に抱いていた「静かに亡くなった学者」というイメージは、大阪の街で何百年も受け継がれてきた「派手で賑やかなおもてなし」によって、鮮やかに塗り替えられました。


「知ること」の連鎖が止まらない

道真公の生涯を知ったことをきっかけに、私の世界の見え方は少し変わりました。

一つを知ると、点と点が繋がり、線になります。

線が増えれば、今まで見過ごしていた街の角々にある石碑や神社の名前が、急に意味を持って語りかけてくるようになります。

同じような「目から鱗」の出来事が、他にもたくさんありました。

大人になってからの学びには、試験のための暗記にはなかった「納得感」と「発見の喜び」があります。

勉強が嫌いだった頃には想像もできなかった、知的好奇心が満たされる瞬間の高揚感。

それを知ることができたのは、私にとって大きな財産です。


私が「花火」に託した思い

私が道真公の物語を綴るなら、最後の大サビには必ず天神祭の打ち上げ花火を描きたい。

「学問の神様として、今でも太宰府に大勢が参拝している」

という教科書的な結末ではなく、私はどうしてもあの派手な花火の映像に、自分自身の学びの体験を投影したかったのです。

左遷され、孤独の中にあった道真公。

その彼が千年の時を経て、大都会の夜空をこれほどまでに派手で、美しく、力強い光で埋め尽くしている。

その圧倒的な光景は、私の「何も知らなかった」という暗闇に、知る喜びという名の火が灯った瞬間の衝撃そのものでした。

日本史は、こんなにも面白い。

大人になった今だからこそ見える景色を、これからも一つずつ丁寧に探していきたいと思います。


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