“タグ”がなくなっても、わたしはわたしだって思えた話
最近、自分に“名前”がなくなったような気がしている。
ラベルのない瓶のようだ、と思った。
中身はちゃんとあるのに、ラベルが剥がれただけで、急に“自分”がわからなくなる。
「理学療法士」という肩書は、わたしにとってひとつのタグだった。
でもそれを手放してから、残された私は、なんと名乗ればよいのだろう。
そんなことを考えていたとき、尾石晴さんのVoicyで「自分のタグを整理する」というテーマが流れてきた。
わたしには、どんなタグがあるのだろう。
そして、それは誰が決めるものなのだろうか。
少し前までは肩書があった。
“理学療法士”
でも、いまはそのタグは取れてしまった。
強いて言えば“元理学療法士”になったわけだ。
“元”じゃなくて“今”を表すのタグはないのか?
考えてみることにした。
これを考えるにあたり、ふと思い出した絵本がある。
わたしの大好きなヨシタケシンスケさんの「ぼくのニセモノをつくるには」という絵本だ。
この本には、ロボットに自分の偽物になってもらうために自分のことを説明していく様子が描かれている。
自分について俯瞰してみるのにすごくいい絵本だと思う。
息子と一緒に自分が好きなものやこと、嫌いなものやことについて書き出したこともある。
今の私のタグはこんな感じだろうか
・主婦
・小学生男の子ママ
・無職
・うつ病治療中
・コーヒー好き
なんだか味気ない気がしてきた。
やはり、職業がないからなのだろうか。
いつか、「職業:ライター」とか書けるようになりたい。

他人から見た自分はどうなのか?
他人目線の自分も面白い。
尾石晴さんのVoicyでも、「自分で思っているタグが他人から見たら違うことがある」と話していた。
そういう意味では「他己紹介」というのも面白いなと思う。
家族でお互いを紹介し合うと、違う自分が見えてくるかもしれない。
息子に「ママってどんな人?」と尋ねた。
「忘れん坊」
私のタグは“忘れん坊”だった。
忘れてはいけないタグを忘れていた。
まさに“忘れん坊”だ。
私からは見えていないタグがきっとたくさんあるのだろう。
たとえ、はっきりとしたタグが見つからなくても。
誰かに説明できるような名前がなくても。
いま、ここにいる私は、たしかに私なのだ。
それだけで、きっと十分だと思う。

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