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【小説・ヴィーナス症候群】〔287〕精巧な義足なのに

 交通事故で両脚を失った女子高生・定平史那の義足は、「いつできるか分からない」と期待を持たせすぎない言い方を本人にはしていた。(274

 ところが、意外に驚くほど早く仕上がった。
 最新のエピテーゼ技術を活かした、義肢装具士・碓氷の自信作だ。
 見た目は生身の足と寸分違わない。肌の色味、血管の浮きまで再現され、歩行機能にも問題はなかった。

 その日、試着に訪れた史那を見て、このサイセイ義肢で働く義肢着装支援従事者、いわゆる「トルソーさん」の割出結菜が歓声を上げた。
「史那ちゃん!すごいじゃない! 全然義足に見えないよ!」

 しかし史那は、満足そうではなかった。
「こんなんじゃないです」

「どうして? これ以上の義足は、どこの義肢メーカー行っても無理だよ?」と結菜が首をかしげる。

 史那は少し考え込んでから、ぽつりと口を開いた。
「だって、結局は義足であって、生身の足が戻ってくるわけじゃないじゃないですか。たとえばですよ? どこかのかっこいい男子といい感じになります。さあホテルかどっか行きます。そこで――『ゲゲーッ!お前、足ねえのかよ!』ってなるじゃないですか」

「……まあ、なるかもしれないよね」結菜は正直にうなずく。

「だったら、そんなこと言う奴は最初から近寄らないように、『私義足なんです。それでもいいですか?』って、メカメカしい義足の方がよくないですか?」

「なるほど〜。そういう発想か……」結菜は目を細め、むしろ感心したように笑った。

 史那が帰ったあと、碓氷は溜息混じりに言った。
「まあ、コスメチックカバーが気に入らないなら煮るなり焼くなり好きにすればいいよ。ところで……あの子の事故のこと、週刊誌に載ってたけど、結菜ちゃんも見る?」

「え、見たいです」

 碓氷が差し出した雑誌には、蕨市内の国道17号での事故が大きく取り上げられていた。

📰 「反省の色なし」――女子高生をはね両足切断させた“ヒゲキ君”の素顔

蕨市内の国道17号線で女子高生が車にはねられ、両脚切断という痛ましい事故となった。

被害者は川口市内の県立高校に通う3年生の Fさん(17)。同級生によれば「趣味はコスプレで、衣装を着て写真を撮ったりイベントに参加したりする、ごく普通の明るい子」だという。事故の前日も友人と制服姿のまま雑談し、「将来はまだ分からないけど、どこかに就職できればいいかな」と笑っていたという。

事故は夕刻、蕨市内の交差点で起きた。信号を無視して突っ込んできた乗用車が、横断歩道を渡っていたFさんをはねたのだ。病院に搬送されたものの、両脚切断という大怪我となり、高校生活は一変した。

加害者として現行犯逮捕されたのは、さいたま市岩槻区に住む会社員・留田茂樹容疑者(31)。
勤務先は岩槻の国道沿いにある建材会社だが、職場での評判は芳しくない。
「とにかく愚痴が多い。『俺はちゃんとやってるのに、周りのせいで損する』が口癖で、若い社員も関わりたがらなかった。陰では“ヒゲキ君”と呼ばれていました」(同僚)

社長も厳しい。
「俺は何度も言ったんです。『そんなにうちが負け組だとか言うんなら、もっといい会社に行ったらどうだ』って。でも誰も雇わないから結局うちみたいな所にいるわけですよね。卑屈な性格で、若い連中も一緒に現場へ行くのを嫌がってたよ」

取り調べでも反省の色は見られない。
「なんで俺だけが悪いんだ。前を走ってた車が挑発するような運転をしたから追いかけただけだ」と繰り返し、責任を他者に押し付ける姿勢を崩さない。

ある警察関係者は言う。
「典型的な“被害者意識”の強い人物です。『俺の人生が狂わされた』という言葉を何度も口にし、被害者の少女やその家族への謝罪は一度もない」

Fさんの担任教諭はこう話す。
「ごく普通の女の子です。少し天然で、クラスでは笑いの絶えない存在でした。事故の知らせを聞いた時は耳を疑いました」

勉強、友人関係、そして趣味のコスプレ――すべてが突然に奪われたFさんの青春と、「俺だけが悪いのか」と開き直る加害者の姿勢。事件の行方を注視するしかない。

「これは……加害者の男がドクズですね」
記事を読み終えた結菜が顔をしかめる。

碓氷は肩をすくめた。
「まあ、割とどこにでもいるもんだ。サイセイにだって昔いたよ。俺は嫌われてる、俺をバカにした……まあ、実際バカだったけどな」

工場に冷たい空気が流れた。義足はどこまでも精巧で美しい。だが史那にとっては、それが“幸せの証明”になるわけではなかった。

夕方、サイセイ義肢を出た瞬間、頬に冷たい雫が落ちた。
「え、今日雨だっけ?」

割出結菜は小さく眉を寄せて、傘もないまま駆け足になる。
街路樹の葉先から絶え間なく滴が落ち、アスファルトには無数の水紋が広がっていた。

近くのカフェの明かりを見つけて飛び込み、ガラス扉を閉めると、外の雨音が少し遠ざかる。
中は蒸気とコーヒーの香りに包まれ、ひと息ついたところで、壁際のテレビが目に入った。

「続いてはお天気です。関東地方では今夜から広い範囲で雨となるでしょう。雨の夜は視界が悪く路面が滑りやすくなります。車の運転はスリップにご注意ください。雨のピークは深夜にかけて――」

画面には首都高のライブ映像と、傘マークが並んだ天気図。キャスターの明るい声が店内を和ませている。

義手の肩口から落ちた雫がブラウスに丸い染みをつくり、それを指先で拭おうとしてやめる。

窓の外では、ヘッドライトが雨粒を切り裂き、濡れた街路を光の帯が駆け抜けていく。
彼女はコーヒーを両手で抱え、雨に塗り替えられた夜の街を見つめた。
「雨の夜か……こういうのも悪くないかもしれない」


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