夢の世界一周中に死にかけた... -自己紹介③-
自分が1番
「今、なんか生きてるわ〜!」
って感じる瞬間、ありますか?
僕には明確にその答えがあります。

2年間住んだ思い出のオーストラリアを後にし、
ついに夢だった"世界一周"が始まった。
所持金は45万円だけやけど、
「まぁ......なんとかなるっしょ!」
・まだ誰もやったことないこと
世界一周のスタートは、
大学生の頃に何度も旅したアジア。
マレーシアを皮切りに、
タイ→ラオス→シンガポール→カンボジア→タイ→ミャンマー→インドへと進んでいく。
ちゃんとしたスケジュールは立てず、
その時の流れに身を任せて移動していく。
ただ、最後に自分のルーツがある国
"トリニダード・トバゴに行く"
それだけは決めていた。
移動は基本、圧倒的に安い陸路。
どうしても飛行機に乗る時はLCC一択。
LCCの機内持ち込み手荷物は7kgまで。
バックパックは15kg以上ある笑
そういう時はこう↓

バックパッカーは
"いかに安く世界を周れるか"
そこが命。これで周れる国の数が変わってくる。
ご飯はレストランなんて行かない。
常にローカルの屋台飯。
3日間、お菓子しか食べてない日だってざらにあった。
(僕はもともと少食だし、ボクシングの時に減量してたから余裕だった)
世界一周する中で、
1番費用がかかってくるのが宿代。
治安の悪い国もある中で、流石に野宿するわけにはいかない。
夜行バスや寝台列車で寝ながら移動するか、
よく使ってたのがカウチサーフィンというアプリ。
地元の人のお家に無料で泊めさせてもらえる。

ブラジルからタイ語留学にきてたラファエルの家
タイに2回入ったのは理由があって、
予防接種を受ける為。

南米やアフリカには、
黄熱ワクチン接種証明(イエローカード)を
持っていないと入国できない国があるし、
やはり病気だけは怖い。
1回目は3発、2回目は4発打った。
一気に打ちすぎたのか、
1回目の時は病院で倒れた笑
オーストラリアで見つけた
「子どもに特化した、ボクシングジムを作る」
という目標。
この旅のテーマは
「世界中のボクシングジムを巡る旅」
すなわち、各国のジムを"道場破り"していくこと。
街を移動したら、
まずGoogle Mapで「ボクシングジム」と検索。
ヒットしたところに、アポなしで行って練習させてくださいとお願いする。
そんな旅をしていた。

冒頭の質問に戻るけど、
皆さんには、
「今、生きてる」
って感じる瞬間はありますか?
僕にとってのその答えは、
"今まで誰もやったことないことをやってる時"
写真を撮りながら、路上で絵を描きながら、はたまた自転車で、、、などなど
「⚪︎⚪︎しながら世界一周しました」って人は、
SNSが盛んじゃなかった当時もたくさんいた。
でも、
グローブ片手に世界中のボクシングジムを道場破りしながら旅した人は、世界中探してもたぶんいない笑
僕にとってこの旅は本当に刺激的だった。
ボクシングじゃなくても、格闘技ならなんでもOK。
タイの格闘技といえば、やはりムエタイ。

アジアで印象に残ってるのは、
ミャンマーのラウェイのジムでの練習。

ラウェイは世界で最も過激な格闘技と言われ、
素手、頭突きあり、金的あり、肘も膝もなんでもありで、KO決着以外は全て引き分けというとんでもないルール。

そして、もう1つのテーマが、
「ボクシングの楽しさを伝える旅」
グローブとミットを持ち歩き、
色んな国の子ども達にボクシングを教えた。

ボクシングって世界中の誰もが知ってるけど、
実際にやったことある人は多くない。
だから子どもから大人まで、
どこの国に行っても大人気やった。

ボクシングというスポーツを選んで、
続けてきて、本当に良かったと何度も思った。
ちなみに、僕がこの世界一周中に
襲われたり、物盗まれたり、一度も危険な目に遭わなかったのは、
バックパックの横に常にボクシンググローブを吊るしてたからやと思ってる。
そりゃ悪い奴だって、
わざわざ強そうなやつは狙わへん。
旅中に出会った日本人の中には、
車や路地裏に連れていかれてボコボコにされたり、
睡眠薬を盛られて盗難にあった人もいた。
世界では未だに日本人=お金持ち+平和ボケしてるというイメージはあると思う。
たとえボクシングはできなくても、
防犯グッズとしてボクシンググローブはおすすめ!







道場破りと並行して、
アジアの観光名所も次々に周っていった。
・持つべきものは友達
インドまで到着すると、
オーストラリアの時から計画を立てていた
キャンピングカーでアメリカ横断の為に、
インドからネパール→中国を経由して
アメリカへ向かった。

オーストラリア時代の友達や、Facebookでメンバーを集め、なんとか7人集まった。
ロサンゼルスからニューヨークまで、
丸々1ヶ月かけて向かった。
(運転できるのは7人中、僕ともう1人だけだったので、ほぼ運転してた思い出)

僕はお金もなかったし、まだまだ先も長い。
そもそもアメリカはボクシング大国だし、
ここでたくさん行かなきゃ意味がない。
皆んながディズニーランドに行ってる間も、
僕だけはボクシングジムに行っていた。


アメリカ横断の後半、
お金が底を尽きかけていた。
やはり45万円じゃ足りなかった...
しかもまだ、
1番行きたい南米やアフリカ、
そしてトリニダード・トバゴにも行けてない。
「まだここで終わるわけにはいかない」
悩みに悩んで、
最後の手段として思いついたのが
"クラウドファウンディング"だった。
当時はまだ一般的じゃなく、全く未知の世界。
支援ページを作り始めたが、NGワードや言い回しなどの審査も厳しく、何度も何度も作り直した。
毎日眠気と戦いながら、夜な夜なスマホに向かい続けた。
ようやく審査が通り、
公開できたのは、アメリカ横断が終わる3日前。
この先、世界一周を続けられるかは
この3週間にかかっている。

プロジェクトの期間は3週間だった
クラファンがスタートしたその夜、
"支援者が現れました"と、スマホに通知が届いた。
「ジェシージムの1号会員予約しとくわ。」
そんなメッセージと共に、
地元の友達が支援してくれた。
ただただ、嬉しかった。
そこから3週間、次々に
応援メッセージと共に、支援者が現れた。
最終的に3週間で、支援者は62人
集まった金額は418,000円
クラウドファウンディングは成功した。

クラウドファウンディングを始めた時、
僕は"どこかの知らない金持ちのおじさん"が、
若者を応援するものだと勝手に思いこんでいた。
けど、違った。
この62人は
地元の友達、高校の友達
大学の先輩、後輩
セブ島、オーストラリアでできた友達
家族、友達の親御さんまで、
全員が僕の"知ってる人"だった。
2回、3回って何度も支援してくれた人もいたし、
⚪︎万円という大きな金額を支援してくれた人もいた。
「友達が頑張ってます!」ってSNSでシェアしてくれた人もたくさんいた。
僕は支援してくれた方達に、
今までお金を渡したことなんてないし、
ましてや自分と同年代なんて
まだ社会に出たばかりで経済的な余裕があるわけではなかったと思う。
せやのに、
こうして僕のやりたいことに力を貸してくれてる。
支援と一緒に届く皆んなからのメッセージを見て、
毎回胸が熱くなった。
1人で世界を旅してて、
何をするにも孤独な毎日だったけど、
「これだけ応援してくれる人がいる」
「1人じゃないんや」
って、気持ちの面でも勇気づけられた3週間だった。
クラウドファウンディングが終わった日は、
旅を続けられる嬉しさと達成した興奮から、
高熱でぶっ倒れた。
と、思ってたが
この高熱で僕は死にかけることになる。
・ボクサーとして夢のような体験
話はアメリカ横断直後に戻る。

クラウドファウンディングをスタートさせた後、
アメリカ横断を終えてからメキシコ→キューバと、
所持金がいつ底を尽きてもおかしくない恐怖と共に旅を続けていた。
アメリカに続いて、メキシコもボクシング大国。
ボクシングジムもたくさんあったので、色んなジムで練習させてもらった。





そんな中、いつも通りGoogle Mapで「ボクシング」と検索すると、"WBC"の本部が近くあるのを発見した。
※WBC=世界チャンピオンを認定する団体。
サッカーでいうところのFIFA。
ボクシングに関わる人なら、誰もが知っている名前。
せっかくなら見学に行ってみよう!
到着すると、見た目はちょっと大きめの普通の家。
ほんまにここか?と思いつつ、
ドアも開いてないし、中は入れない感じ。
と思ったその時、
ちょうど中から胸に"WBC"のロゴが入ったおっちゃんがでてきた。
やっぱりここなんや!
「すいません、中って入れます?」
と、聞いてみたが
「別に中、なんもないで」
と言い、おっちゃんは去っていった。
やっぱ入るのは無理やったか...と諦めかけた時、
そこにいた警備員のおっちゃんが
「入り入り〜」と言ってくれた。
(今思えば、
彼にそんな権限があったのかはわからない笑)
オフィスに入らせてもらうと、
スタッフの皆さんが丁寧に案内してくださり、
何から何まで全部説明してくれた。


そこには憧れの"緑のベルト"もあった。

「全然持ってええで〜」
ええええ!?!?マジですか!?!?

まさか自分がこれを持つ日がくるとは笑
人生なにが起こるかわからない。
さらに、
普段はいないマウリシオ会長までその時はいた。

「ボクシングやってて、日本から来たんです。
ボクシングジムを作る為に、世界中を周ってます」
それを伝えるとマウリシオ会長は、
「ブラボー!応援してるから頑張ってね!」って
WBCのTシャツや帽子、キーホルダーやステッカーまでプレゼントしてくれた。

さらにさらに、
「今度、世界チャンピオンが集まるイベントがあるからおいでよ!」と、
イベントの招待までしてくれた。

WBCの世界チャンピオンたちが集まっていた
「これ...ほんまに現実なん?」
と疑うほどの体験だった。
メキシコ生活ではカウチサーフィンをフル活用し、
移動も全てローカルのバス(20円)と地下鉄(25円)を利用した。
そんな超節約生活の中でも
メキシコの人たちは本当に優しくて、
カラオケパーティーやホームパーティーに
無料で招待してくれた。



酔っ払って1人で歩いて帰ってると、見知らぬ人たちがタコスを奢ってくれたりなんかもした。

メキシコに住んでいる日本人の方々にも
当時はとてもお世話になった。


久しぶりの日本食は、たまらなく美味しかった。
そんなメキシコシティでの
人に恵まれすぎた時間を終えて、
次に向かうのは"カリブの楽園、キューバ"
キューバ行きの飛行機がメキシコシティ発ではなく、メキシコ国内のメリダという場所だったので移動した。
予約した飛行機は早朝発だった為、
いつものように空港泊。の、つもりだったが、
メリダの空港は午前3時から午前6時の間は、閉まるらしい...
空港から追い出されたが、
「空港の目の前なら大丈夫か」と思い、そこで寝た。
朝起きると全身蚊に刺されまくっていた。
・あなた、死んでましたよ
キューバのハバナはもう最高だった。

真っ青な空に、エメラルドブルーの海。
街中を走り抜けるアメ車に、建物はヨーロッパ風の建築ばかりで洒落てる。



常にどこからか聞こえてくる音楽に、仕事中でも関係なく、昼からラム酒を飲んでる陽気な人々。
一瞬で大好きになった。
そして、
ハバナでカウチサーフィンした、アニータには本当にお世話になったのを覚えてる。

孫がいるとは思えないくらいパワフルで、いっつも歌って踊ってる笑
滞在中はいつもご飯を作ってくれて、ハバナの街も案内してくれた。

この笑顔が最高


キューバもこれまた、ボクシング大国。
ボクシングジムにも毎日欠かさずお邪魔した。


みんな高校生の頃の僕より上手かった笑

オーストラリアでお世話になった
"CUBAN BOXING CLUB"のボスのことを皆んな知っていて、快く受け入れてくれた。

キューバのオリンピック代表やったって言ってた気がする
キューバ最終日
移動費を抑えたくて、街から空港まで重いバックパックを背負って3時間歩いた。
歩いてる時は大丈夫だったけど、
空港に着いた瞬間に倒れそうになった。
さすがにこの暑い中、3時間も歩いたから
そりゃ身体も疲れてると思い、あまり気にはしてなかった。
キューバからまたメキシコに戻り、そこから中米を南下していく予定。
飛行機はカンクンの空港に到着し、
予約していた市内の安宿へ向かおうとした。
最初は乗り合いバスで向かおうとしたが、
さすが、カリブ海屈指のリゾート地。
乗り合いバスですら料金が高い...
仕方なく、また歩いて向かうことにした。
道路真横の道なき道を進んでいく。
1時間、2時間...
頭はボーッとするし、なんだか身体に力が入らない。
いつもなら節約の為にどれだけしんどくても歩く。
でもこの時だけは、本当に無理だった。
遂に一歩も動けなくなり、タクシーに乗った。
ちょうどこの日はクラウドファウンディングの最終日。
「無事に達成できて、興奮しすぎで熱でたかな?」
宿のベッドに横になり、
治るまで少し安静にしようと眠った。
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そこから数日間、
24時間、頭は割れそうに痛いし
起き上がることもなかなかできない。
インフルエンザのもっとキツい版みたいな感じ。
日本を出る時におかんとした唯一の約束。
"海外旅行保険に入ること"、これを使う時がきた。
おかんに熱があることを連絡し、
保険会社とやりとりしてもらった。
翌日、アインシュタインみたいな病院の先生がきて
錠剤を1つだけ渡された。
「これを飲めば大丈夫」と。
「ほんまかいな」
全然ほんまじゃなかった笑
症状はどんどん酷くなる一方で、
次第に目も見えなくなってきたし、
幻覚まで見るようになってきた。
この辺りの記憶は途切れ途切れで、あんまり覚えていない。(ほんまに身体が限界やったんやと思う)
そんな時、コスタリカにいる"ある方"から連絡をもらった。
その方は僕の地元の友達の親戚のおじさんで、
1年の半分は日本、半分はコスタリカに住まわれているという方だった。
その地元の友達のおかんと、僕のおかんは仲が良いから、そのおじさんまで話が届いたんだろう。
もちろん、お会いしたこともなかったが、
「航空券は全部私が手配してあげるから、今すぐコスタリカに来なさい」と、言っていただいた。
そこから自分がどうやってカンクンの空港に向かったのか、どうやってチェックインしたのかは全く覚えていない。
コスタリカに着き、
空港までお迎えに来ていただいていたおじさんに連れられ、そのまま病院へ直行した。
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「あと1日病院来るのが遅れてたら
あなた、死んでましたよ」
医者からそう言われた。

病名は「デング熱」
おそらくメリダで蚊に刺されまくったのが原因。
デング熱の潜伏期間は一週間だから、キューバにいた期間は潜伏してたんだと思う。
デング熱に加えて栄養失調も原因だった。
確かにカンクンの宿に着いてからの数日間は、ご飯も食べてないし、水もほぼ飲んでない。
なんとか一命は取り留めたものの、
医者からは"世界一周の禁止命令"がでた。
どうしても続けるのならば、
①1度、日本に帰る事
②2〜3ヶ月は療養すること
が、条件だった。
せっかくクラウドファウンディングで皆んなが応援してくれた直後だったので、悔しさと申し訳なさが入り混じっていた。
・強制帰国
そこから約10日ほど、おじさんの家での療養生活が始まった。
最初は食欲も全くなく、身体は痩せ細り、
1日中、布団で横になっていた。
が、徐々に回復し、ご飯も食べれるようになった。
身体が動くようになってからは、サン・ホセのマーケットやレストランにも連れて行っていただいた。


この人がいなきゃ、僕は確実に死んでた。
でも、そんなおじさんにさらに心配をかけてしまう。
療養生活も数日が経ち、体力も徐々に戻ってきた僕は「パナマに行きます!」と伝えた。
「ダメだ、休んでなさい」と、何度も言われたが
僕は折れなかった。
身体は万全じゃなくても、
クラウドファウンディングで応援されたことに応えなあかん。
その想いが強く、隣の国のパナマへどうしても行きたかった。(パナマもボクシングが強い)
おじさんの反対を押し切り、半ば無理矢理
夜行バスでパナマに向かった。



※WBA=これまたメキシコのWBCと同じで、世界チャンピオンを認定する団体。
今思えばとんでもない奴や。
散々お世話になり、心配いただいたのにも関わらず、自分勝手すぎることをしてしまった。
その節は、本当に反省している。
パナマからまた夜行バスでコスタリカへ戻り、
助けてくれた皆さんにお礼を伝えた。
まだまだ旅は続けたいけど、
1度帰るしかない。
"悔しさ"と"やりきれなさ"と共に、帰国便に乗った。

デング熱の時の記憶はあまりない。
でも、1つだけ言えることは、
「まさか自分が熱くらいで死ぬはずがない」
あの時は絶対にそう思ってた。
あと1日病院に行くのが遅かったら死んでた。
「人間って、案外コロッと死ぬねんな」
そう思った。
じゃあ、いつその時が来てもいいように、
自分の今やりたいことはやりきろう。
改めてそう思えた、良い経験だったと
今となっては思える。
(生きてるから言えることやけど)
旅は一時中断はするが、
「まだ、僕の世界一周は終わってない」
必ず、すぐに再スタートすることを誓って、
11月の日本へ帰った。
2019年11月。
この時はまだ、
世界中がロックダウンになるなんて
マチュピチュに閉じ込められることになるなんて
そしてそこで自分の人生が大きく変わるなんて
僕はまだ知らなかった。
