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所持金3万円、英語力0で飛び込んだ海外生活 -自己紹介②-


1話はこちらから


「あっつ〜」


湿った空気。
周りから聞こえてくる英単語。
財布には僅か3万円。

フィリピン・セブ島に着いた。

セブ島の海、綺麗すぎ



新卒で就職するという、
“普通のレール”を自分から外れた。

帰ってからが大変なのは覚悟の上。
「もう後戻りはできない」

ここで英語をマスターして、
オーストラリアで稼いで、
世界一周の夢を叶えて帰るぞ!
と、この時はまだ意気込んでた。


・優等生だった最初の1ヶ月


僕が通ってたのは、セブ島のITパークにあった
「NILS」という語学学校。
(たぶん今はもうない)

平日は毎日、
朝8時からお昼12時まで、4時間の授業。
授業はマンツーマンで、
1時間ごとに「How are you Jesse!!」
ってフィリピン人の先生が交代で入ってくる。 

1番仲良かった先生、カレン



最初は先生も何を言ってんのかわからへんし、
話したくても単語がわからへんしで大変。

でも、徐々に耳が慣れていって、
少しずつやけど先生とコミュニケーションがとれるようになってきた。


僕は最安プランの4時間授業のコースだったので、
昼からはフリー。

この時間も英語の為に有効活用したくて、
外に出て、
警備員のおっちゃんとか、その辺にいるフィリピン人と話して英語に慣れた。

宿の近くにあるボクシングジムにも通った。

フィリピンでは、ボクシングが大人気。
マニー・パッキャオが国民の英雄。

世界チャンピオンの練習パートナーしてたらしい


ジムに行くたびにトレーナー達と戦った。
さすがフィリピン人、強い。

当たり前だけど、ボクシングは世界中どこでも同じルールやし、パンチの名前も全部一緒。
英語が下手くそでも、ボクシングになれば全然コミュニケーションがとれる。

「スポーツって世界中どこでも同じなんや」
ってことを知った。

スポーツは、
言葉を超える最強のコミュニケーションツール
だと思う。


休日は、学校のメンバー達とセブ島を観光した。
その中でも、タクヤとはよく遊んでた。

タクヤくん(当時22歳)


タクヤは同い年で、新卒で消防士。
消防署に配属されるまでの1ヶ月間で留学にきてた。

NILSの生徒達の寮は3人部屋で、タクヤも一緒だったので、授業の時間以外はよく一緒にいた気がする。

でも、セブ島は入れ替わりが激しい。
半年とか1年いる人もいれば、1週間で帰る人だっている。

タクヤも仕事が始まるから、1ヶ月で帰国した。
帰っても安定の仕事があるのが羨ましかった。

セブ島留学は入れ替わりが激しい



最初1ヶ月を終えて、
英語も良い感じに上達してきてるし、
週末遊ぶのも楽しい。

先生達からは"イケメン"と呼ばれ、
セブ島ライフを満喫していた。


奴らが来るまでは...

・英語は結局"慣れ"


NILSには毎週月曜日に新しい留学生が入学してくる。

その日の入学オリエンテーションは、
先生達がザワついていた。

なんやろなと思って教室を見たら、

やたら男前な3人がいた

左からホウリュウ、リョウくん、タクマ兄やん
(H&Mの袋持ってるのは先生)


このイケメン3人集に、
先生達は釘付け。

僕のNILSでの"イケメン枠"は一瞬で奪われた。

ほんで全員高身長っていう



リョウくんはタクヤが抜けたベッドに来たから、
同じ部屋。しかもまた同い年。

そりゃ仲良くなる。

そこに、16歳で社長してるリョウジも加わって、
完全にパリピ軍団が出来上がってしまった笑

リョウジとリョウくん



セブ島留学の面白さは、英語だけじゃない。

10代もいれば、おじいちゃんもいる。
意外に30〜40代も多い。
今まで日本で生きてきて交わってこなかった人達と
同じ寮で、同じ飯を食って、共に生活する。
色んな年代と話せて、そこから学ぶことも多かった。


パリピ軍団が来てからは、
もう毎週末、朝までクラブ。
途中からは、平日も関係なくほぼ毎日行ってたと思う笑

ほぼ毎回、記憶ない



間違いなく人生で1.2を争うくらい遊んだ2ヶ月。

英語の勉強も、学校以外ではしなくなった。

でも、不思議なことに、
英語はどんどん理解できるようになっていった。

最初の1ヶ月と、遊び呆けた2ヶ月。
勉強量はまったく違う。

それでも、

平日は毎日4時間、マンツーマンで英語を話して、
遊ぶ時も、フィリピン人とは英語で話す。

先生たちともだいぶ仲良くなった



新しい単語が増えたわけではない。
文法のコツを掴んだわけでもない。

でも、

“英語で話すこと”が当たり前になっていた。

正直、文法なんてぐちゃぐちゃでもいい。

一生懸命伝えようとすれば、全然伝わる。

そして、本当にネイティブが普段から使う英語は、
遊びから覚える。


結局、

英語って、
“勉強”じゃなくて、“慣れ”やと思う。


もちろん、
ビジネスで使いたい人や、TOEICを取りたい人は違う。

でも、

少なくとも僕みたいに
「世界を旅してみたい」とか、
「ワーホリしてみたい」っていう人にとっては、

英語が流暢に話せるかは、そこまで重要じゃない。

もし今、

「英語話せないから…」って理由で
海外に行くのを迷ってる人がいるなら、

一回、飛び出してみてもいいと思う。

正直慣れるし、なんとかなる。

英語も、生活も、遊びも、
良くも悪くも人は環境で変わる。

セブ島で学んだのは、
語学よりも、
このことやったかもしれん。

23歳の誕生日も祝ってもらった
セブ島に行かなきゃ絶対にみんな会ってない



セブ島生活の前半と後半、
どっちが正解やったかは分からへん。

でも一つだけ確かなのは、

日本を出た3ヶ月前の自分より、
“英語で生きること”に慣れていたこと。

無事にNILSを卒業して、
次の環境、オーストラリアに向かった。

・ピザか、ブロッコリーか


セブ島留学から、
オーストラリアでワーキングホリデー。

当時はこれが“王道ルート”だった。

NILSのメンバーの中にも、そのままオーストラリアに行く人がいっぱいいた。

その中では珍しく、
オーストラリアでワーホリを終えてから、セブ島留学に来てた"逆輸入型"の人がいた。

その人の元職場に連絡してもらい、セブ島にいる時点で"ドミノピザ"と"ホテルのハウスキーピング"の仕事をゲットしていた。

セブ島で所持金が尽き、
残りクレジットカードの利用枠が10万円をきっていた僕は、オーストラリアに着いたらすぐに仕事を始めるしか道はなかった。

これはツイてる!
仕事探しせずに、すぐに働ける。
と、安心しきっていた。

向かう先はブルーム。

ブルーム、あまり聞き馴染みのない地名だった


まずはフィリピンからシドニーへ、
シドニーからパースに飛んで、
そこからバスでブルームまで。
フィリピン→シドニー→パースの航空券を購入した。

シドニーの空港に到着すると、
日本でワーキングホリデーのことを教えてくれた先輩に、

「今からワーキングホリデーが始まります!」

ってことを報告したくて電話した。
そこで、セブ島で既に仕事をゲットしたことも話した。

すると、とんでもない言葉が返ってきた、、、


「そんな仕事稼げへんから絶対やめとき」

「ハウスキーピングなんて、仕事ない人がやるやつやで」


僕もこの後、丸々2年間オーストラリアで
ワーキングホリデーを終えてわかった。

ワーキングホリデーは仕事によっては全然稼げない。

日本より物価の高いオーストラリアは、確かに給料が良い。でもその分、生活費も高い。

仕事によっては日本と同じ、もしくはそれ以下のお給料のところだってある。
そうなれば、結局貯金を崩していくしかない。
お金が底を尽きて生活できず、帰国ってパターン。

「マジっすか...どうしたらいいですかね?」

「うちの彼氏があと1週間ワーホリでオーストラリアに残ってるから、そこいったら?」
「ブロッコリー、めっちゃ稼げるで」


考えた。


せっかく、セブ島にいる時点で手に入れた仕事。
到着後すぐに働けて、お金が底を尽きることからは一旦は逃れられる。

でもよく考えたら、
ピザ売ったり、ホテル掃除するより、

ブロッコリー刈る方がなんかおもろそうやん!(直感)

「先輩、そっち行きますわ!」
(ブルームを紹介してくれた人にはちゃんと説明して謝りました)

シドニーからパースまでの飛行機チケットを捨て、
直ぐにシドニーの街で長距離バスを探した。

シドニーの街中を駆け回ってバスを探した


夜行バスに乗り、
10時間かけてシドニーからブリスベンへ。

オーストラリアの長距離バスといえば「グレハン」


バスを乗り換え、ブリスベンから1時間ほど内陸にある、"ガトン"という街へ向かった。

後から考えると、あの時の直感は冴えてた。
今でも自分の直感は1番信じてる。


ここからついに、ワーキングホリデー生活が始まる。

・月50万円


ガトンに着くと、まずは紹介していただいた彼氏さんにお世話になった。

仕事の探し方から、家の情報まで色々教えてもらった。
ほんの数日でしたが、大変お世話になりました。

ガトンはファーム(農業)の街で、
この街にくる人はファームで働く為にくる。
ワーキングホリデービザは通常1年間のみだが、ファームで88日以上働けば、2年目のビザがもらえる。

僕がいた時は最大で2年だったけど、
今は3年目もいけるらしい。

仕事を始める前に、まずはお給料が振り込まれる為の銀行口座を作らなければいけない。

銀行に行き、セブ島で培った英語で、
銀行口座を作ろうとした。

「$%&*@!$%&*@!」

「は?」

全く何言ってるかわからへん笑

セブ島での3ヶ月はなんやったんや...

けど、わからないのは銀行くらいだった。
(口座開設で使う単語がむずい)

オーストラリアには世界各国から
ワーキングホリデーで来る人がたくさんいる。

そういう人は大体、
母国語が英語じゃない。

だからやりとりする英語レベルもそんなに高くない。

加えて、
オーストラリア人もその環境に慣れている。

アジア人やヨーロッパ人は英語が上手くない人もいる事を理解してるから、
簡単な単語や、ゆっくり話してくれたりもする。

だから2年間、
現地の人とのやりとりで困ったことはほぼない。
思い浮かぶとしたら、最初のこの口座開設くらい。


無事に口座を開設し、いよいよ仕事探し。

当時、仕事を見つけるのは2つパターンがあった。

①大きな農場の会社に雇ってもらうか、
(ブロッコリーはこっちだった)

②当時、ガトンに10人くらいいた"スーパーバイザー"という、仕事斡旋をしてる人から仕事をもらうか。

僕は後者のほうだったが、
どのスーパーバイザーの仕事かによって、
稼げる仕事か、稼げない仕事が極端に分かれる。

運良く、
僕がガトンに着いたのとほぼ同じタイミングで、
稼げると噂の"キングスリー"というおっちゃんが求人していて、
直ぐにレジュメ(履歴書)を作って、持って行った。

無事にすぐ採用してもらえて、
任された仕事は"セロリ"の収穫。

刈っても刈ってもなくならないセロリ


5〜6人のチームで、
地面から生えてるセロリをひたすらカットし、
ゴンドラに載せていく。

毎朝ピックアップ時間は朝の2:30。(まだ夜やん)
チームのボスがメンバーをピックアップし、
1時間ほどかけて車でファームに行く。

朝日が昇る前の4:00から収穫がスタートし、
10:00頃には終わる。
日が出て暑くなる前には、もう仕事が終わってるって感じ。

ひたすら刈って、このゴンドラに載せていく


僕はこのセロリの仕事を8ヶ月続けた。
(ワーホリの最大雇用期間は6ヶ月だけど、長く働かせてくれた)

8ヶ月続けて感じたのは、世界の働き方の違い。

オーストラリア人や、ワーホリで働くヨーロッパ人は、
疲れたら途中でも休むし、残業なんか絶対しない。
仕事より、家族、自分の時間が最優先。

"セロリバーン"といって、
セロリの液体が付いたところが太陽に当たると、身体にシミができるのだが、そんなこと全く気にせずに上裸で収穫作業をする。

チームセロリのメンバー
オランダ、日本、ドイツ、台湾、フランス出身


一方で、日本人や韓国人、台湾人は
黙々と作業を続ける。文句一つ言わずに働く。
どれだけ暑くても、絶対長袖で作業する。

ファーム以外でも、
道路の交通整備のおっちゃんや、
レストランの店員など、オーストラリア人は
いつも楽しそうに歌いながら踊ってた。

そんな人、日本で見た事ない笑
日本人って、なんか真面目に働きすぎなんやろなって思った。


セロリは完全に出来高制だったので、毎回多少の幅はあったが、平均して手取で月40万円はもらってたと思う。多い時は月50万円。

しかも、オーストラリアはお給料が週払いなので、
毎週10万円くらい入ってくるって感じ。

日本の平均的な初任給の倍くらいはもらってたと思うけど、オーストラリアは物価が高い。
普通に生活してたらお金は貯まらん。

でも、節約方法はたくさんあって、
シェアハウスのメンバーで各々収穫してきた野菜を交換したら野菜は毎日無料やし、
皆んなでご飯を作って食べれば食費も浮く。

家賃もシェアハウスだと月3〜4万円だったから、お金はどんどん貯まっていって、

オーストラリアに到着して2ヶ月半後には、
人生初のマイカーを購入していた。

この愛車には1年半、ほんまにお世話になった
最後は意味わからん色の液体が垂れ流れてたけど無事に売れた


・多国籍共同生活


ガトンに着いた最初は、
"キャラバンパーク"っていう、コンテナに住む生活をしてた。

こんなコンテナがいっぱいあって、そこに住んでた


それはそれで、サバイバル生活で楽しかったけど、
トイレとかシャワーが共有で、
毎回外に出ていくのが面倒くさかったし、
とにかく夜が寒かった思い出がある。

少し経つと、セロリ仲間のビンスンからシェアハウスを教えてもらった。

台湾人のビンスン、毎日収穫スピードを勝負してた
今でも僕のセロリ刈るスピードは日本でTOP5に入ると思う


韓国人夫婦がオーナーのシェアハウスで、
韓国人2人、台湾人4人、日本人2人での多国籍共同生活が始まった。

このシェアハウスが最高だった


皆んなでご飯を作って食べたり、
週末にはBBQとかキャンプしたり、
それぞれの友達も連れてきたりして、テーマパークにも遊びにいった。

それぞれの国のご飯をみんなで作ったり
1泊2日でキャンプしたり
テーマパークに遊びに行ったり
シェアメイト男旅したり


毎日、めちゃくちゃ楽しかった。

でもセブ島留学と同じで、
ワーキングホリデーも入れ替わりが早い。

ビザが切れるタイミング、引っ越すタイミングなどで、
1人ずついなくなっていくのは寂しかったけど、
その度にまた新しいメンバーが入ってきた。

誰かがいなくなる度にみんなでお別れ会をしてた



その家には、
チョコレートラブラドールの"レチョ"がいた。

レチョ


節約生活している自分と反して、
レチョは良いものばかり食べて太ってた笑

レチョ、2歳の誕生日


そんなレチョが可愛くて可愛くて、
ガトンにいた8ヶ月、毎日一緒にいた。

別れの時はさすがに寂しかった。
レチョ、元気かな。

オーストラリアで1番会いに行きたいワンちゃん


・23歳、無職、将来を考える


ガトンのセロリシーズンも終わり、引っ越すことにした。
時期によって、その地域で採れる野菜は変わってくる。

稼げる野菜を求め、
オーストラリアの東海岸をドライブして、
各所を観光しながら次の場所へ向かった。

バイロンベイ
ゴールドコースト
フレーザーアイランド


僕はワーキングホリデーの2年間で、

ガトン (8ヶ月)

スタンソープ (2ヶ月)

ボーエン (1ヶ月)

ケアンズ (7ヶ月)

パース (6ヶ月)

に住んだ。

ガトンの次に行ったスタンソープでもファームの仕事をしたが、あまりパッとせず。

スタンソープ ではジャックというおじさんの家に住んでた



トマトの収穫シーズンに合わせて、
オーストラリア北東部に位置するボーエンへ向かった。

ボーエン


「今年は台風の影響で収穫が遅れている」
「いつ頃から収穫が始まるかわからない」

ファームジョブの怖いところがこれ。

前もって現地に入っていないと、
稼げる仕事はゲットできないが、その年の気候や収穫量によって、仕事の時期や忙しさが変わってくる。

オーストラリアに着いて、初めてニートになった。

この時、
ワーキングホリデーが始まってから
1年を迎えようとしていた。残りは1年弱。

毎日有り余る時間で、
"世界一周の夢を叶えた後の未来"について、
真剣に、時間をかけて考えた。

ちょうどその時、
「隣の家族は青く見える」(フジテレビ)を見て、
毎週泣いていた。※これまじいいドラマやからおすすめ

松山ケンイチが玩具屋さんの社員の役なのだが、
それを見て、
やっぱり将来は、大好きな子どもに関わる仕事がしたいと思った。

玩具屋さん、学校の先生、保育士さん、、、

でも自分が子ども達の人生を変えられるくらい、教えられることってなんや?って考えたら、



「ボクシングやな」

ボクシングで僕自身、人生が変わった


実際に自分もボクシングを始めたおかげで人生が変わった。
だったら、自分も子ども達にボクシングを通して自信をつけてもらったら、
人生を変えられるんじゃないか。


「ボクシングのトレーナーになろう」

でも、ただのトレーナーじゃ面白くないな。
「子どもに特化した、ボクシングジムを作ろう」

その答えに辿り着いた。


僕は今、小学校で授業をする時に
子どもたちに必ず伝えていることがある。

小学校や中学校で、自身の経験を伝える授業を行なっている


夢や目標って、
自分の外側にあるものだけじゃない。

もうすでに自分の中にあるものの、
“組み合わせ”で見つかる時もあるということ。

この時の僕でいうと、
まず、ボクシングができた。
そして、子どもが好きやった。

この2つを組み合わせて、
「子どもに特化したボクシングジムを作りたい」
っていう目標になった。

みんなも将来、
「自分が何がしたいかわからへん」
ってなる瞬間が来るかもしれない。

そんな時は、
自分の外側にばっかり答えを探すんじゃなくて、

もうすでに自分の中にある
好きなこと、得意なこと、続けてきたこと。
それを組み合わせてみることで、
自分だけの“やりたいこと”
見えてくるかもしれない。

もちろんこれが全てじゃないけど、
こういう見つけ方もあるで。

と、伝えている。


「あれ?」

「やりたい事を見つける為に世界一周しようと思ってたのに、もうやりたい事見つけたやん」

じゃあ世界一周は、、、

「いやいや、世界一周はしたい」

「まだ行った事ないところに行きたいし、
そもそもこっちが夢やし」

なら、それも組み合わせちゃお!
夢の世界一周と、将来のボクシングジムを作りたいことを組み合わせた。

「世界一周しながら、各国のボクシングジムで練習させてもらって、ジムを作る時のヒントにしよう」

世界各国のボクシングジムを巡る旅

「ほんで色んな国の子ども達に、ボクシングを教えながら世界を周ろう」

ボクシングの楽しさを伝える旅



自分の未来が少しだけ見えた。

・勢いで掴んだ人生で初めてのビジネス


結局ボーエンは諦め、さらに北上してケアンズに住むことにした。

ケアンズと言えば、グレートバリアリーフ



ケアンズでは、
日本人経営のラーメン屋さんで働かせてもらった。

ケアンズの人気ラーメン屋さん



そして、おかんも旅行でケアンズに呼んだ。

ケアンズを案内した


「世界一周に行く」って言った時は泣かれたけど、
結局最後の最後は日本を送り出してくれた。

恥ずかしながら、オーストラリアに最初来た時は炊飯器の使い方さえわからなかった。

おかんと離れて、
セブ島とオーストラリアに住んで、
今まで食事も洗濯も掃除も、
全部おかんに任せきりだったことに気づいた。

親元を離れて、有り難さに気づいた


おかんはケアンズを楽しんでた。



ワーキングホリデーも残り6ヶ月。

最後の場所に選んだのは、オーストラリア西海岸のパース。


結論、
2年間で1番良かったのはこのパース。
いい感じに都会で、街は綺麗やわ、天気も気温もいいわで住みやすさ抜群。

住んでた宿も色んな人がいておもろかったし、

チーム24歳


パースではチキンの工場で働いてたんやけど、
(チラーっていう、パッキングされたチキンをひたすらパレットに積んでいく力仕事)
この工場の人らもめっちゃ優しくしてくれたし、
何よりお給料も良かった。
オーストラリアは祝日に働くと給料が3倍になる。
時給7000円の日だってあった。

チキン工場の上司たち



でも何より、最後に異国の地で
"ボクシングトレーナー"として働けたのが、自分の中で大きな経験やった。

これが超楽しかった


ボーエンで「ジムを作る」という目標ができて、
最後の6ヶ月はボクシングトレーナーとして働きたいと思った。

パースに何軒かあるボクシングジムに直接行って、
「働かせてほしい!」って交渉したけど、どうやらオーストラリアではボクシングトレーナーも正式な資格が必要らしい。

諦めずにボクシングジムを探し回ってたら、1つ話を聞いてくれるところがあった。


"CUBAN BOXING CLUB"

パースのど真ん中、キューバ人がやってるボクシングジム


ここにも突撃訪問して、事情を話したところ、

「じゃあ、この会員さんに教えてみろ」

いきなり採用試験きたーーーー笑

自分の話せる英語をフル活用して、オーストラリア人の会員さんにボクシングを教えた。

結果は、、、

「土曜日、うちのジム休みやから使っていいよ」

よっしゃぁぁぁぁ!!!!
めっちゃ嬉しかった。

しかも、料金もメニューも全部自分で決めていい。
場所使用料だけ払ってくれれば、ジムも道具も使っていいよと言ってくれた。

「早速、人集めよう!」

でも、どうやって集客するか。
どんなメニューでお客さんを楽しませるか。

考えるのがワクワクした。

まずはシェアハウスのメンバーや、
"パース通信"という、パースに住む日本人向けの掲示板で呼びかけた。

1番最初のクラスに来てくれたメンバー

するとここから、
みんなが周りの友達を呼んでくれるようになって、
参加してくれる人が増えていった。

2回目のクラス

パースの日本人向け雑誌にも取り上げてもらって、
1日2クラス、土曜日だけじゃなく日曜日もクラスを開催するようになっていった。

日本人向けの情報誌「THE PERTH EXPRESS」
毎月、パースに住んでる日本人を1人紹介するコーナー
この雑誌の効果は大きかったと思う
取材いただき、ありがとうございました



「ボクシング、めっちゃおもろい」
「来週もまた来るよ」


その言葉が嬉しくて、
パース生活では毎週土日が1番の楽しみになった。

合計25回クラスを開催する事ができた


たぶんこれが自分にとって初めてのビジネス。

場所代を支払ったら、
トントンの日だってあったけど、

それ以上にボクシングを教えるのが楽しかったし、
来てくれた皆さんが楽しんでくれてるのを見るのが嬉しかった。

パースでの日本人コミュニティもできて、
年号が令和に変わる、平成最後の日にパースに住んでる日本人を集めてBBQなんかもした。

平成最後のBBQ in パース


そんなことができたのも、
ジムを使わせてくれたボスのおかげで、
本当に感謝してる。

キューバ人のボス


最後、オーストラリアを旅立つ時には
きっついミット打ちと、
ジムのパーカーをプレゼントしてくれた。

ジムのオリジナルパーカーをプレゼントしてくれた
今でも実家でパジャマとして愛用している


ボクシングジムも、チキンの工場も
レジュメ(履歴書)を持っていって働けたわけじゃない。

どっちもアポなしで突撃訪問して、
手に入れた仕事。

やっぱり勢いって大事やな。


2019年6月30日、
ワーキングホリデービザのタイムリミットがきた。

結局オーストラリアで貯まったお金は45万円。

パースが楽しくて、
チキン工場、ボクシングクラス、Uber eatsまでして
稼いでたはずなのに、それ以上に遊びすぎた笑

毎週末、オーストラリアの大自然を楽しんだ。
ウルルも行ったし、ブルーノマーズのライブにも行った。シドニーで年越し、フルマラソンにも挑戦したし、お店を貸し切って誕生日パーティーもした。

念願のウルルにも行けた
今は登れないけど、この時はまだギリギリ上まで登れた



お金は十分に貯まらなかったけど、
この2年間に1つも後悔はない!

そう言い切れるほど毎日充実してたし、
人生の思い出がたくさんできた。

オーストラリアは、
"本当に貯金だけを目的"で行くと、
たぶんめちゃくちゃお金を貯めれると思う。
(良い仕事をゲットできれば)

やけど、
日本にはない、スケールの違う大自然で遊ぶこと、
世界中からやってくる人たちと遊ぶこと、
"ワーキングホリデービザが使えるこの2年間"
でしか味わえない体験をすることが、
1番のメリットだと僕は思う。

さぁ、
夢の世界一周が始まる。
手元には45万円。

「まあ、なんとかなるやろ!」
(また言うとる)


結論、なんとかならなかった笑
お金は底を尽きたし、
本当に死にかけた経験もあった。

そしてこの時はまだ、
まさか自分が世界遺産の観光大使なるなんて
1ミリも思ってなかった。


続く


3話はこちらから

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