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劣等感まみれだった僕が、世界一周を目指すまで -自己紹介①-


「将来は普通にサラリーマンして、結婚して、子どもができたら、それでええや」

夢も目標もなかった学生時代。
僕は、本気でそう思っていました。

南米ペルーの世界遺産、マチュピチュ遺跡


はじめまして。
片山 慈英士(カタヤマ ジェシー)と申します。

今は、南米ペルーの世界遺産
"マチュピチュ"の観光大使をしています。

2020年にマチュピチュの観光大使に任命



ありがたいことに、SNSでフォローしてくださる方や、
「テレビで見たことあります」と声をかけてくださる方もいて、本当にうれしく思っています。

でも、そこで見えているのは、
僕の人生のほんの一部分。

メディアでは、

“たまたまコロナのタイミングでマチュピチュにいて、運よく観光大使になった人”

として取り上げていただきます。

もちろん、それは間違いではありません。

「激レアさんを連れてきた。」テレビ朝日系列


でも、自分の中では、
あの出来事だけが急に人生を変えたわけではないんです。

子どもの頃に抱えていた悩み。
学生時代に必死で続けてきたこと。
失敗したこと。一歩踏み出したこと。

自分自身で選んできた道が全部がつながって、
今の自分があります。

だから今回、改めて、
僕がどんな人間で、どんな人生を歩んできたのかを
文章にして残しました。

冒頭のように、
「普通の人生でええや」と思っていた僕が、
なぜ就職せずに世界中を旅するようになったのか。

なぜ、ただのバックパッカーだった僕が、
マチュピチュの観光大使になったのか。

今、何をしていて、
これからどこを目指しているのか。

実際に起こった出来事や修羅場、
その中で学んできたことも含めて、
5つの記事に分けて書いていきます。

第1話では、
劣等感まみれで、自分が何をしたいかすらわからなかった僕が、世界に飛び出していくところまでを書きます。
マチュピチュでの奇跡的な体験は、この時からすでに始まっていたんです。


僕の経験が、
まだ会ったことのない誰かにとって、
何か行動するきっかけになれば嬉しいです。

「こんな生き方もあるんやな」

そんな気持ちで、気楽に読んでもらえたらと思います。

Instagramの僕を見ると、
昔から行動力があって、
大きな夢に向かってずっと進んできた人間に見えるかもしれません。

でも、実際はまったくそんなことないです。

むしろ、子どもの頃の僕は、
自信も夢もない、劣等感まみれの少年でした。


・劣等感まみれの少年時代


僕は、祖父が南米のトリニダード・トバゴ出身のクォーターです。
(あまり聞き馴染みのない国だと思いますが)

子どもの頃の僕は、
自分の名前や肌の色が、まわりと違うことを強く意識していました。

"ジェシー"っていう名前が本当に嫌いで、20歳になったら市役所で氏名変更するって本気で思ってました。

ジェシー少年


地元の奈良では、
当時ミックスの子どもは珍しくて、

友達からイジメられたりはしなかったけど、
大人から差別的な言葉を言われることは、よくありました。

小、中学校では野球をしていました。

「外人やから打てへん打てへん」
バッターボックスで相手チームの監督から言われた言葉


色々言われても平気な顔をしてたけど、本当は心にグサグサ刺さっていました。

身体は小さいし、
別に特別うまいわけでもない。

野球って、結局、身体がデカい奴が遠くに飛ばすし、速い球投げるやん。

心のどこかで、そんなふうに思っていました。


とにかく、自分に自信がなかった。

泣き虫やし、身体も小さいし、
自分の見た目も名前も、劣等感ばっかり。

高校では、
「野球じゃなくて、身体の小さくても勝負できることをしたいな」
と、思ってました。

それが、僕にとって最初の大きな転機になります。

・ボクシングがくれた圧倒的な自信

中学生の頃、ヤンキー漫画にどハマりしました笑

『クローズ』
『WORST』
『ドロップ』
『ナンバデッドエンド』 etc...

ヤンキー漫画は片っ端から全巻集めてたくらい。

通っていた中学校が、わりと優等生の多い学校だったからこそ、
余計にあの世界がカッコよく見えた。

ご覧ください、この眉毛の細さ



「強い奴が一番カッコええ」

そう思うようになってから、
僕は勉強しなくなりました。
(おかん、ごめん)

そして、高校は
“ヤンキーが集まる”と噂されていた学校に進学。

「ヤンキー高校に通うからには弱かったらあかん」

そう思って、ボクシングジムに通い始めました。

理由は単純で
ヤンキーに負けへんため。

他の生徒より強かったらええや
最初はそのくらいの気持ちだったけど、
実際にやってみると、





「ボクシング、めっちゃおもろいやん!!!!」


完全ににハマりました。

野球と違って、
ボクシングは階級ごとに分かれている。

野球と違って個人競技なので、自分が練習した分だけ
そのまま結果がついてくるスポーツ。

毎日、学校終わりにボクシングジムへ通い、
プロボクサーの大人たちに混ざって練習させてもらいました。

県大会や近畿大会で優勝、
インターハイや国体など全国大会にも出場するようになりました。

高校3年間、何故か坊主にしてた



僕にとって1つ目の人生の転機は
ボクシングを始めたこと。


キツい練習をやり遂げる毎日。
練習した分だけ上手くなる感覚。
自分が一番になる経験。
そして何より、
生物として強くなること。

ここで僕は、圧倒的に自分に"自信"がつきます。

そしてこのボクシングが、
後々、マチュピチュの観光大使になる理由のひとつになるんです。

ちなみに行った高校には全然ヤンキーいませんでした笑


・自分のやりたいことがわからへん


でも、日本一にはなれなかった。

高校と大学で7年間続けたものの、
日本で1番強い選手にはなれなかった。

7年間、日本一には一度もなれなかった



今思えば、
そもそも本気で日本一を目指していたわけではなかったのかもしれません。

高校時代は、ボクシングが楽しくて仕方なくて、
毎日めちゃくちゃ練習していました。

でも大学に入ってからは、
どこか“こなしているだけ”

「世界チャンピオンになる」

そんな覚悟を持って続けていたわけではありません。

ただ、なんとなく続けていた。

「やりたいこともないし、将来はサラリーマンか公務員が安泰かな」

なんて思っている時に就職活動が始まりました。
改めて自分のやりたい仕事を考えたけど、





「わからへん」



そりゃそう。

今までの学生生活は、ボクシングしかしてこなかった。
自分が何をしたいのかなんて、考えたこともないし、わかるはずがない。

というか、

「もう大学3年生やのに、俺の大学生活、ボクシングだけで終わってまう...」

「何か大学生っぽいことしたい」

.
.
.


「バックパッカーやな!」


これが、僕がバックパッカーを目指すようになったきっかけです。

海外になんて全く興味がなかった。

でもなぜか当時の僕の中には、

大学生=バックパッカー

みたいなイメージがありました。

そして僕は、重いバックパックを背負って、
ひとりでタイとカンボジアへ2週間ほど旅に出ました。

今思えば、
すべての始まりは、この旅でした。


・世界の広さと優しさを知った1人旅


この時、

もし違う人と出会っていたら。

もし違う経験をしていたら。

僕はバックパッカーになっていないし、
マチュピチュの観光大使にもなっていません。

それくらい、自分にとって大きな旅でした。

初めての海外ひとり旅。

もちろん、余裕だったわけではありません。

出国前には、少しでも身体をデカく見せようとめちゃくちゃ筋トレもしましたし、
見た目をいかつくしようと、ドレッドヘアにもしました笑

アフロにして編み込んでいく



タイに到着して、
バックパッカーの聖地・カオサンロード近くの予約していた安宿へ向かおうとバイクタクシーに乗ると、
さっそく路地裏に連れていかれました。

そして片言の日本語で、こう言われました。

タイ人
「マリファナ、ウッテヤル」

ジェシー
「ドレッドヘアナノデスガ、マリファナイリマセン」

丁寧にお断りし、
無事にカオサンロードへ到着しました。

バックパッカーの聖地



見たことのない食べ物。
パチモンのNBAユニホーム。
ほんまに男とは思えへんレディボーイ。
世界中から集まったバックパッカーたち。

初パッタイ
似顔絵下手すぎやろ
ほんまに男なんか...
世界中から旅人が集まってた



英語は話せない。

それでも、タイに着いた初日の夜は
いろんな人に話しかけてみた。

ここでは、
アジア人も、白人も、黒人も、
肌の色なんて1つも関係なかった。


奈良の田舎で、
肌の色がまわりと違うことを気にしていた自分が、
アホらしくなりました。

日本の外に出たら、
そんなこと、どうでもよくなった。



タイからカンボジアへ移動する日。

この日は2つの大きな出会いがあった。

お客さんがひとり遅れてるらしく、
カンボジア行きのバスがなかなか出発しない。

やっと来たと思ったら、
カンボジア人らしき男が
「ごめんごめん、寝坊しちゃった」
とめちゃくちゃ流暢な日本語で話しかけてきた。

彼の名前は、ショーン。

ショーン、日本語うますぎる



イオングループの東南アジア担当として働いているらしく、カンボジア人だけど、日本語が話せるらしい。

ショーンは英語が話せない僕のために、
カンボジアの入国審査を手伝ってくれた。

カンボジア入国
ショーンが記念写真を撮ってくれた


そしてもう1つの出会いは、
カンボジアの国境で出会った子どもたち。

かわいい



笑顔でこっちを見てくるので、
最初はお金を求めてくるストリートチルドレンなのかなと思ったけど、そうじゃなかった。

子どもたちは日本人が珍しかったのか
ただただ一緒に遊んでほしかっただけみたいで、
バスが国境を出発するまで1時間くらい一緒に遊んだ。

かわいい



子どもってほんまに純粋。

特に海外で出会った子どもたちは、
言葉が通じなくても、思いっきり笑ってくれる。

心の底から楽しんでるってわかる。

実は、この後の記事でも、
海外でも日本でも、子どもたちと関わる場面がめちゃくちゃ多い。

もともと子どもは大好きだけど、さらに好きになったのは、この時にカンボジアで出会った子どもたちのおかげかもしれない。

今やってる活動も、この子たちがきっかけなのかも



無事にカンボジアのシェムリアップに到着した夜は、ショーン、そして同じバスに乗っていたフィリピン人のジェムとジゼルと一緒に、パブストリートという飲み屋街へ。

シェムリアップの飲み屋街といえばここ
一緒のバスに乗ってたジェムとジゼル



浴びるほどビールを飲んで、
気づけば友達がたくさん増えていました笑

カンボジアのカオサンロード的な
バックパッカーしてるな〜



翌日は、ジェムとジゼルと一緒に世界遺産アンコールワットへ。

つたない英語やけど、
2人は一生懸命理解しようとしてくれて、本当に楽しい観光やったな。

この時ジゼルから初めてエアドロップを教えてもらった



・「やばい、殺される……」


ジェムとジゼルと別れ、
ショーンが彼の友達と一緒にご飯食べようと誘ってくれたので、ついて行った。

バイクの後ろに乗って20分、30分、、、

どんどん街から離れていく。

ショーンに、

「いつ着くん?」

と聞いても、

「もうちょっと」

としか言わん。




「あれ?」

「これ、もしかして山奥に連れて行かれて、殺されて、臓器売られるやつ?」

悪いイメージがどんどん膨らんでく。

「最初は仲良くしといて、最後に殺す作戦やったんか?」

冷や汗が止まらん。

「ショーン、やっぱ今日帰るわ」

って言おうとした時、
山奥の小屋に到着した。

あっちは大人数、俺は1人



「終わった」

こんな距離、絶対に逃げられへん。

どうしよう。
どうしよう。
どうしよう。





普通にご飯でした笑



よかったぁぁぁぁ

しかも、みんなめちゃくちゃいい人。

そこで振る舞ってもらったのは、
カエルを焼いたものやったり、
その辺にいる鳥を、ワンピースのウソップが持ってるようなパチンコで仕留めて、そのまま捌いたり。

日本では見たことも食べたこともないものばっかり。

たしか右奥のやつカエルやったような



でも、
安心感からなのか

迎え入れてくれた嬉しさからなのか

とにかく、あの時のご飯は美味しかった。

その日も浴びるほどビールを飲んで、
帰りはみんなでなぜかEXILEを大声で歌いながら帰ったのは10年経った今でも鮮明に覚えてる。



その後の数日間も、
ショーンはいろんな場所へ連れて行ってくれた。

毎日ビールは欠かさない
プレアビヒア寺院
こんな大自然、生まれて初めて見た
楽しすぎてジャンプ力がとんでもない



何か見返りを求めるわけでもなく、
ショーンはただ純粋に、
カンボジアで僕を温かくもてなしてくれた。

当時の僕にとって、それがすごく不思議で。

数日前にたまたま出会った外国人に、
ここまで優しくしてくれる。

「世界には、こんな優しさがあるんや」

ショーンに、そう教えてもらった。



そんな人生初のバックパッカー1人旅。

ハマらないはずがない。

日本とは何もかも違う環境。
文化。
人。
食べ物。
そして、トラブルまで。

その全部が新鮮で、
全部が面白かった。

しかも日本に帰ったら帰ったで、

「1人旅なんてすごい」
「行動力ありすぎ」

なんてチヤホヤもされた。

「こりゃ、もっといろんなところ行きたい」

そこから大学を卒業するまでの約2年間、
いろんな国を旅した。

ジェムとジゼルに会いにフィリピンへ
一緒に行ったボラカイ島が最高すぎた
台湾
香港
マカオ
3分で¥5,000が消えて、一生ギャンブルはしないと誓った
ベトナムでショーンと再会
3週間くらいかけて一緒に陸路でベトナム縦断した
タイのリングがある居酒屋
ショーンの結婚式に招待してもらった
しかも家族枠で笑
伝統衣装も着せてもらえて良い経験
ショーンの親戚の子どもたちかわいい


その頃の生活はもう無茶苦茶。

授業→部活→夜勤→授業→部活→夜勤→
授業→部活→夜勤→授業→部活→夜勤→

夜勤終わりに大学のフリースペースか部室で授業まで寝るのが当たり前。

今は絶対にそんな生活できない。

でも、あの時はできた。

単純に若かったのと、
それ以上に、
海外で新しい経験をすること、
知らない文化に触れることが本当に楽しかった。


でも行けるのは、
航空券の安い東南アジアだけ。

「いつかアメリカとかブラジルも行ってみたい」

「ピラミッドもマチュピチュも見てみたい」

そして何より、

「自分のルーツがある、トリニダード・トバゴに行ってみたい」
(その時はまだ行ったことがなかった)

旅を重ねるごとにその想いは強くなっていった。



「いつか世界一周旅行がしたい」


・人生で初めての夢


大学4年生になり、進路を決める時、
最後まで真剣に迷ったのはこの3つ。

①プロボクサーになる
②就職する
③世界一周する

プロボクサーにはなろうと思えばなれた。

でも、プロボクサーになることと、
それで食べていくのはわけが違う。

「世界チャンピオンに絶対なってやる」

そんな覚悟がないまま、ボクシングを続けても勝ち続けられるわけがない。そんな甘い世界じゃない。

そう思い、ボクシングを完全に辞めた。

そしておそらく、ほとんどの人は大学を卒業したら就職する。

僕も、それが当たり前だと思ってた。

バックパッカーになるまでは。

でも、東南アジアを旅する中で、
「いつか世界一周したい」という想いは、
ぼんやりした憧れから、はっきりと"夢"に変わっていた。

自分の人生で初めてできた夢。

これだけは、叶えずには死ねない。

そう思った。

とりあえずレールに乗って就職したとしても、
きっとすぐに辞めて、世界一周に行く。

直感的にそう思った。

だったら、最初から世界一周に向けて動いた方がいい。

そして世界一周して、
色んな景色を見て、色んな文化に触れて、色んな人と話して、色んな国の考え方を知れたら、

自分の"本当にやりたい仕事"がわかるんじゃないかって思った。

自分の本当やりたいことを見つける為にも、
世界一周という道を選んだ。

ただ、最大の難関が2つある。

家族にどう説明するか。
お金をどうするか。


・自分の道は自分で決めな後で後悔する


家族には「世界一周に行きたい」とは言わずに、
それらしく、「これからの時代は英語が必要やと思うから、就職せずに留学するわ」って言った。

もちろん、家族総出でブチギレ。

おかんには
「育て方間違えた」と泣かれ、

おじいちゃんとおばあちゃんにも、
ボロクソに言われた。

でも曲げなかった。

だってやりたいもん。

家族と縁を切ってでもやりたい夢。

人生で初めて、そう思えるものができた。

「自分の道は、自分で決める」

「選んだ道を正解にするのは、自分や」

そう言い聞かせて、家を出た。

今はあの時の選択が正解やったって思ってる。

今は仲良いです笑


次にお金。

世界一周も貧乏旅とはいえ、
ざっと100万円くらいは必要かなと思ってた。

当時働いていたイベントスタッフとバーのバイトを続けても、お金が貯まるまでかなり時間がかかる。

そんな時にたまたま先輩から聞いた、
ワーキングホリデーっていう制度があって、オーストラリアで仕事したらめちゃくちゃ稼げるらしい...

「これしかないわ」

オーストラリアで働くには英語が必須。

そこでまずは、留学費の安いフィリピン・セブ島で3ヶ月語学留学をしてからオーストラリアへ行って働く計画を立てた。

セブ島留学は安いとはいえ、3ヶ月で30万円。
(授業料、飯、宿込みやからめちゃめちゃ安いけど)

大学生の僕にとってはなかなかの金額。

死ぬほどバイトして、なんとか留学費は貯めた。

でも、セブ島までの航空券やら海外保険やらで
出発の日に手元に残ったお金は結局3万円しかなかった笑

「まあ、なんとかなるやろ!」

初めてできた夢、世界一周。
その第一歩、フィリピン・セブ島へ。

所持金3万円、英語能力0
果たして、オーストラリアまで生き残れるのか。

そして、オーストラリアは本当に稼げるのか!?


続く

2話はこちらから

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