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自分たちで「描く」≠誰かに「書いてもらう」


誰かに「書いてもらう」

短絡的な思考回路・行動原理

貴重な公有地や税金を活用し、まちの将来や風景を形づくる、まちの経営全体に長期的に影響するプロジェクトなのに「PPP/PFIはやったことがないから」「忙しいから」といった短絡的な理由でコンサルタントへ業務を丸投げする事例が後を絶たない。

ビジョンもコンテンツも与条件も整理されないまま、「自分たちで描く」ことを放棄して、後になって庁内・議会等から「市民の声は聞いたのか」と糾弾されることだけを恐れ表面的な市民ワークショップを開催し、消費者としての市民にそれらしい案を作ってもらう(最悪の場合はこの場すらなぜかコンサルがリードする)。お抱えの学識経験者を集めた有識者委員会を開催し、事務局が先行して作ったシナリオや答申案をベースに(非合理的な行政であることの前提を忘れ)空中戦の議論を行、行政の思惑を代弁させる。
こうした短絡的な思考回路・行動原理に基づく事例は、筆者が関わる現場を見渡すだけでも枚挙に暇がない。同時にこうしたことが王道・定石となり定着していることに疑問を呈することすらない。。。

1人称にならない主語

問題の本質は、これらがすべて1人称であることを自ら放棄して「誰かに書いてもらう」行為であることだ。行政自身ではなく第三者目線で「みんなの意見」を反映したもののように取り繕う。過去、まちみらい公式noteや拙著等でも散々指摘しているように「みんな」という人はいないので「みんな」に責任の所在を位置付けることはできないし、「みんな」がその負債を背負ってくれることはない。
主体的に自らの権限と責任において「やりたい人」が存在せず、「誰かに書いてもらう」プロセスから生まれたものが市場と連動し、まちの文脈と有機的につながるはずがないことも自明の理である。

このようなチープなレベルにとどまり、それではいけないと薄々感じていても、またダメなことをやっているとわかっていても、関連予算や条例等が議決されれば、行政の場合はハコモノとして整備することができてしまう。ただ、残念ながらそうしたハコモノは点としての整備にとどまるか、最悪の場合には「墓標」と化してしまう運命にあるが、それは必然でしかない。

誰かに「書いてもらう」背景

「安易にコンサルへ丸投げ」と表現したが、担当者の立場に立てばその気持ちは多少理解できる側面もある。PPP/PFIはこれまでやったこともないし、本当に優れたプロジェクトはそれほど多くないし、4月に異動してきていきなり数十億円規模のプロジェクトをやれと言われても、周辺に本気で一緒に走ってくれる同僚もいなかったり、上司もあらぬ方向を向いていたりしたら、確かに不安しかないだろう。
関係法令・リスク分担・財務モデル・世の中のトレンド等、行政職員がゼロから習得するには相当の時間と労力が必要であることは間違いないし、多くの行政職員は「まちとリンク」した仕事をしてこなかったので、そもそも民間と連携することの経験知もなければ意味も見えていないことが大半かもしれない。
このような前提を考えれば「専門家に任せた方が・アウトソーシングしてしまった方が早い」と「誰かに書いてもらう」判断してしまうのも、ルーティンワークですら多忙を極める中では仕方ないようにも見えてくる。

「誰かに書いてもらう」瞬間にまちの文脈と断絶

しかし、ここには根本的で致命的な錯誤がある。コンサルタントはあくまで「世の中の状況や市場動向を正確・的確に把握・分析・咀嚼しながら多様な視点・視座を与え、行政が効率的・効果的に覚悟・決断・行動できるようにサポート」する立場である。(残念ながらそれすらしないで、先行事例を劣化コピーした仕様発注の仕様書案・行政の思惑を反映した事業手法比較表とVFMを作成・納品するだけのコンサル・監査法人も非常に多い。)
「このまちのこの場所に何が必要か」を判断する、ましてや金も出さず結果責任も取らないのに「こうあるべき」とガチガチの使用発注の要求水準書・形式的な事業手法比較表とそれに基づく机上のVFM(=Value For Money)で、勝手に事業を決めつける立場ではない。
まちを知り、覚悟・決断・行動すべきはそのまちの行政自身であり、その地域で日々事業を営む民間の地域プレーヤーたちだ。判断の核心部分を外部に委ねた時点で、プロジェクトはまちの文脈から切り離されてしまう。

「誰か」になり、表面的ビジネスとして受託するコンサル・監査法人

一人称であることを捨てた行政に群がるコンサルや監査法人(≒擬似二人称)も、受託した以上は受託者としての行動原理・経済論理が発生する。
「そうすることで実際のまちがどうなるか」ではなく、「その場での行政の意向に沿った形のアウトプット」を提示しない限り、発注者たる行政が成果物の納品を受けつけてもらえないので、ビジネスとして効率的にフィーを受け取るために、先行事例を劣化コピーした分厚いローリスク・ノーリターンの仕様発注の報告書や要求水準書を納品する。
プロジェクトの結果責任を問われないこともあり、行政の意向を表面的に反映した「こうあったらいいな、たぶんこうなるだろう」を前提の「みんな・賑わい」といった当たり障りのない抽象的で総花的な報告書で膨大なフィーを受け取り手離れしていく。
建設業界紙には「〇〇市〇〇プロジェクトにおけるビジョン策定業務委託を一般競争入札で実施」という見出しが並ぶが、自分のまちの未来を左右することを「見ず知らずのコンサル・監査法人」という疑似二人称の「最も安い価格を入れたところ」に委託して、本当に大丈夫なのだろうか。

三人称にしかなり得ない市民WS・有識者委員会

市民ワークショップや有識者委員会の問題も同様の構造だ。行政が一人称であることを放棄し、二人称では意味をなさないことから、結果的に「みんなの声を聞いた」「専門家の先生方に議論をいただいた」と三人称のプロセスを立法事実とし、その場を取り繕うリスクヘッジをしてしまう。
しかし市民ワークショップの参加者は事業の経営に責任を持たないし、そもそも経営的な数字(や行政の生々しい実態)を前提としたワークショップなど存在し得ない。有識者委員会の委員は施設が赤字になっても、有識者委員会の場が自らの専門分野をベースに持論を述べれば良いだけでしかなく、諮問されたことに対して委員会として答申をすれば終了なので、何ら結果責任が問われるポジションにもいなければ、そんなことをわずか数千円のフィーで請け負う必要もない。経営感覚のない・責任を問われることがないセーフティーゾーンでの三人称の「合意」は、結局のところ「将来のまちに対して誰も責任を取らない」ことの合意にすぎない。

一人称ではないから説明できない

こうして積み上げられた一人称ではない「誰か」に二次元の文字として、市場性なども全く検討せずに何となく「書いてもらった」計画書は、自分たちの言葉の蓄積ではないから、議会や市民説明などの重要な場面で説明することができない。なぜその用語を使ったのか、行間のニュアンス、本当に何をしたいのかといった根本的な部分は、自分たちで作り上げない限り決して見えてこない。「私が」という一人称がどこにも存在しないから魂も宿らないし、プロジェクトは単なるハコモノ整備事業へと堕とされ(自ら堕ちることで)永遠に「他人事」のままとなってしまう。

市場と連動しないプロジェクトの末路

一人称ではない「誰か」に「書いてもらった」事業(≠プロジェクト)は、施設が完成してもエリア価値が何も変わらなかった「点としてのハコモノ整備」にとどまる(≒ランニングコスト等で長期に渡る負担を生じさせるだけでなく、機会損失も含めてエリアの価値を下落させる)ことが多い。

竣工式で首長が「この施設は地域活性化の核となる」とスピーチしたものの、そのわずか数年後には利用率の低迷が話題になる。ビジョン・コンテンツが十分に精査されないまま「みんな」「賑わい」なる名のもとに一般財源だけでなく補助金・交付金・起債に依存して整備されたハコモノは、竣工時点がゴールとなり「竣工即負債」の「愛されない」施設に堕ちてしまう。(※これも何度も書いているが、そもそも初年度が利用者数等のピークになり、年数とともに利用率が下落していくのは老朽化のせいではなく、経営として成立していないことの証左に他ならない。)
さらに深刻なのが「墓標」化だ。行政が巨費を投じて整備したまちのエリアスケール/ヒューマンスケールから逸脱した施設が、まちの中心部に鎮座したままエリアの価値を下げ続ける。空き区画が目立つ商業施設、週末の夕方でも人気のないホール・・・これらは単なる失敗事例ではなく、まちのエリア価値という観点からは「負の資産」として機能し続けてしまっているし、それらは簡単に「なかったこと」にはできない。

自分でも経験したからこそ

https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/reform/committee/280201/shiryou1_2.pdf

筆者自身にも反省がある。公務員時代に関わった流山市おおたかの森駅北口の市有地活用事業では、「市の財政負担なしで公共施設を整備する」ことが当時の正義だった。土地の一部をホテルに定期借地権で貸し付け、一部を分譲マンション用地として売却することによる等価交換で、見かけ上の行政のイニシャルコストゼロでホール整備を実現し、内閣府のセミナーでも優良事例として紹介されている。
しかしハード整備のみにフォーカスを絞った事業であったため、このエリアをどうしたいのか、どのような人たちがどのようなコンテンツを展開するのかといったビジョン・コンテンツの精査が庁内・議会等でほとんどなされることはなかった。現在でもホールの指定管理料だけで約100,000千円/年がキャッシュアウトしており、それよりも深刻なのが、経済合理性とコンテンツをベースに整備が進んだ南口・東口・西口とは対照的に、エリアの価値が相当に鈍かったことだ。これは筆者にとって忘れてはならない「プチ墓標」(←幸いなことにおおたかの森駅周辺のブランド力は現在も一定程度ある)のひとつだ。

これもプロセスを遡って冷静に考えれば疑似二人称のコンサルとともに机上の論理・イニシャルコストだけの足し算・引き算による二次元の計画書の世界でしか考えなかったものであり、筆者自身も正直、全く「そこ」に対する熱を持っていなかった結果でしかない。そして、そうしたものが三次元の現実の世界で機能するほど甘くはない。

自分たちで「描く」

ビジョン・コンテンツから「自分たちで」積み上げること

自分たちで「描く」とは、まず「まちみらい流」で行うように自分たちでビジョンとコンテンツから徹底的にディスカッションすることだ。「何のためにそのプロジェクトをやるのか≒ビジョン」を明確にしたうえで、それを実現するためのコンテンツ≒「誰が・何を・どういう頻度で・どういう収支でやっていくのか」を整理する。この部分こそがプロジェクト全体の軸になる。コンサルタントが事務所で先行事例をベースに案を作って良いものではない。この部分を時間がかかろうが、なかなか方向性が見えず煮詰まろうが、メンドくさいと感じようが、多少の軋轢が生まれようが、絶対に逃げてはいけない部分だし、「誰か」に書いてもらって良いはずがない。
これに自分たちの持っているマンパワー・財源・熱意等のリソース、法律等の枠組み、時間軸、政治的な風向き、地元の(非合理的なものも含めた)意向、邪魔する要素・・・等の与条件を明確にしていけば、自ずとプロジェクトの大枠は見えてくるはずだ。

市場・現実としっかり向き合うこと

そして、ビジョン・コンテンツ・与条件を明確にしたうえで市場と対話しながら進めることが欠かせない。サウンディングで民間事業者の本音を引き出し、トライアル・サウンディング等で実際に使ってもらいながら暫定的な未来の姿を模索し、可能性を探っていく。
「行政のやりたいこと」と「民間のできること」を段階ごとに、それぞれの持つリソースを出し合い、それを足し算・掛け算して試行錯誤しながらプロジェクトとして収斂させていく。この手間のかかることを愚直に、熱意を持って一人称でやり続けることが大きなポイントであり、そのプロセスを通じてはじめてプロジェクトに魂が宿り、そこに彩りが生まれ二次元の「書く」から三次元の「描く」に昇華し、まちとのリンクが生まれていく。逆に、二人称・三人称を用いてこの部分を省力化・ショートカットしてしまうから。。。となってしまう。

このプロセスは気が遠くなることもあるだろうが、先が見えなくても見続けることが大切だ。国内外の公共施設、民間プロジェクト、海外の事例、全国・世界のものを徹底的に自分たちの目で見ながら、関係者の話を聞きながら、自分の金をそこで使いながら「自分たちのまち・プロジェクト」のイメージを膨らませ続ける。そのイメージを丁寧に咀嚼し、庁内の関係部署、首長、議会、地域の担い手たちと共有しながら少しずつ積み上げていく。この地道なプロセスを経ることで、本物の一人称のオーダーメイド型のプロジェクトになっていく。

同時にこのようなプロセスを経ていくなかで、事業手法など自ずと収斂されているはずだ。また実際の利害関係者が当事者となり、それぞれのリソースを出し合っているのでVFMが発現するのも自明の理である。民間と本気で連携する、行政だけではできない世界を創る、そのこと自体がVFMである。5%だろうが10%だろうが数字の問題ではないし、そこにPSC(Public Sector Comparator:公共事業を従来方式で実施する場合の総コスト)などという机上の比較検討のための数字など何の意味も持たない。今までのやり方では届かなかった世界を創ることこそが重要である。

富山市

筆者が関わる自治体でも、あるところまで自分たちで考え対話を積み上げてきても、いざ要求水準書の作成という段になると「誰か」に依存しようとしてしまうことが多い。「将来像がうまく描けない」という不安が、(まちみらいとの契約の切れ目などを契機に)外部への丸投げへと引き戻してしまい、結局前述のように「誰か」に書いてもらったものに陥ってしまう事例に何度も直面した。一方で、本noteで主張していることが(完璧であるとは言わないが、その道筋が確実にあることを富山市の取り組みが示している。

富山市はコンパクトシティの推進やPFI法に基づくPFIを複数実施してきた真面目で真摯な自治体だが、一方でその真面目さが、コンサルに業務委託してPFI導入可能性調査で事業手法を選択し、アドバイザリー業務で要求水準書等を策定していく一連の業務フローを「定型」として確立させていた。

城址公園

そのようななかで転機となったのが城址公園だ。当初の担当課・コンサルが疑似二人称で書いてきたものは「数十億円を投下して基盤をさらに整備し、ナショナルチェーンのカフェ等を設置」する完全にありきたりなものだった。しかし城址公園の問題は「綺麗だけどいつ行っても人がいない≒魅力的なコンテンツがない」ことであったため、筆者も関わるPPP事業手法検討委員会でトライアル・サウンディングから三次元の世界で、一人称でやり直すことを提案した。
その結果、トライアル・サウンディングに参加した2者の地元事業者を中心としたJVが組成したコンテンツ重視の指定管理者制度の導入へとつながっていった。そして、このプロセスでは新しい施設整備などは行われていない。

八人町小学校

富山市_ハチマルシェ

この経験知を活かして動いたのが旧八人町小学校跡地だ。2005年に閉校し、富山駅から約1㎞の中心部(商業地域:容積率500%)に位置しながら長年にわたって活用方策が定まらなかった。そこで職員が自らまちを歩き、「犬とこども」を媒介としてコミュニティを形成していく仮説を立てた。2023年11月に第1回「ハチマルシェ」が開催された。犬と子どもをテーマにしたこのマルシェには、県内外から32ブースが出店し大勢の親子連れや愛犬家でにぎわった。その後2024年4月・10月・2025年4月・10月と5回に渡り、内容もブラッシュアップしながら継続的に開催された。地元では自治振興会役員らによる「旧八人町小学校跡地利活用検討委員会」も設立され、ハチマルシェを通じた機運醸成のなかでホールや子どもの居場所・交流スペースを備えた複合施設整備の方向性が固まった。2026年度から基本計画の検討と設計を進め、ここには掲載できないが、まさに「一人称で描かれた」基本計画に基づき、2029年度の利用開始を目指して20年に渡って手がつけられなかった一等地の計画が着々と進捗している。

疑似二人称のコンサルが「書いた」計画書ではなく、職員自身がまちを歩き、仮説を立て、試行の場を設け、地域の重鎮やプレーヤーと対話しながら少しずつ一人称で将来像を「描き」ブラッシュアップを重ねてきた。施設の将来像は二次元の計画書ではなく、実際に人が集まるグラウンド・校舎、そして敷地から飛び出てエリアで形成されてきた。富山市が、コンサル委託で事業手法比較表とVFMにより効率的に疑似二人称で「書いてもらう」ザ・PPP/PFI事業を量産するスタイルから、手間がかかっても自らまちを歩いて一人称で力強く「描く」スタイルへと転換しうることを示してくれている。

「描く」プロセスが「誰とやるか」を決める

「誰とやるか」も一人称だからこそ

自分たちで描くことのもう一つの本質的な意味は、「誰とやるのか」が自ずと見えてくることだ。ビジョン・コンテンツを自分たちの言葉で語れるようになれば、「このプロジェクトにはこういう民間プレーヤーが必要だ」というイメージが具体的に浮かび上がってくる。どんな事業者に声をかけるべきか、どんな提案を期待するか、どんな人・組織と一緒に走りたいのか。
これらはビジョンが明確であるほどクリアに見えてくるし、前述の富山市のようなプロセスを経ていけば、自ずと固有名詞で見えてくるはずだ。
PPP/PFIの世界では(←だけではなく一般的に)「それぞれが出すリソースはイコールフッティング」する。こちらが一人称で将来像を真剣に「描く」ことで、民間事業者もそれを具体的なプロジェクトとして三次元の世界にプロジェクトとして具現化する道が見えてくる。
逆にビジョンが曖昧なまま一人称ではない「誰か」に書いてもらった魂の宿らない要求水準書で「(安くできる人、)誰かいませんか」と広く募集しても、集まるのは「とりあえず手を上げた(、「誰でもいい」ことに応じた)」事業者だけで、本当に必要なパートナーとの出会いは生まれにくい。

「誰とやるか」で質はほぼ決まる

プロジェクトの質は「誰とやるか」でほぼ決まる。施設の規模・立地・事業費ももちろん重要な要素ではあるが、共に走るパートナーの質と熱量がプロジェクトの命運を左右する。そしてクリエイティブなパートナーを引き寄せるのは、行政が「自分たちで描いている」姿勢そのものだ。
民間事業者の側からすれば、行政が本気でビジョンを持ち、自分たちの言葉で語り、市場と誠実に向き合っているかどうかは、サウンディングの場でもひと目でわかる。「このプロジェクトで何をしたいのか」が明確な自治体・担当者は信用できるし、実際にトライアル・サウンディング等を通じて、どれだけ既成概念・前例・しきたりを打破できるのか、話のわからない上司や一部の生産性ゼロの反対のための反対勢力にも屈しないかは明確になってくる。こうしたことをできる行政(・担当者)であることが見えれば、民間事業者も自分たちのノウハウや経営資源を惜しみなく投入できる相手だと判断し、100%の力を発揮しようとする。そして、これらは「一人称で自分たちが描いた」ものであれば自ずとそこに宿っている。

一方で、一人称ではない形で、例えばコンサルや監査法人が作ったと一目でわかる資料、誰のものでもないビジョン(悪い場合にはビジョンすら書いていない)、「何を聞きたいのかわからない」サウンディング・・・このような事業(≠プロジェクト)には、優れた民間事業者は魅力を感じないどころかリスクしかないので近づかない。
本当にクリエイティブな事業者は、自社のノウハウと知的財産を注ぎ込む価値がある相手を見極めて動く。「行政が本気かどうか」は、民間にとって参入判断の最重要基準のひとつだ。

収斂される方法論としての事業パートナー方式

「自分たちで描くこと」こそがVFM

「自分たちで描く」かどうかは事業手法の選択にも直結する。自分たちでもがきながらビジョン・コンテンツを積み上げ、市場と対話しながらパートナーのイメージが具体化していけば、「コンサルに可能性調査を委託してVFMを算定して公募する」旧来の手順は自然と不要になる。
最低限の与条件だけを提示して一緒に走るパートナーを先行決定し、そのパートナーと共にプロジェクトを構築していく、いわゆる事業パートナー方式への収斂は「自分たちで描く」プロセスを経た自治体にとって当然の帰結だとも考えられる。
(※もちろん事業パートナー方式の一択ではないし、事業パートナー方式を採用することが「自分たちで描いた」こととイコールではないことを明記しておく。事業手法というか選定手順としてEOIや随意契約保証型の民間提案制度を採用することもあるだろうし、事業手法としても富山市の八人町小学校が従来型発注に収斂されていることも忘れてはならない。同時に、結果論としての従来型発注だからといって、「何も考えずに」or「表面上の事業手法比較表とVFMに基づいて」従来型を選択することとは全く意味が違うことも補足しておく。)

 南城市

南城市では、コストコの北側に市が所有する土地を活用して「まちの発展に寄与する場を作ってほしい」という極めてフラットな提案を求め、事業手法を一切書かずに公募をかけた。民間事業者の事業パートナーがやる範囲は、行政が費用を負担してマスタープランを策定し、事業者の創意工夫・自らの資金によって必要な建築・設備の設置と運営まで一体で行うものだ。事業パートナーに選定されたのは紫波町のオガールプロジェクトやノウルプロジェクトを手がけた、PPP/PFIの世界の第一人者である岡崎正信氏である。ビジョンや南城市の姿勢が明確だったからこそ、そのビジョンに共鳴できる最高の相手が事業パートナーとして選定されている。

宍粟市

宍粟市では、下水道事業の企業債残高の対事業規模比率が2020年度に3100%、2022年度でも2795%、水道事業でも企業債残高対給水収益比率が908%超(2022年度)という、文字通り「ほぼ無理ゲー」の財政状況に直面していた。そのような絶望的な現実を正面から直視し、基幹浄水場である上寺浄水場(計画浄水量12,000㎥/日)の老朽化更新にあたって、従来型の可能性調査・アドバイザリー業務のコンサル委託を一切行わず、「給水人口の減少を見据え、市と民間事業者が連携して事業デザインを構築する」という極めてシンプルな方針のもと、公募型プロポーザルを実施した。
2025年7月に電源開発株式会社が水道機工・水機テクノス・日本メンテナスエンジニヤリングとのグループで優先交渉権者に選定された。今後は宍粟市との間で基本協定書を締結し、協働事業者として基本計画を策定したうえで事業契約を締結する予定で、2026年度に着工、2028年4月の運営開始、2048年3月までの20年間の運営を見込む。
「(ただでさえ難しい状況下にありながら)経営的に回らないような事業にしてはいけない」そのシンプルな構造を、宍粟市は「ほぼ無理ゲー」の状況から導き出した。

射水市

射水市では、旧放生津小学校の跡地活用にあたって2023年度から足かけ3年をかけて「自分たちで描く」プロセスを積み上げてきた。
2025年に放生津小学校と新湊小学校が統合し、旧放生津小学校は2027年3月末まで新湊放生津小学校として暫定使用中の間に地域住民向けの講演会・ワークショップ、民間事業者向けのオンラインニーズ調査、サウンディング、「みんなの学校 まちとつながるオープンデー」等の試行イベントを重ね、2025年3月に利活用の基本方針を策定した。掲げたテーマは「学びを通してつながりを大切にする居場所」——ヒトを育てる場、モノを育てる場、歴史を伝え広める場、交流の場という4つの機能を求めている。グラウンドは市指定文化財の史跡「放生津城跡」であり建築物が建てられない制約も、自分たちで現地を歩いてこそ見えてくる現実だ。
こうして積み上げたビジョンと与条件を携え、2026年に事業パートナーの公募型プロポーザルに踏み切っている。跡地施設の運営等に係る調査業務の事業費上限は15,000千円を想定し、優先交渉権者は事業パートナーとして決定後に基本協定を締結し、市と協議しながら基本計画を策定することとなっている。また、改修費の一部は事業パートナー選定後に協議のうえ市が負担することも想定しており、資金調達・設計・工事は事業者の自己資金を基本とした積極的な提案を求めている。2027年度に改修工事を開始し、2029年度の利活用スタートを目指す。アドバイザリー業務のコンサル委託は一切行っていない。3年をかけた検討・試行・地域との対話等を通じて積み上げてきたビジョンが、自ずと「誰とやるか」を選ぶための公募へと結実している。

久米島町

久米島町のバーデハウス久米島は、海洋深層水を100%利用した世界初の温浴施設として2004年に開館したが、塩分による施設劣化とコロナ禍が重なり2020年10月に休館に追い込まれた。
久米島町は休館直後から動き、筆者も関わらせていただきながら、まず若手職員で構成するワーキンググループを立ち上げ「なぜバーデハウスが破綻したのか」「久米島にはどんな魅力があるのか」「どんなコンテンツを誰に向けて提供するべきか」といったことを一つひとつ丁寧に、自分たちの言葉で収斂させていった。2021年のサウンディングでは「ここにしかない時間の流れや特別な空間の創出」をメインコンセプトに掲げ、「観光客向けの高価値・高単価の非日常ゾーン」をバーデハウスで実現し、「町民の健康増進のためのコンテンツ」はその利益を使ってまちなかのどこかで実現するというブレない覚悟が公募資料に記された。その後3期にわたるサウンディングで「町のやりたいこと」と「民間の投資できるところ」を段階的にマッチングさせながら諸条件を収斂させていった。
2022年の1回目の公募は建設物価の高騰・コロナ・ウクライナ情勢などを背景に3グループが興味を示したものの不調に終わった。そこで諦めるのではなく改めて諸条件を整理し、2024年の第2回公募へつなげていった(これも2グループが参加表明したものの、離島単価の問題が障壁となり不調となってしまった)。
そこで、バーデハウスのみならず泊フィッシャリーナ・旧久米島中学校・久米島シーサイドパークゴルフ場を加えた3本を同時に事業パートナー方式で公募する方向に切り替え、2025年2月の審査委員会では泊フィッシャリーナを除く2件について優先交渉権者を選定するに至った。
バーデハウス久米島再生プロジェクトの事業パートナー優先交渉権者として㈱むんぶを選定し、バーデハウス久米島再生プロジェクトに関する官民連携事業パートナー基本協定が締結された。
公募資料には担当者自身が登場し、ドローンも駆使してバーデハウスの魅力とプロジェクトへの想いを1分42秒のハイクオリティな動画にまとめた公式資料が添付されていた。担当者、そして久米島町に「本当に叶えたい」想いがあるから、地域のプレーヤーがつながってくる。これこそが「自分たちで描く」ことの力だ。2020年の休館から基本協定締結まで約5年。その長い道のりの一つひとつが、「誰とやるか」を引き寄せるための積み上げだった。そして、この先も事業化に向けてまだ果てしなく遠い道のりが待っている。

結果論としての事業パートナー方式

これらの自治体はいずれも、コンサル・監査法人への業務委託や有識者委員会・市民ワークショップ等の疑似二人称・三人称にしかなり得ない余計な媒介を排除し、行政と実際に事業を行う民間パートナーが直接組む形に辿り着いている。
「自分たちで描く」プロセスを経て収斂された事業パートナー方式は、自分たちで積み上げた思考の結晶をパートナーとともにプロジェクトとして昇華していく「リアルな生き方」の結果論でしかない。

「書いてもらう」世界と「描く」世界

疑似二人称のコンサル・監査法人や三人称にしかなり得ない市民WS・有識者委員会に「書いてもらう」世界と、行政が一人称で関係者と連携しながら「描く」世界。この二つは、プロセスの外形がときに似て見えても、本質が根本的に異なっている。

誰かに「書いてもらう」世界

「書いてもらう」世界では、コンサルタントが示した事業手法比較表が採用され、分厚い仕様発注に限りなく近い要求水準書(・契約書案・リスク分担表案等)が入札公告に添付される。仕様書パズルを読み解き、コストを徹底的に削ぎ落として落札した事業者が言われるがままに施設を整備し、契約書で書かれたとおりに運営する。手続き上は全く問題ないし、そこにはリスクもほとんど存在し得ないが、そこにはクリエイティビティ・柔軟性もなければ「まちの文脈」が入り込む余地もない予定調和の世界でしかない。

自分たちで「描く」世界

一方で一人称で自分たちが「描く」世界は、担当職員がまちを歩き、市場と対話し、仮説を試し、修正しながら少しずつ試行錯誤しながら形を作っていく。要求水準書が薄くなるのは書くべき仕様がないからではなく、「何を求めるか」がこれらのプロセスを通じて共通認識として醸成されており、同時に事業者と一緒にプロジェクトそのものを事業パートナーとともに考える余地を残す、そうしたことを志向しているからだ。
ビジョン・コンテンツ・与条件を整理したうえでサウンディングによって市場性とマッチングさせていけば、最低限の言語化して書くべき項目が明確になるので、そこだけ書けばよくなる。
それ以外の部分は、これらのプロセスを通じて「阿吽の呼吸」で成立しうる共通認識が醸成されているし、対等と信頼の関係が構築されていれば、日々発生する不測の事態にも双方のリソースを持ち寄って柔軟に対応していけるはずだし、クリエイティブに日々、プロジェクトが進化・深化していくことになる。当然にその過程でまちともより深くリンクしていくことになる。

全く異なる2つの世界

この2つの世界から生まれるプロジェクトの間には、埋めようのない差が生じる。一方は完成した瞬間から老いていき、もう一方は関係者が育て続けることで時間とともに深みを増し人を惹きつけていく。プロジェクトへの愛着は、それを一緒に作ってきた人たちの数と密度に比例する。
コンサルタントが「書いた」計画書に愛着を持つ人間は、そのコンサルタント以外に誰もいない。有識者委員会が承認したという事実が、地域プレーヤーの参画を生み出すだろうか。市民ワークショップで出てきたアイデアを盛り込んだ施設を、参加者が自分のものとして大切にするだろうか。答えはいずれも否だ。

まちを、そしてプロジェクトを愛する人を増やしていくことが、PPP/PFIで連携していくことの効果のひとつだ。そのためには担当職員が一人称で語れるビジョンを持ち、地域のプレーヤーとともに汗をかき、市場と対話しながら少しずつ形にしていく以外に道はない。コンサル等の第三者でしかない「誰か」に依存して二次元の世界で「書いてもらう」ものと、「自分たち」が一人称で関係者と連携しながら「描く」世界。

愛されるプロジェクト・まちになるのがどちらかは、自ずとわかるはずだ。

お知らせ

2026年度PPP入門講座

2026年度PPP入門講座_フライヤー_オモテ
2026年度PPP入門講座_フライヤー_ウラ

毎年開催し、好評をいただいているPPP入門講座。
2025年度は過去最高の544名(終了時点)のご参加をいただきました。
今回も行政関係者(職員・議員・政府系金融機関等)は全て無料です。

更に内容を充実させ2026.4.23から全6回(各回:60分×3コマ)にわたってPPP/PFIを現場重視・実践至上主義のまちみらいらしい形で、具体的な事例を中心に解説していきます。
指定管理者制度が実は非常に柔軟で自由度が高い仕組みであること、サウンディングやトライアル・サウンディングが「サウンディング疲れ」とならないための工夫なども紹介します。
包括施設管理業務委託、随意契約保証型の民間提案制度、事業パートナー方式等については、「ここでしか聞けない」内容にもなっています。

会場参加の方には毎回、終了後に有志による懇親会や希望者には開始前に会場周辺での無料相談会なども開催します。

ぜひ上記リンクをご覧いただき、ご参加いただければと思います。

セミナー「PPP/PFIの今とこれから」

PPP/PFIの今とこれから_フライヤー

2026年4月28日にまちみらい主催で表記セミナーを開催することとなりました。この世界を牽引してきたお二人が「PPP/PFIの今とこれから」をベースに語り、トークセッションを繰り広げます。
他ではなかなかない機会なので、ぜひご参加ください。
また各種特典を用意させていただいているスポンサー(100,000円_税別)も募集していますので、こちらもお願いします。

2025年度PPP入門講座記録集

過去最高の544名(入門講座終了時点)のお申し込みをいただいた2025年度のPPP入門講座。せっかくなので音声データを文字に起こして文章として読める状態に整理し、AmazonのKindle版・ペーパーバック版として販売(2025.12.21発売)をしています。
全18コマ=60分×3コマ×6日のうち、ゲスト講師分の1コマを除いた全17コマの議事録を取りまとめた記録集です。
公共施設を取り巻く本当の背景から、教科書型のザ・公共施設マネジメントやザ・PPP/PFIではなぜ立ち行かないのか、指定管理者制度が実は非常に柔軟な方法論であること、随意契約保証型の民間提案制度の可能性、今後のPPP/PFIの主流になるであろう事業パートナー方式、更にはいくつかの自治体で見えてきたNext PPP/PFIの世界。
PFI法とは何か?事業手法比較表やVFMの算定といったこととは一線を画す、合同会社まちみらいの社是である「現場重視・実践至上主義」に基づく内容となっています。
延べ約410,000字に及ぶ膨大なボリュームとなっています。
2025年現在のPPP/PFIの立ち位置と様々な自治体・民間事業者の生き方が見える一冊となっています。

PPP/PFI実践コラム集:デッドストック編

こちらもAmazonのKindle版・ペーパーバック版PPP/PFIや公共施設マネジメントの実務・実践に特化したコラム集。
本著は、まちみらいの社是である「現場重視・実践至上主義」の考え方と豊富な実践経験に基づいたコラム集であり、VFM、事業手法比較表等の教科書的な話は一切排除し、「どのように非合理的な行政を取り巻く社会」でプロジェクトを構築・実践していくのか、理念や理想論ではなく、経験知に基づいたヒント集である。
まちみらい公式noteや各種執筆等で記した内容も、2025年現在にリライトするとともに、そこでは書ききれなかった多様な想いを散りばめたデッドストック集。
「覚悟・決断・行動」、求められているのは決してテクニカルなことではありません。
プロとしてどう生きていくのか、行政職員はもとより、民間事業者の皆さまや、自分のまちで何かしたい市民の皆さまにもオススメです。

2026年度見積受付中

現在、2026年度のまちみらいとしてのアドバイザー業務・個別案件等の見積を受付中です。
受託できる数には物理的な制約がありますので
・既契約のところ
・早くお問い合わせをいただいたところ
・モリモリパックで検討いただけるところ
・やる気のあるところ
から順に対応させていただきます。

ぜひお気軽にお問い合わせを。

noteプレミアムへの移行

2025年1月からまちみらい公式noteは「noteプレミアム」に移行しました。(単純に今まで知らなかっただけ。。。)
noteにコメントも受け付けています。双方向型になっていけるようコメントにはレスを入れていきます。記事の「いいね!」も積極的にお願いします。
また、最下段にあるように「投げ銭」は絶賛募集中ですw

実践!PPP/PFIを成功させる本

2023年11月17日に2冊目の単著「実践!PPP/PFIを成功させる本」が出版されました。「実践に特化した内容・コラム形式・読み切れるボリューム」の書籍となっています。ぜひご購入ください。

PPP/PFIに取り組むときに最初に読む本

2021年に発売した初の単著。2025年5月現在7刷となっており、多くの方に読んでいただいています。「実践!PPP/PFIを成功させる本」と合わせて読んでいただくとより理解が深まります。

まちみらい案内

まちみらいでは現場重視・実践至上主義を掲げ自治体の公共施設マネジメント、PPP/PFI、自治体経営、まちづくりのサポートや民間事業者のプロジェクト構築支援などを行っています。
現在、2026年度以降の業務の見積依頼受付中です。

投げ銭募集中

まちみらい公式note、世の中の流れに乗ってサブスク型や単発の有料化も選択肢となりますが、せっかく多くの方にご覧いただき、様々な反応もいただいてますので、無料をできる限り継続していきたいと思います。
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そんななかで「投げ銭」については大歓迎ですので、「いいね」と感じていただいたら積極的に「投げ銭」をお願いします。

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