残夢【第二章】③過去(血)
薫子はそのうち分かってくれる。また今までのような優しくて素直な薫子に戻ると思って先生たちが長い目で見守っていたのが悪かった、かどうかは分からない。
二学期が始まっても薫子は変わらないどころか、輪をかけて大輔をはじめとする男子全員に対するあたりがきつくなり、さらに悪いことに薫子のような考えが他の女の子たちにも広がっていった。
「先生、階段でマサトくんがスカートの中を覗きました」
「えっ。のぞいてなんてねぇよ」
百恵の発言で今日の学級会も少し長引きそうな予感がした。
「マサト君は覗いて、笑ってました。私は傷つきました」
薫子みたいな口調で文句を言うのは、今日は百恵だった。薫子は黙って聞いている。沢村先生は冷静にみんなに向けて言った。
「覗くのは良くないな。本当かな」
休み時間にマサトが笑っていたのは本当だ。百恵が短いスカートをひらひらさせていたから「見えちゃった」らしく、「見せるなよ」「見たくねえよ」と言いながら笑っていた。
「そんな短いスカート履くからだろ」
マサトは口を尖らせた。
「あと、ケンスケ君も一緒に笑ってました」
「えっ。僕?」
まさか自分まで文句言われるとは思わなかった。今日の標的はマサトと僕か? とドキドキした。
「僕は、でも、覗いたり見たりしてません。本当です」
慌ててはっきり否定した。最初が肝心だ。最初に強く否定すればそれ以上文句を言わない時もある。
「笑ったでしょっ」
ところが百恵は僕を強く非難した。
そういえば笑ったのは笑ったかもしれない。でも別に百恵を笑ったわけじゃない。
「マサトが変な顔をしたから、マサトの顔が面白くて笑ったんです」
そう言ってから慌てて立ち上がった。
「でも、百恵さんが嫌だったなら謝ります。ごめんなさい」
ここ数日の学級会の流れから考えたら、早めに謝るのが正解だと分かっていた。そのほうが早く帰れる。マサトもそれが分かっていたのか僕に続いて立ち上がり、「ごめんなさい」としっかり頭を下げて謝った。
「堂森君が謝ることないのにね」という他の女子からのヒソヒソ声も聞こえた。薫子は、それが耳に届いて気に入らなかったのかもしれない。先生が「じゃ、明日の」と話を終わりにしようとしたところで薫子が「先生!」と大きな声を出して手を挙げ立ち上がった。
「なんで謝ったんですか」
「は?」
一斉に薫子に視線が集まった。
「堂森君は、なんで謝ったんですか。マサトの顔が面白くて笑ったならどうでもいいです。マサトが悪いことをしたんだから学級委員として怒って欲しいです。自分が覗いてないからって、それでいいんですか。自分は無関係ってことですか。堂森君がマサトに腹立たないなら、なんで謝ったんですか。本当は悪いと思ってないでしょ」
僕はわけが分からなかった。僕はきちんと謝ったつもりだった。でも「本当は悪いと思ってない」のも事実。だけどそんなこと言えないし、マサトに対して腹を立てないといけない? 分かるような、分からないような話だった。
「ジカクがなさすぎます。イシキがひくすぎる!」
いや、やっぱりぜんぜん分かんない。
「あの時、マサトに謝りなよって言ったのに、マサトは無視して逃げました。百恵が学級会で言わなかったら謝らなかったですよね? ぜんぜん悪いと思ってないですよね? なんでスカートはいている百恵が悪いんですか?」
言い返したり議論したりするつもりはなかった。今日は早く帰りたかったので薫子が座ると僕は再び立ち上がった。
「えっと。では学級委員として言います。マサトのしたことはいけないことだと思います。見えちゃったときに、すぐに謝るべきだと思います。笑うのはよくないです。百恵さんは女の子なんだからスカートをはくのは当たり前です。悪くないです。マサト、もうしないよな?」
マサトは何度も首を縦にふった。
「これから、みんなも気を付けてください」
男子たちは不満げな顔をする人、びくびくする人、何が起きているのかまったく分からずぽかんとする人、という感じだったけど女子の数人がパチパチと拍手をすると、百恵もしぶしぶ拍手をした。
先生は引き攣った笑いを見せ、また「じゃ、明日な!」とさっさと話を終わらせようとした。
ところがまた薫子が立ち上がった。
「堂森君は当たり前のことを言っただけです。不当に差別するのをやめましょうと言っただけです。拍手するのはおかしいです!」
これには拍手していた百恵もびっくりした顔で薫子を見た。
「え? サベツ?」
「男が当たり前のことを言ったら拍手ですか! 女子が当たり前のことを言ったら、うるさい、だまれ、って言うくせに!」
薫子はみんなの顔を見渡して、鬼のような形相で怒りをあらわにしだした。
「おかしい! そんなのおかしい!」
僕も、百恵も、先生のほうを見て助けを求めた。
とうとう薫子が何を怒っているのか、本当にさっぱり分からない。そもそもスカートの中を見られたと言って怒っていたのは百恵だ。百恵も拍手していたのに、その百恵まで睨まれている。
「謝れ! 差別してたやつらみんな、謝れ!」
先生は「分かった。分かった」と言いながら、薫子の両肩を押さえようとすると薫子は激しく抵抗する。隣の四年の教室から内田先生が走って入り、薫子の振り回す手を押さえて宥める。薫子の「謝れ」という声は徐々に涙声になり、内田先生に抱きすくめられ、それでも「差別はゆるさない。あやまれ」と泣きながら訴え続けた。
沢村先生がみんなに「帰れ」というジェスチャーをすると、まずは男子が、次に女子がパラパラと教室を出た。百恵も教室を出て行った。
僕はどうしたらいいのか分からず、大輔と一緒に教室をあとにした。
*
翌日、休み時間のサッカーで転んでしまい、消毒をしてもらおうと保健室に走った。でも、中に薫子がいて入りづらいので廊下でしばらく待っていた。
「あたし、分かったんです。お勉強ができないのは私が女子だからです」
薫子の泣きそうな声が耳に入った。
「え。女だから?」と保健の先生は繰り返した。
「あたし、女子だからおうちの手伝いもして、弟の面倒も見て、それに学校にきたらスカートの中を覗こうとする男もいるし、おちついて勉強できないんです。先生は男ばっかりひいきして分からないところも教えてくれないし」
沢村先生は男子をひいきすることなんてない。どの教科も分からない人には丁寧に何度でも説明してくれているのに。ヌレギヌだ。保健の先生は知らないだろうから教えてあげたい。
「いたい、お腹いたい」
薫子は簡易ベッドの上でお腹をおさえてうずくまった。
「うん。痛いね。いつ保健室に来て休んでもいいからね」
保健の先生が薫子の隣に座って肩を抱く。
「でも、保健室に来るときに男子に笑われた」
「そっか。それは嫌だね」
そう言って肩をポンポン叩く。
「でもね、生理は恥ずかしいことじゃないのよ」
先生の言葉に僕ははっとした。
そうか。アレか。誰かが言っていた。「薫子はセイリだからイライラしている」って。なんだ本当にそうだったのか。
「大丈夫。女の子は誰でもそうやって大人の女性になって赤ちゃんを産む準備をするのよ。始まったばかりのころはね、周期がちゃんとしてないから。今月は突然来てびっくりしちゃったのね」
保健の先生が優しく言う。
「私もね、お腹痛いのを我慢して学校に来てたわ。嫌だよね、ほんと面倒くさいし。もうおばあちゃんだから関係ないけどね」
先生が慰めるように言うと、薫子は顔を上げて叫ぶように言う。
「私は生理なんて来てないし、子供だって産まないし、そんなのなくったって大人の女性になれます。立派な、ドクリツした、大人の女性です!」
「いい加減になさい」
内田先生なら「そうか」と優しく言うところだったかもしれないけど、年をとった保健の先生はピシャリと言い返した。
「大人の女性っていうのはね、そうやって自分の感情だけを相手に押し付けたりしないのよ。周りをちゃんと見なさい。最近の薫子さんはちょっと我がまま」
急に性格が変わってしまったような薫子に対して、そういえば怒る先生は一人もいなかった。薫子の家が貧乏だからかもしれないと僕は思っていた。でも、保健の先生がビシっと言ってくれたことで、もしかして薫子は目が覚めるんじゃないかと一瞬思った。
ところが薫子は小さい声で言い返す。
「子どもなんて産みません。女の子が産まれたら私みたいに差別されたり被害にあったり、悲しい事しかありません」
「そんなことないわよ」
「もし男が産まれちゃったらどうするんですか。犯罪者が増えちゃうじゃないですか。だから、もう、女子は子供を産んだらいけないんです」
「ばかなこと言うのはおやめなさい!」
保健の先生もこれには黙っていられないようだった。大声で怒鳴りつけた。
でも薫子はかえってヒートアップした。
「黙っていろってことですか。黙ってるのが大人ですか。先生はおばあちゃんだから女は黙ってろって時代だったかもしれないけど、今はちがうんです。時代は変わったんです。あたしは黙りません」
先生は言い返すのをやめて大きなため息をついた。そして「どうしちゃったの、いったい」と悲し気な声をあげた。
僕の膝に滲んでいた血は、すっかり枯れていたので教室に戻った。
④「過去(槌)」へつづく ▶
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