残夢【第二章】④過去(槌)
薫子がおかしなことを言い始めたのは家庭の問題というのが先生たちの結論だった。
お姉ちゃんが高校受験で、そのぶん薫子が親の手伝いをしなければいけないというストレス。「心配だからさり気なく家庭訪問してみます」と内田先生が職員室で話しているのを聞いてしまった。でもその日、「姉より自由に遊んでいる」「家では全く問題なくおとなしい」「なぜ来た!」と父親が怒鳴る声を、隣の家の大輔は聞いたらしい。
金門村の秋は忙しく、収穫祭や運動会など大人も子供も協力し合う行事が多い。たまに薫子が変な事を言っても、みんな、またかと呆れるくらいだったし、他の女子たちも薫子の言うことにあまり同意しなくなっていた。
ところが、十二月の冬休み目前。
マサトいわく「薫子の生理のイライラが戻ってきた」、ある日のこと。
大輔が日曜日に庭で手入れしていたハンマーを薫子が危険だと言って取り上げたらしい。
大輔は道具を大事に扱っている。尊敬する大工のお父さんから譲ってもらったものなのだから危険なことをするわけがない。なのに薫子が勝手に取り上げ、返してくれないと言う。
大輔は朝一番に、職員室にいた内田先生に泣きついた。薫子に事情を問い質してくれるも、「あぶないから預かっている」と言うだけで、話にならない。
「オレ、危ないことはしてないです」
大輔が否定しても「大輔は自覚がないんです。怖いです」と言う。
「バカにあんな危ないもの持たせたら、本当にいつか私たちが被害に遭います。自覚がないんですよ?」
「薫子ちゃん、人のことバカって言うのはやめましょう」
内田先生は毎回同じことを言う。効果はないけれど。
「内田先生、知ってますか。中学になったら男子は金槌とか鋸とか使う授業があるのに、女子は料理とか裁縫の授業しかないって。差別ですよね? 大工道具って差別のショウチョウみたいなものですよね」
それを聞いた内田先生はちょっと面倒くさそうに返事をする。
「あー、えっとね。二年くらい前から変わったよ。男子も家庭科で料理するし、女子も鋸つかって技術の授業を受ける」
「えっ」
これには薫子も驚いたようだった。僕もてっきり中学生になったら別々に授業を受けるんだと思っていた。お母さんもそう言っていたから。
「薫子ちゃんのお姉ちゃんだってそうでしょ? 聞いてないの? 大輔君と同じ授業ができるから、あなたの大好きな男女平等になっててよかったね」
内田先生の言い方は、少し嫌味っぽかった。
薫子は頭が良くて家のお手伝いをせずに勉強ばかりしているお姉ちゃんと仲が悪いのだと大輔が言っていた。だから中学の授業の内容なんて知らなかったんだ。今日は俺たちの勝ちだな、と思ったけど薫子は慌てて言い返した。
「バカな男たちと一緒にやるのは怖いです。あぶないんだから区別するべきです。女だけのクラスがいいです」
先生は大きなため息をついて、さっきよりも面倒臭そうに言った。
「じゃあ、大輔君は薫子ちゃんの離れたところで気を付けて使うようにね。はい。薫子ちゃん、返してあげてね。はい、終わり」
先生達の薫子への対応はだんだん適当になってきたみたいだ。「終わり」と言い放って机に向かい、一時間目の授業の準備をし始めた。
「先生、今、めんどうくさくなったでしょ。そうやってめんどうくさい事から目をそむけて、今まで校長先生とかの言う事ばっかりそのまま聞いてたんでしょ。かわいそうに」
先生は慌てて周りを見渡し「そんなことないよ」と取り繕う。
「大人がそんなんだからいつまでたっても女性の地位が向上しないんです」
「は?」
変な言いがかりをつけられた内田先生が眉間に皺を寄せる。
「先生たちのせいですからね。私たちが差別されているのは。あたしはそれを挽回しようとしているんです」
すると、廊下から沢村先生が入ってきて薫子の前に立った。
「薫子、大輔のことをバカバカ言うのは差別じゃないのか」
沢村先生はいきなり仁王立ちだ。
「お前の発言はずいぶん大輔をバカにしているぞ。それはどうなんだ!」
薫子は肩をビクっと震わせ半歩下がった。
手の平をぎゅっと強く結び、くちをへの字に曲げ、沢村先生が何か続きを言いそうになる前にピンと背筋を伸ばしてはっきりと言った。
「怒鳴っても意見は変わりません。そうやって怖い思いをさせれば女が黙ると思ったら大間違いです」
「なにぃ?」
沢村先生はギロリと薫子を睨み下ろす。
沢村先生は、誰かが誰かを叩いたとか、悪いことをするととても厳しく怒る先生だけど、それ以外でこんな風に怖い顔をすることは滅多にない。
それでも薫子はやめない。強く結んだ両手を胸の前に当て、一生懸命睨み返す。
「差別されたことがある人しか、差別される悲しみや悔しさは、ぜったいに分からない」
そう言って薫子は涙をにじませた。
「あたしは一生戦う。女を差別する人たちと」
チャイムが鳴った。きっと大輔も先生たちも「助かった。終わった」と思ったに違いない。僕たちは慌てて職員室を出た。
沢村先生に怒鳴られた薫子は少し可哀相に見えたけど、でも大輔にとったらそんなこと関係ないみたいだ。放課後はハンマーをどうやって取り返すかの作戦会議が始まった。
「昼休みに百恵たちが話しているのをコッソリ聞いたんだけど」
「どんな話?」
大輔の話は周囲を見渡して小声で話し始めた。
「薫子と百恵が夏休みに、毎日英語塾に通ったんだって。山の頂上近くにある赤い屋根のお家だって」
山頂付近の赤い屋根。少し前にその家まで行った気がすると思ったけど、すぐには思い出せなかった。
「薫子んちはお金がないはずなのに塾に通うなんておかしいよ」
「最初は、お姉ちゃんと一緒にお試しレッスンだったらしいんだ。でもお姉ちゃんは受験に関係ない勉強だったって言ってすぐにやめたんだって。だけど薫子はなんでだか、優秀だってずっと褒められるんだってさ。だから、お金は払わずにそのまま塾に遊びに行ってるって」
「薫子が優秀? 悪いけど想像できない」
「だろ。それに、ちゃんとお金を払ってる百恵はズルイって怒っているらしい」
なるほど大輔は、そんな感じで薫子の悪口を話している百恵たちの会話を、陰でずっと聞いていた訳か。
大輔の話は続いた。
冬休みにはまた毎日塾があるらしい。薫子はちょっと鼻につくけど、塾はとても楽しいらしい。この前のハロウィンパーティーなんか、とっても楽しかったらしい。
「ハロウインって?」
「知らね」
学校の先生と違って塾の先生は全然怒らないし、めちゃめちゃ褒めてくれるし、料理や外国のお菓子がとても美味しいらしいし、外国人の男の先生がとてもカッコいいらしい。
「本物のアメリカ人がいるの?」
「アメリカ人かどうか知らないけど。ジョン・オノダとか言って。外国人だからめちゃくちゃ女に優しいんだってさ」
「それを俺たちと比べてるのか。勝てるわけないな」
別に勝ち負けじゃないけど、なんだか気分が悪かった。結局かっこいい男が好きなだけなんじゃないか。差別とかなんとか言って。女子の考えそうなことだ。
その塾の生徒は女ばかりらしい。夏休みや冬休みには東京からも人が来るし、中学生もいるらしい。今度のクリスマスにはパーティをするらしい。それまでにがんばった人が表彰されて大きなプレゼントがもらえるらしい。
「プレゼント?」
「うん。だからがんばってるんだって。百恵が張り切ってて、サチとかルミに協力してって言ってたんだよ。薫子には負けたくないんだって」
「協力って何を」
「そこからがおかしな話なんだよ」
大輔は、いつのまにか大きくなっていた声を、あらためて小さくした。
「女を差別するものを没収してくるんだって。本とか、道具とか、誰かがこんなことを言ってましたっていう手紙を書いてもいいんだって。それを集めてパーティで発表する。たくさん集めた優秀な人がプレゼントをもらえるって」
「なんだそれ」
「おかしいだろ? だからさ、それに持って行ったんじゃないかと思って。オレのハンマー。そういや薫子が言ってたんだよ。終わったら返すから待ってなさいって。きっとそういうことだ」
「なるほどね」
「でもオレも妹にクリスマスプレゼント作りたいから、早く返してくれないと困るんだよ。だからさ、一緒に取り返しに行ってくれないか」
「その家に?」
「うん。お願い」
一緒に行くのは嫌ではないけど、あまり乗る気はしなかった。
お父さんに相談してみたらと大輔に言ってみたけど、お父さんから貰った大切な道具を女に取られたなんて恥ずかしくて言いたくないって。まあ、その気持ちも分かる。
「でも返してくれるかな。だって薫子みたいなことを言う英語の先生がいて、わざわざそういうものを集めてるってことだろ?」
「うん。だから勝手に持って行っちゃおうぜ」
「それじゃ泥棒じゃないか」
「ちがうよ。玄関はいつでも開いてるんだってさ。気軽に遊びに来てねって女どもは言われてるらしい。百恵が言ってた」
「でも僕たちはダメだろ」
「なんかさ、玄関入ってすぐのところに並べてあるんだって。誰が優秀か一目で分かるように」
「没収したものを?」
「うん。たぶん」
「ふーん」
「あいつら今日は女子バスケの練習の日だから、四時には絶対に麓の体育館にいるはずなんだ。だから四時に現場で待ち合わせしようぜ」
「うーん」
僕は曖昧に返事をした。
いくら玄関が開いていても、いくら大輔の持ち物でも。中に入って勝手に持っていくのは泥棒みたいで気が乗らない。でも「お願いお願い」と何度も頭を下げる大輔に断ることができなかった。
とりあえず、行くだけ言ってみるか。
そう考えて、いったんそれぞれの家に帰った。
⑤「過去(扉)」へつづく ▶
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