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東海道五十七次 徒歩の旅⑲淀宿~大阪高麗橋 合計670㎞歩いていました

こんにちは。26歳女です。

2024年11月から12月に、18日間かけて東海道五十七次を歩きました。
この記事では、東海道五十七次を歩いた記録を書いていこうと思いますので、これから歩く人にとって参考になればと思います。

これまでの記事一覧はこちら↓

今回の内容

今回は、出発して18日目に歩いた淀宿~大阪高麗橋について書きます。
この日はついに、東海道五十七次のゴールである、大阪の高麗橋に到着します。

淀宿出発

2024年12月14日(土)、天気は晴れ。
前日に宿泊したホテルはこちら↓

この日は、8時前に出発。
朝の気温は5度。出発した18日前と比べてすっかり冬の気温になりました。
この18日間、1度も雨に降られなかった私。
この日は少しぐずついた天気でしたが、小雨程度で雨雲を避けられました。

「晴女」と豪語していた私は、今や正真正銘の晴女です。

↑京都の山にはすでに雪が積もっています。

↑淀川御幸橋を渡ります。

↑道標。

↑天野川に架かる鵲橋(かささぎはし)。
この川は、砂が白くゆるやかな流れであったことから、昔から天上の銀河と呼ばれていました。
古代中国の七夕の伝説では、かささぎが天の川に群れて橋になり、織姫と彦星の橋渡しをすると伝えられています。
この伝説にちなんで、鵲橋と呼ばれるようになりました。

↑鵲はこんな鳥。

↑品川から数えて56番目の宿場町、枚方宿に到着です。
ここで、自転車で高麗橋を目指しているご夫婦に会いました。
「ほな!」といって、別れましたが、この後3回会います(笑)

↑宗左の辻(そうざのつじ)道標。1826年にできたものです。ここは岩船街道(大阪府枚方市と奈良県生駒市を結ぶ街道)の分岐点で、製油所を営んでいた宗左という商人の屋敷があったことから、そう呼ばれるようになりました。

↑大阪に向かうため大阪街道って私は言ってるけど、ほとんどのひとは京街道って言ってる。

↑商店街を進みます。枚方市駅が近くにあるのと、土曜日だったため人が多め。

↑東海道五十七次ののぼり。
SNSで発信をしている中で、友人たちから「何してるの?」と問われ、「東海道五十七次歩いてるよ」と伝えても、一発で伝わる人はいませんでした。

↑妙見宮常夜燈石灯篭。1854年にできたものです。この1854年は、長らく鎖国していた日本が開国した年で、京都・大阪間の往来が増え、社会不安が高まっていた時期でした。その中で、天下泰平と枚方宿内の安全を祈願したものと考えられています。

↑枚方宿を超えると、淀川に沿って歩いていきます。工事によってゴルフ場が並ぶエリアに迷い込んで、長々と淀川の河川敷を歩いてしまいました。めっちゃ単調でつらかったです。

↑守口宿に到着です。一里塚跡がありました。
守口宿は、1615年の大坂夏の陣(徳川家と豊臣家の戦い)の翌年に宿場として成り立ちました。

自転車の夫婦と再会をし、「ほんまにはやいなあ」と関西弁で色々驚かれました。

↑守口宿の高札場復元。
この周辺の道は、1596年に豊臣秀吉が命じて造らせた「文禄堤」と呼ばれる堤防でした。人々はこの堤防で生活を営み、料亭も並んで賑わっていたそうです。

↑都を目指す意味で京街道が多く使われているのかな。
京街道は、豊臣秀吉が1592~1597年に、淀川の左岸の堤防を改修して、堤防上に陸路を整備したことが始まりです。その後、1601年に徳川家康が東海道を整備し、1619年にこの京街道(大阪街道)の宿場が整備されました。

↑森小路商店街。すごく賑わっていました。寄り道したい気持ちを抑えて、高麗橋を目指して先を急ぎます。

↑ところどころ、こういった新しい道標があります。

↑大阪城が見えました。寄りたいけど、あそこに寄るのさえしんどいのでパスします。

↑高麗橋の表示が見えてきました。道もだんだん交通量が多くなって、現代に戻ってきた変な気分に。

↑ついに到着しました、東海道五十七次のゴール、高麗橋!
京都の三条大橋に続いて「え?え?これ?あ、高麗橋って書いてある。表記ちっさ!」となっていました。

江戸時代の高麗橋は、格式高い橋で、幕府のお触書を掲示する制札場があったほか、諸方への距離を測る起点になった場所でした。

現代は頭上に阪神高速1号環状線が通っていて、埋もれてしまっています。

↑昔はこんな感じ。

ここで、通りすがりの女性3人に記念写真をお願いし、東京から歩いてきたことを伝えました。すると、しばらくしてから戻ってきて「良かったらゴールしたお姉さんにおごらせてください」と、飲みに誘ってくださいました。

高麗橋のすぐ脇にある、こちらのお店にお邪魔しました。

お名前は、あいさん、あやさん、あずささん。

↑人生で一番染みたビールかもしれない。
ここのお店はお菓子も名物。3人ともこの周辺に住んでいて、職場仲間とのこと。

「最初変な人かと思ったけど、お姉さんナンパできてよかった~!」とすごく喜んでくれました。とても嬉しいお誘いと出会いで、本当に感謝です。

あいさん・あやさん・あずささんに、この記事届くといいな~!

さて、私の本当のゴールは高麗橋ではありません。
今回の旅の目的は、退職した会社で一緒に働いていた大阪梅田オフィスのメンバーにお礼を伝えに行くこと。(名古屋に着いた時は名古屋オフィスにも立ち寄りました)

高麗橋から30分ほど離れた梅田のオフィスに向かいます。

↑イルミネーションが始まっていました。江戸時代を感じ、たくさんのシニアと話しながら歩いてきた私にとって、クリスマスムードで盛り上がるきらびやかな街と、香水の匂いがぷんぷんする道、そしてたくさんの若者たちの中を歩いて、ものすごく場違いな感じと落ち着かない気分でした。

その後、無事オフィスに到着。
この日は土曜日だったため、オフィスでは誰にも会えませんでしたが、改めて月曜日にお邪魔して、一緒に働いたメンバーにお世話になったお礼を伝えることができました。

この日は電車で神戸に移動して、会社の先輩のお家にお邪魔しました。

本日の記録

18日間で一番歩きました。
そして、お家に転がり込ませてもらった先輩に美味しいワインをたくさんごちそうになりました。

靴の中はぼろぼろだったものの、ずっと痛くてたまらなかった腰痛や靴擦れは気にならない程度になっていて、体の慣れの恐ろしさを感じていました。

東海道五十七次は、全長約550㎞。
18日間で歩いた距離を計算したら、私は合計670㎞歩いていました。

次回に続く

まとめの記事も書きます!





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