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「自分でやる!」が、少し嬉しくて、少し寂しい。

最近、娘がよく言う。

「じぶんでやる!」

少し前までは、

「パパやって。」

が口ぐせだったのに。



ある日の朝。

納豆を食べようとした娘が、

付属の醤油を手に取った。

「じぶんでやる!」

そう言って、一生懸命開けようとしている。

次の瞬間。

ピュッ。

テーブルも。

手も。

服も。

醤油まみれになった。

「あーあ。」

そう言いながら、二人で笑ってテーブルを拭いた。

掃除は増えた。

洗濯物も一枚増えた。

でも、不思議と嫌な気持ちはしなかった。



少し前なら、

「パパ開けて。」

そう言って私に渡していた。

それが今では、

失敗してでも、自分でやろうとしている。

靴を履くのも。

服を着替えるのも。

手を洗うのも。

一人でできることが、少しずつ増えてきた。

「パパ、できた!」

そう言って笑う娘を見るたびに、

私も嬉しくなる。



でも、その笑顔を見ながら、

少しだけ寂しくなる時がある。

そういえば最近、

娘の靴を履かせていない。

服を着せることも減った。

手を洗うのを手伝うことも少なくなった。

毎日のようにしていたことが、

いつの間にか必要なくなっていた。

成長してほしいと願っていたはずなのに、

その成長が少し寂しい。

親って、勝手だなと思う。



仕事でも、似たような瞬間がある。

何度も相談に来ていた後輩が、

いつの間にか自分で考え、判断し、行動できるようになっている。

もちろん嬉しい。

でも同時に、

「ああ、もう大丈夫なんだな。」

そんな気持ちにもなる。

誰かの成長は、

自分の出番が少しずつ減っていくことでもある。



親も、きっと同じなんだと思う。

子どもは、

少しずつ親の手を離れていく。

「パパやって。」

が、

「じぶんでやる!」

に変わっていく。

それは少し寂しい。

でも、その寂しさは、

娘がちゃんと成長している証なんだろう。

また一つ、私の出番が減った。

それが今日は、

少し嬉しくて、少し寂しかった。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

このnoteでは、シングルファザーとしての子育てや、人事の仕事を通して感じたことを、一つひとつ言葉にしています。

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