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【掌編小説】ブラック・クリスマス

12月24日に忍び込む人間は、3種類いる。
泥棒、サンタクロース、そして、ブラック企業の社員。

あまり上手くないな、と心の中で嘲いつつ、営業所の横のガスメーターについている南京錠を開く。ガスメーターを開け、フックにぶら下がっている鍵を取り出した。

玄関の鍵を開け、電気をつける。いつもの眩しさなのに、なぜだか胸がつっかえた。私の他は誰もいない。私は自席に向かった。

自席のノートパソコンのモニター周りには、淡いピンクや水色、黄色の付箋がびっしりと貼られていた。「はいはい。」と、あえて口に出してみる。この付箋には昨日私が休日の時、代理対応をした報告や残りの対応の指示が書かれているのだ。業務に取り組む前に、まずはこの付箋を一つ一つ処理しなければならない。

「今日…来て正解だったな。」
一人なのをいいことに、また口に出した。もし明日に回していたら…大量の電話を受けながらこの付箋をさばくことになる。本業務に移れる気がしなかった。

我が社は不動産会社としては珍しく「ホワイト企業化」を推進していた。残業は21時まで、年末年始は休み、産休育休制度はもちろんのこと、男性育休の拡充も進められている。私の先輩も、小さいお子さんを保育園に預けて働いていた。本来なら土曜日は不動産屋として開けるべき曜日だが、クリスマスイブなので、家族と過ごすようにという本社の計らいで、休日となっていた。

3歳の男の子がいる事務部の先輩は、保育園への迎えのため、16時頃営業所を出た。それまで自分の仕事をものすごいスピードで終わらせるためには、架電を受けている場合ではない。結果的に私が架電を受けることになる。いや、実際先輩はそうでなくても仕事が速かった。性格がさばけているのがその理由だ。何事も迷わず進める。物言いもスパッとしている。営業、私、所長、全員に変わらない態度で接する。だから信頼されている。私も頼りにしているが、あまりにも鮮やかに切られると、立ち直れなくなってしまう時がある。

ミスを厳しく私に指摘したその数分後に、少し申し訳なさそうな顔で、「私、上がるね、これ代理対応お願いね」と言う。子どもの病気で1週間ほど休んでいる間も、個人のスマートフォンから私に連絡が来る。復帰時に進捗が芳しくないことを指摘される。当たり前だ。仕事だもの。彼女は責任感が強いのだ。想像力を、働かせねば。お子さんの顔を写真で見せてもらったこともある。ものすごく可愛かった。そりゃ、責任感も強くなるわって思った。

時々、しんどくなる。先輩の代わりに電話を受けている。先輩が帰った後も、休んだ時も、代理対応をしている。それなのに、ミスを指摘される、「まだこれやってなかったの?」と、言われる。先輩は悪くない。仕事なんだから。先輩は先輩で大変なんだ。独身の私が頑張ればいい話なのだ。彼氏とは半年前に別れてるし、クリスマスの予定もない。

事務部は営業部と違い、お金を生み出す部門ではない。だから、人を増やすのも渋られるし、残業する私を見る目も厳しいような気がする。やはり私の仕事が遅いからではないか、皆がそう思っている気がした。実際、事務部が18時以降に残業する場合には申請書を出して所長の許可をもらわなければならない。申請の受理に30分ほどかかり、かえって時間の無駄だ。こっそり早出したり、休日出勤を行ったりして、埋め合わせをする。残業代もつかない。つかなくていい。仕事を終わらせないと。早く入居者さんに契約書を送ってあげないと。

私は付箋を対応済・未対応に分ける。付箋の処理は終わりが見えてきた。残りは明日電話で聞かないとわからない。先輩からミスの指摘が書いた付箋もあったが、直せばいいだけだと言い聞かせる。12時ごろ来て、14時近く。実に2時間もかけて付箋の仕事を処理していたわけだが、明日電話を受けながらだと、この3倍の時間はかかっていただろう。

一旦休憩、と腕を上に思いっきりのばす、「ううううーーーっ!!」と、静かな店舗に声が響くのが、ちょっと面白い。休日出勤で、そういう気持ちになる時もあるんだな、と思う。今日は早めに終わらせて、一人カラオケでも行くか。

何回か声を発して、伸びをしていると、突然店舗のドアが開く音がした。

誰か来た。お客さんだろうか。
私は来客用の声に急いで切り替える。
「いらっしゃいませ〜!すみませーーん、今日お休みなんですよ〜」

そう言いながら受付の方に向かうと、私は意外な来客に驚いた。
営業の、黒木さんだった。

「メリークリスマス!」と、歯を見せて笑う。
いつもより少しばかりラフな紺色のダッフルコートを羽織り、スニーカーを履いていた。髪型もいつものように固めてない。

黒木さんとは社内でも業務連絡以外の話をしたことがなかった。
それでも、知った顔にちょっと安堵して、「メリークリスマス」と返した。

「丸田さん、なんでいるの?」
「私は…ちょっと仕事終わんなくて。黒木さんは?」
「ああ、ちょっとね。明日オーナーさんに会うから、その資料を確認しようと思ったんだ。」

お互い大変ですね、と言い合って自席に戻った。黒木さんとは背中合わせの席だ。業務の続きをする。先ほどお客さんと間違えたことや、伸びをした時に思いっきり声を発していたことに気づき、急に恥ずかしくなる。特に突っ込まれなかったのが、より恥ずかしい。振り返って黒木さんの後ろ姿を見やるが、特に気にも留めずに資料を作っているようだった。紺色のダッフルコートを椅子にかけていた。いつものスーツ姿とは異なるベージュのセーターが見えた。

後ろでキーボードを打つカシカシという音が聞こえると、どうも落ち着かない。明日こなせる量まで仕事が終わったら、今日は帰ろうかな。そう思った時、背中合わせのまま黒木さんが言った。

「ケーキ、食べない?」

「…あるんですか?」突然のことで、私は黒木さんの方を向いて聞き返した。

「そう。まあ…一人分を分けるしかないんだけど…。」と、急にぼそぼそと言う。私が食べるべきではないのかもしれないが、ケーキという言葉があまりにも魅力的で、もう口が甘いものを欲している。私は提案に乗ることにした。

「わーい!私、適当なフォークで分けときますよ!」
「いや、いいって、忙しいでしょう。後で俺が分けるよ。」
黒木さんが言うのを制する。
「いや、ちょっと息抜きしたいところだったので、私が分けますよ。」
「ありがとう!じゃあ、ケンカにならないように、平等に分けてね。」
子どもじゃないんだから。黒木さんの物言いに吹き出してしまう。

黒木さんはフニャンとしたキャメルの皮の鞄から白い箱を取り出した。箱には赤いリボンがかけられていて、いかにもクリスマス仕様である。

確か営業所には使い捨てのフォークや紙皿があったはずだ。それらを持ってきて、白い箱を開けると、手のひらぐらいの直方体のチョコレートケーキが現れた。

クリスマスケーキといえば苺の乗ったショートケーキか切り株のブッシュドノエルを想像していた。

クリスマス、というには少々シンプル過ぎる形だ。
しかし直方体にチョコレートが固められ、パウダーが均等にかけてあるのは幾何学的な美しさであった。

「四角いんですね…」
「そう、石畳ショコラ。近くで長崎フェアやってたから。」
「黒木さんって長崎出身なんでしたっけ。」
「両親がね。小さい頃、旅行といえば長崎しか行ったことなかったなぁ…」
「長崎ですか、いいじゃないですか、福山雅治いるし。」
「う〜ん、そこは…さだまさしって言って欲しかった!」

黒木さんとは話したことがなかったのに、こんなに自然に軽口を叩いてしまう。休日出勤のなせる技なのか、ケーキを前にしてるからだろうか、あるいは…

四角い石畳ショコラは真ん中の目星も付けやすい。フォークを入れると驚くほど柔らかく、見た目の無骨さとは違うしっとりした質感だった。中にはチョコレートとスポンジが、まるで地層のようだ。大体同じ大きさに切り終わると、私はそのうち一つを紙皿に載せて新しいフォークとともに、黒木さんの自席の端に置いた。

黒木さんはパソコンの画面から目を離さずに「あざす」なんて言う。私は残りを紙皿に乗せて自席に持っていった。書類にチョコレートがかからないように片手で脇に避けた。

背中合わせでチョコレートケーキを食べるクリスマスイブなんて、今後あるだろうか…。思考が頭の中の小道を辿ると、何か恥ずかしい考えにぶつかったようで、それを振り払うようにブンブンと首を振った。

「どうかした?」
「いや、なんでもないです…」

適当に誤魔化して、私はフォークで一口分を刺し、口に入れる。上品な苦さのビターチョコレート、ミルクチョコレート、優しい甘さのスポンジが口いっぱいに広がった。白いオフィス機器だらけの無機質な空間がカフェになったようだ。

「美味しい!これ…コーヒー欲しくなっちゃいます…」

そう、言いかけて、声がしゃがれた。

突然、寂しさが込み上げてきて、堤防が決壊したように涙が溢れた。なんでだろう。恥ずかしい。変な子だと思われる。そう思うとますます溢れてしまう。黒木さんは後ろを向いて黙っていた。泣いてること、気づかれてないのかな。

ずっと、平気だと思ってた。残業代がつかないように、朝始発に乗って早出して、休日にこっそり出勤することも。今日出勤することも。電話に出て進まないことも。代理対応で半日が終わることも。仕事だから。大人だから。平気にしなきゃいけないと思っていた。無理だ。無理だった。本当は、何もかも投げ出したくなる時があった。シフト明けでパソコンの周りについている付箋、全部捨ててやりたくなる時があった。電話が何コール鳴っても、無視してやりたくなる時があった。今日で営業所が崩壊しないかなって思うときがあった。それを、それを大人の自分が、押さえつけていた。

後ろで黒木さんが立ち上がり、別室に行く足音が聞こえた。やはり、気まずい思いをさせてしまっただろうか。落ち着いたら謝ろう。美味しすぎて感動しちゃいました、とでも言っておこう。

「…お客様、ご注文のコーヒーでございます。」
カフェ店員めいた声が聞こえ、振り返ると黒木さんがトレイに紙コップを乗せて立っていた。私は慌てて目元を拭う。紙コップからは湯気が立っている。
「お砂糖とミルクはご入用でしょうか?」
黒木さんがカフェ店員ごっこを続けているようだ。
「ブラックで…あ、えっと、すみません…」
さっき、コーヒーを飲みたいと言ったのを注文と思われたんだろうか、申し訳なさに、涙が引っ込んでしまう。

「なかなか上手いでしょ、こう見えて、大学生の時、純喫茶でバイトしてたんだ。」
黒木さんが普段の口調に戻った。純喫茶か…趣味でカフェ巡りをしていた時、いくつか入ったことがある。木目調のアンティークな机、おじいちゃんのマスターがいて、ちっちゃいカップに入ったコーヒー、どこか落ち着いた雰囲気だった。黒木さんが純喫茶で働いているの、なんだか想像できる。スタバでも、表参道のパンケーキカフェでも、清澄白河のブルーボトルコーヒーでもない。純喫茶。わかる。

「なんか、スタバじゃなくて、純喫茶って感じがします。」
「よく言われるんだが…スタバだって俺を雇ってくれるはずだ、このコーヒーは、インスタントだけどね。」
ちょっと照れたように言う。

渡された紙コップに手が温もる。口をつけると、いつも適当に飲んでいる共用の粉で入れたインスタントコーヒーとは思えないほど美味しかった。適切な温度、濃さ。

「なんでインスタントがこんな美味しくなるんですか…」
思わず呟いてしまう。

「ウォーターサーバーのお湯と水の割合と粉の配分を調整したんだ。」
黒木さんはちょっと得意げに言った。それにしたって美味しい。

「黒木さん、お店ひらけますよ。」
そういうと、ちょっと間を置いて、2人しかいないのに黒木さんは囁いた。

「実は…ここだけの話、将来カフェの開業目指してるんだ。」
「めちゃくちゃ素敵じゃないですか…!!」
思いがけず声をあげたが、ふと湧いた疑問を口にした。
「でも、カフェの開業目指してるのに、飲食業界じゃないんですね?」

「あなた面接官みたいなこと言うね」
と、黒木さんがフフ、っと笑うと、急に姿勢を正した。
「私、純喫茶でアルバイトをしており、味も雰囲気も格別だったため付近のお客様に愛されていたのですが客層の高齢化で足が遠のき、交通の便も良くないため新規のお客様も見込めず、廃業の危機に陥っておりました。私はここでいかに立地が店舗経営に影響するか思い知り、不動産という商材に興味を持ちました!…とか、まあ就活ではもっともらしいこと言ったけどさ、要は開業のための資金集めだよ。」
「わあ…なんか、すごく受かりそうな動機ですね….」
「でしょう?」

 「丸田さんの夢は?」
突然問われ、私は考え込む。
「う〜ん…作家を目指してた時期もありましたけど…」

最近は、夢なんて、考えたこともなかった。常に時間がもったいない。時間さえあれば仕事を終わらせたい。夢っていうより、「今の仕事を終わらせること」しか考えていなかった。常に増える申込書。シフト明けに刺さるような付箋。それを、終わらせる。いつか今書類が積み上がっている机の上をまっさらにしてみたい。

「やっぱ、今の仕事を終わらせることしか考えられなくて…」
せっかく黒木さんが夢を語ってくれたのに、こんなことしか言えない自分が情けなくてうつむいた。

「じゃあさ」
黒木さんの声に、顔を上げる。

「今日、ここでカフェを開業する!」
え?と、思わず戸惑っていると、黒木さんが続けた。
「コンセプトは、『仕事終わらせ喫茶』!なんと、オプションで従業員のヘルプがございます。」

「え…手伝ってくれるんですか…?」
「うん、事務のことは教えてもらわないとだけど、物件のこと知ってるから、なんでも聞いてよ。」

「それは、すごく助かります…!!」
実際、ありがたい申し出だった。物件申込者から物件について質問事項があっても、営業が不在のため調べないといけないこともある。問い合わせ対応なので早めに対応せざるをえず、優先度が割り込まれてしまうのだ。

未処理案件をまとめたリストのノートを取り出した。
「早速なんですけど、この『コーポ白石』って、全室エアコン付いてますか?」
「うん、ついてる。俺が提案してつけてもらった。」

黒木さんはわからないと言っていた事務作業も一度レクチャーすると丁寧に対応してくれた。そして、一つ一つの物件に「ああ、ここは相続で長男さんが継いだんだよなあ…」とか「オーナーさんすごく優しくてさ…」など、エピソードを話してくれる。それまで「処理すべき仕事」だった書類一つ一つに、物語が生まれた。

山のようにあった申込書のファイルは、どんどん減っていった。事務として初心者の黒木さんを私がダブルチェックする。ミスもほとんどない。やはり物件の知識があると違うのか。多少癖字だが、それが却って読みやすくしていた。

「どうですかね…先輩?」 黒木さんがわざとらしくおずおずと聞く。
私も、「うん、バッチリです。」と合わせて先輩ぶって答える。

そうして、やっと申込書類を全て処理することができた。こんなに広いデスクを見たのは配属以来ではないだろうか、ため息がもれてしまう。

「わああ!すごい助かりました!ありがとうございます!」
心のつっかえが、全て取れた気がした。明日以降も仕事は増えていくだろうが….

「明日さ、休んじゃいなよ。」
黒木さんの突然の提案に、私は驚いてしまう。
「え…でも、明日は私、出る日ですよ?」
「そんなの何とでもなるって、こんなに仕事ないの、気持ちよく休めるチャンスだよ。」
でも…と逡巡する私に黒木さんは重ねた。

「知ってるんだ。全部。丸田さんが、頑張りすぎてること。」

何も言えず、沈黙が流れる。

「だって、俺の電話メモ、ほぼ丸田さんの名前だし、どんなに早く来てもいつもいるし、今日だってもしかしているんじゃないか、いやまさかいないんじゃないかって思ったら、いるし…」
「それは…私が仕事が遅いから、そうしないと間に合わないんですよ。」

黒木さんは首を振る。
「違う!全然遅くないし、むしろみんなが丸田さんに甘えすぎてるんだよ。まあ、俺も含めてだけど…このままじゃ、倒れちゃうよ…いや、今のうちに、ちょこちょこ倒れとこうぜ。そしたらみんな、ちょっと自立するよ。」

何も言えなかった。でも、わかってくれてる、というふんわりした安心感があった。

「頼む。ちょっと休んでくれ。困るんだ、丸田さんが、いなくなったら。」
「困る…?」

事務処理なんて、さっき教えたばかりの黒木さんもマスターできる、いわば誰にでもできる仕事だ。困るってほどでもないだろう、そう思って黒木さんの顔を見ると、さっきとは違う表情だった。

言ってしまった、という気まずい顔をしていた。私も彼の意図することを知って、顔を上げられなくなった。

「…わかりました。とにかく、ありがとうございます、所長に言って、明日、休みますね。」
「うん、そうしたらいい。残りのケーキ食べて、帰ろう。」

黒木さんとケーキとコーヒーを囲んだ。彼が働いていた純喫茶のことや、私が巡ったカフェについて、好きなコーヒーの種類について、カフェあるあるについて、話した。

営業所の片付けが終わり、二人で外に出て施錠する。外は20時を回っており、イルミネーションなどもなく、真っ暗だった。紺色のコートを着た黒木さんは暗闇に同化して、時々チラチラと見えなくなってしまう。見えなくなった時に、なぜだか少し、胸がざわついた。さっき聞いた話だと、黒木さんは、いつかここからいなくなってしまう。

「黒木さん、でも、いなくなったら、困ります。」
思わず、後ろ姿に声をかけてしまう。

「困る…?」
彼はいたずらっぽい顔になって、振り返った。

(了)7210文字


#灯火物語杯 」に参加しています。テーマは、「クリスマス」でした。

フィクションです!
不動産業界がしんどいのはホントです!
長崎の石畳ショコラが美味しいのもホントです!

約7000字にわたる、長めの小説を読んでいただきありがとうございました!

追記:この作品、note公式の「今日の注目記事」に選んでいただきました!
初めましての方もお気軽にコメントくださると嬉しいです^^

続編執筆しました!よかったら続きも読んでみてください。3部作で完結です。

あ…これ、先輩側の意見です

終わらせましょう↓




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