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自分の名前が出てくると恥ずかしい問題、今こそ語られるべきではないか。

これってわたしだけだろうか。

自分の下の名前が、小説で出てくると恥ずかしくて心臓の変なところがキュウとなる。ドラマで出てくるともっとぞわぞわして、その気配がするとどこかに逃げたくなる。

そして、家族や友達と一緒に見てるとき、「〇〇〇だって〜」って自分の名前を言われると、居たたまれなくなる。

わたしの下の名前のありふれ度は、普通より少し高めぐらいだ。
同じクラスにはいないけど、同じ学年になら1〜2人いるレベル。

わたしの名前は、固有名詞のみならず普通名詞にもある。さすがに今は慣れたけど、かつては、普通名詞として自分の名前が言及されるのも恥ずかしかった。

小学校の時、通知表の名称が自分の名前だった。終業式の時、そわそわしていた理由は通知表の中身ではなく、通知表の表紙に筆文字でデカデカ書かれた自分の名前だった。

「あれ、僕のなのに、〇〇〇って書かれてる」

って言われたらもう、通知表の中身を見ずに帰りたくなるほどだ。
あと、わたしと勝手にカップルにさせられてるクラスメイトがいて、彼が通知表を見ていると、

「〇〇〇ちゃんからのラブレターかとおもった」

とか言ってくる女子がいて、彼もさぞ恥ずかしかっただろう。でも、わたしはその十倍ぐらい恥ずかしかった。

同じ名前で同じ状況のコンボはダブルでいたたまれない。道徳の教科書で、なんと6年間にわたって「〇〇〇シリーズ」があり、〇〇〇という名の主人公が小学生ならではの苦難に立ち向かい色々成長していく物語なのだ。毎年、教科書が配られると、主人公が何をやらかすのか道徳の教科書を開くのがこわかった。その授業があるとあらかじめわかってたら欠席したい、もしくはおなか痛いふりして保健室に駆け込みたいぐらい、教室から離れたかった。

同じ名前の偉人がいるのも恥ずかしい。小学校高学年ぐらいの時、歌姫といえば……という名前が同じだった。わたしが、名前の上二音をとって〇〇と呼ばれないのは〇〇のせいなのである。今考えると、あの歌姫のお方はカリスマといった印象だが、〇〇〇という響きはわりかしのんびりしている。そのギャップもまた彼女の魅力の一つだ。でも、歌姫よりわたしの方がこの名前に合ってる気がしてならない。

また、今でも大人気のアニメに出てくる女子が同じ名前だ。主人公の少年(?)にちゃん付されたり呼び捨てにされると自分のことかと思ってしまい、ドキドキしてしまう。(でも、少年には本命がいる)

夫は、〇〇〇が出てきても、「あ、〇〇〇だって」と言わない。恥ずかしさが軽減される。ありがたいことだ。ちなみに夫も固有名詞としてもよくある(しかも男女兼用の)名前で、読み方は普通名詞にもなってるから、わたし以上に慣れているのかもしれない。

でも、ドラマで夫の呼び名である「〇〇くん」が出てくると、なんだかわたしの方が恥ずかしくなってしまう。その恥ずかしさを軽減するために「〇〇くんだって」と言ってしまうのだ。

はたと気づいた。

もしかして、今まで「〇〇〇だって」と言ってきた人たちは、わたしと一緒に、恥ずかしくなってくれていたのか?
恥ずかしさを軽減するために、あえて言及していたのか?

そう考えると、なんだかとても申し訳ない。
ますます恥ずかしい気持ちにさせられた。


読んでいただきありがとうございます!
大塚ぐみさんの#なまえ百景、3作目で参加できればと思います✨

名前について考えるのが楽しすぎてまた参加してしまいました。

一作目

2作目

読んでいただき、ありがとうございました!!






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