【掌編小説】メロン
[Sayuriさんをブロックしますか?]
親指が少し迷ったことに自分でも呆れてしまう。今日会ったばかりで共通の友達もいなそうな紗百合とは、このボタンを押せば縁が簡単に切れる。この瞬間は、自分の心が見えなくなる…と思いめぐらせたのも一瞬のことだ。実際は即座に「はい」を押した。
少し迷ったのは、紗百合が僕の好みの顔立ちだったからだ。散らばった黒子が彼女の肌の白さを際立たせていて、ぽってりした唇は喋るたびに横に伸びたり縮んだりする。とろんとしたアイボリーのカーディガンが、なで肩から流れていきそうで、会話の合間にたびたび直していた。その仕草がなまめかしくて……彼女を抱くことを、ほんの一瞬だけ想像した。
「育ちがいいんですね」
何気ないこの一言でブロックしてしまうなんて、どうかしている。彼女にだって悪気はなかった。悪気どころか褒めてくれている。でも、その一言だけで僕は彼女と分かり合えないことが、はっきりとわかった。どうしても、思い出してしまうのだ。
「雅也んち、カネモやろ」
普段あまり話したことのないクラスメイトに言われて僕は顔を上げた。後で知ったことだが、「金持ち」のことを「カネモ」と言うのは大阪人だけらしい。
「なんでそんなこと言うん」
彼は、フフンと鼻を鳴らした。
「弁当にメロン持ってくるんはカネモしかできひんことや」
遠足の日だった。デザート用の小さなタッパーの中には一口大に切られた三切れのメロンがつやりとたたずんでいる。オレンジ色の果肉はフォークでつつくと、とろけそうに柔らかかった。
「普通やって…」
そう言おうとしたら、他のクラスメイトも口々に声を上げる。
「たしかに、雅也はカネモや。なんかいつもいい服着てる気がする」
「そうやんな。雅也のお母さんもカネモそうやったもん」
「うちのオカンも言ってたで」
わらわらと声が上がり、「そんなはやしたてたら、かわいそうやろ!」という大人びた女子の言葉で「あー…おもんな」と呟く声とともに、ようやく鎮まっていった。
クラスメイトの視線がばらけた頃、隣にいた一樹が「カネモって、ほんまなん?」とこそっと聞いてきた。
僕は苦笑せざるを得なかった。
「いやー……みんなそんな変わらんて」
実際、クラスの中で自分がとりわけ金持ちだとは思わなかった。僕が住んでいるマンションに住んでいる人はクラスメイトに何人もいる。金持ちだったら豪邸ではないにしろ大きな一軒家などに住むはずだ。全然、変わらないはずなのに。
視界の端から端までを万博公園の秋空が独り占めしていた。太陽の塔のしかめっつらと目が合う。こんなに大きな空で、誰が金持ちか金持ちじゃないか、そんなの気にする自分達がちっぽけに見える。
メロンをフォークに刺して口に入れると、熟した甘さが口の中に広がった。僕は果物の中ではとりわけメロンが好きで、たびたび母にメロンをねだるので、よく一玉買ってきてくれていた。メロンは美味しいだけではなく美しい、と子供心に感じていた。爽やかな薄緑色に白いチェック柄が入っていておしゃれだ。見るたびに目が涼やかになる。
さっきのクラスメイトがまた話しかけてくる。
「なあ、お父さん会社どこなん?」
普段話さない僕にまで話しかけてくるほど、遠足は彼を浮かれ気分にさせるらしい。特に隠すことでもなかったので、父の勤務先を答えた。すると、彼が目の色を変えてまた囃し立てた。
「うわ、めっちゃすごい、やっぱカネモや!」
「雅也、もう社長やん!」
「よ、社長!」
明くる日から僕はクラス内で何かにつけて「カネモ」「社長」と呼ばれるようになった。彼らは僕の私物や服装を見つけては、「カネモポイント発見」と言ってくる。いじめられているわけではない。貧乏は悪口でも金持ちは褒め言葉だ。それなのに、たまらなく居心地が悪かった。
弟や妹もいる夕食時に、このことは言いづらかった。だから、夕食後に書斎に向かい、一人で父にこっそりと打ち明けると、ハハハ、という笑い声が返ってきた。
「そんなん、笑いに変えていったらええやん。大阪人やろ」
ため息しか出なかった。何の期待もしていなかったが、自分の苦しみは、父も分かってくれるわけではないのだ。漫画の金持ちキャラのようにお高く止まっているわけでもないのに、どうしてクラスメイトにそんな風に言われなければならないのだろう。そのことについては、何も納得させてくれなかった。
と、父の言葉には反発していたのに、道化を演じる方が楽だと感じるようになった。
弄ってきた時に強めに突っ込めば、クラスメイトも満足するようだ。社長を演じたり、スネ夫になったり…そうすれば、自分が傷つかずに済むような気がした。
おしゃべりでツッコミ役の道化を演じるほど、それ以外の自分は何も話したくなくなっていた。自分の中にスイッチがあって、電源をON・OFFにするかのように。一樹には、「二重人格発生した?」と言われるようになったほどだ。
小学校の時は「カネモ」の称号が鬱陶しいだけだったが、中学校、高校に上がるにつれてありがたみが増してくる。受験校をどこにするかも、家庭の事情によって変わってくるからだ。どんなに勉強を頑張っても、私立を併願する程どの学費が出せなければ志望校を下げざるを得ない。僕は父からどの高校を受けろ、と言われたことはなかった。一方で、僕より成績のいい一樹は「あんまり冒険できへんねん」と嘆きつつ安全圏の学校を受けていて、一抹の寂しさを感じた。
仮に金持ちだったとしても、お金を積んで高校や大学に入れるわけではない。他の受験生と同様に必死に勉強した。遅くまで塾の自習室に残っていたし、睡眠時間だって削って、起きている全ての時間を勉強に充てた。
そうは言っても、時にはスマホについ手が伸びてしまう。Twitterをスクロールしていると、こんな投稿が目に止まった。
「実家が太い人は、そのことを自覚するべき。努力できる環境にある人は、すでに恵まれているんです」
連日の受験勉強でひどく疲れていた僕は苛立った。
「恵まれてるとして、なにがあかんねん!」
どこにともなく叫んでしまう。
「どこにおっても、やれることをやればいいだけちゃうん…」
自室に消えいった語尾が虚しく響いた。
仮に僕がその投稿主に反論したとしても…「あなたは恵まれてるからいいですよね」、そんな風に返されることを想像して、心がジュクジュクと傷んだ。
どんなに努力したとしても、所詮下駄を履いた努力。
世間一般が、そういう認識なのだと突きつけられた。
僕は結局、東京の私立大学に入学することになった。県外の私立大学なんて、大人になってから知ると相当恵まれている方だと、今ならわかる。しかし、大学には段違いに金持ちな人が大勢いて、今まで自分が「カネモ」と言われてきたことが可笑しくなるぐらいだった。
それなのに、道化癖は抜けなかった。お調子者のムードメーカーであれば、内面まで刺されずに済む。口角を上げて壁を作り、柔らかな自分を守った。「おもろいやつ」と言われ続けて、いつの間にか僕は芸人を目指していた。
僕は、どうしようもない自分を守ってくれる道化を、愛していたのだ。
お笑い養成学校と大学のダブルスクールで、僕は今までになく貧乏になった。あえて、貧乏を味わってみたかった。講義以外はアルバイトを詰め込み、それでも築年数が30年以上の、床がミシミシ鳴る、シャワーのないアパートに住んだ。それは、大学を卒業しても一緒だった。芸人として売れるかどうかはわからない。ただ、道化であることが一番自分の中でしっくりくる僕には、天職のように思えた。しばらくやってみて、ダメそうだったらまた普通に働けばいい、と父も言ってくれた。
仕送りはするな、と親には強めに言っており、大学の学費以外は自分で賄った。それでも一度だけ、実家から送られてきたのは、一玉のメロンだった。
「そんな、一人で食べられへんって」
同じように上京していた一樹を呼んだ。なんの衒いもなく話せる相手、として思いつくのが、一樹しかいなかったのだ。
一樹は、初めてきた僕の家とメロンを交互に見比べて、目を白黒させていた。
「コンコン、こんにちはー、食べごろですかー?」
小さく握りしめた手で、メロンをコツコツ小突く。手に網目がぶつかった感触がする。
「食べごろやって、言うてはるわ」
そう言うと、一樹がふっと頬を緩めた。
一人暮らし用の小さな包丁が入ったガタガタの切り口だったが、とにかくメロンを切り分けて、一樹の目の前に置いた。「悪いな、ありがとう」と、「と」がやや高い関西のイントネーションで呟くと、フォークで掬って口に入れた。
「なんていうか……雅也は……貧乏のキッザニアやな」
「どういうことや」
「どんなに今貧乏でも、メロンを送ってくれる実家がある。いつでも戻って来れるってことや」
急に馬鹿にされたように感じてムッとした。
「何が言いたいねん」
「いや……ええことやと思うで?俺なんて塾も予備校も通わせてもらえんくて、大学も親に頼み込んで奨学金借りてやっとやで。雅也がうらやましいなあ思てるねん」
「所詮俺の努力は下駄をはかされた努力ってこと……?」
「ちゃうって。なんでそんな解釈になるかなあ……」
一樹は、ふぅっとため息をついた。幼い頃からずっと見てきた、いかにも賢そうなキリッとした眉が波打つ。
「貧乏なんて、せんくてもいい苦労や。スタートラインにも立たせてもらわれへん。将来の自分の子供には、そういう思いは絶対させたくなくてな、まあだから今頑張れるってとこもあるかな……」
そう言って古びた壁を見やる一樹は、壁よりももっと向こうを見ている気がして、何も言えなくなった。
「まあ…….気にせんといて。俺の話やから。じゃ、ごちそうさん」
一樹はそう言って立ち上がり、僕が見送る間もないまま……部屋を出ていった。コチャンと閉めたドアから蒸し暑い風が入り込んできて、効きの悪いエアコンの風と混じり合った。
このことがあって以降、なぜだか寂しさに纏わりつかれた。一樹とは頻繁に会う仲でもなかった。それなのに、自分と重なり合う人は、誰もいないような気がした。相変わらず外ではお調子者の仮面を被って、古びたアパートに帰ってきた。そのアパートの古ささえ、一樹から指摘された通り、ただ貧乏を演じているだけなのだ。
無性に人に会いたくなって、マッチングアプリをダウンロードした。男としての下心がなかったといえば嘘になる。しかし、それ以上の感情があった。誰かと繋がりたい。本当の自分を分かってほしい、といった思いに駆られた。
「育ちがいいんですね」
最初にマッチして、会うことになった紗百合がそう言った時、僕は思わず猫のように全身の毛を逆立たせるのをなんとか抑えていた。一樹との一件以来、実家に関することを言われることに、敏感になっていたのだ。それが、どんな文脈であっても……
僕は部屋着と外出着、一着ずつしか持っていなかった。一年前から同じ外出着を着ていて、きっと気づかない服のヨレやシミなどがありそうである。それのどこが育ちがいいのであろう。育ちが出そうなフレンチに行ったわけでもないし、魚も食べていない。もちろんメロンの話もしていない。それなのに……なんの文脈だったのだろう。何か自分の仕草から感じてくれたのではいか。そう考えると、何もブロックする必要はなかったのではないか……
慌ててマッチングアプリを再起動し、ブロック解除を試みた。しかし、一度ブロックすると表示されなくなる仕様らしく、紗百合の実際よりやや小ぶりの顔写真はどこにも表示されなかった。
(ああもう……何やってんねん……あほや…..)
往生際悪く、マッチングアプリをあちこちいじっていると、ピン、通知が鳴って誰かからメッセージが届いた。
「初めまして(?)違ったらすみませんけど、雅也先輩ですか?」
詩織、と言う名前を思い出すまでに、そう時間はかからなかった。
(了)
読んでいただきありがとうございます。
「 #何の企画でも賞でもない小説を普段から書けるようにしておきたい 」という自分一人でしている取り組みの、4作目です…のはずが、2作目〜4作目は同じ世界線の話になりました。
発想の源泉は、大阪に住んでいた時に聞こえた女子高生同士のこんな会話でした。
「メロン持ってこれるんはお嬢や!」
「えー…そうかなあ…メロンぐらい」
「いやお嬢しかメロンは食べられへん」
◾️1作目
◾️2作目
◾️3作目
<他に書いている小説>
詩織と雅也の物語↓
賃貸不動産業界の物語↓
ショートショート↓
読んでいただきありがとうございます。
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引き続き、よろしくお願いいたします。
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