【掌編小説】梨
薄緑の梨たちが電灯に照らされて鈍く光る。包丁を入れればジャクっと瑞々しく果汁が迸り、断面は水滴を残したまま白く光るだろう。そんな想像を振り払って、段ボールを閉じ、ガムテープをメッと伸ばした。
送り先の住所を確認する。一度も訪れたことのない場所だが、コーポ…503という建物名から、このマンションにずっと住んでいるのではないか、と思われた。
私は両手で白い段ボールの端同士を持ち、立ちあがろうとした。腰の奥がずきん、と音を立てたように痛む。前からずっとこんな調子だが、病院に行く気にもなれない。
「そんな広い家じゃないんだから…」
ひとりごちながら、玄関まで段ボールを抱えて歩いた。
手を離すと、ダンボールのドスっという音が玄関に響いた。まだ、集荷までは2時間もある。やることはそれなりにありそうなのに、無音にかき消されていく気がした。
送り先の進藤恭子は、娘である詩織の嫁ぎ先の母親、つまり詩織にとっての姑に当たる。両家顔合わせで初めて恭子に会った。落ち着いた同年代の女性で、にこやかで感じがいい、と感じた。女性というものはある程度年代や雰囲気が似ていれば気が合わなくても話は合わせられるものだ。今までだって、ずっとそうだった。
詩織が結婚してから梨は毎年送っている。到着した頃に恭子から電話がかかってくるのが常だった。
「立派な梨を、送っていただきありがとうございました」
「わざわざありがとうございます…恭子さんは、お元気ですか…?」
「はい、おかげさまで…では、また…」
恭子は、あの時のにこやかな声を崩さずにトーンのみを落として、すぐに電話を切る。
いてもたってもいられなくて、詩織にそれとなく聞いたのを思い出す。
「お義母さん…?いい人だよ、特に干渉してこないし」
「干渉してこない」という言葉に心がささくれた。まるで、この電話をしているのが「干渉」だと言われているように思ってしまった。
「気にしすぎ」
声が、どこかから響いた。
一人娘の詩織は、幼い頃から繊細な子だった。学校や習い事から、涙をためて帰ってくることが多々あった。中学生になると、それが顕著になり、帰ってくるなり俯いて自室に向かった。
私はドアを開けて、ベッドに突っ伏している詩織に声をかける。
「また何かあったの?」
「私…みんなから嫌われてる」
だんだんか細い声になる。
「…何かされたの?」
「私にだけ…敬語だった…ぶつかりそうになって…ごめんて言ったら…すみませんって…」
いつもこんな調子で、私はつい笑いそうになったものだった。
「気にしすぎよ。何かされたわけじゃないんでしょ?お母さんだってたまたまぶつかったら、すいませんって言っちゃうもの、そんな気にしてたら、生きていけないよ?」
「だってわかるもの…もう…だめ…生きていけない」
詩織は顔を上げようとしない。思わずため息が出た。
「ほら、梨を剥いてあげるから…落ち着いたら食べて」
しばらくすると、詩織はよれた制服のまま梨を食べに食卓に来る。そんなことが頻繁にあり、私は詩織がこの先本当にやっていけるのか、心配になっていた。それこそ私は帰省するたびに義母のちくっとする言葉に耐えながら過ごしているのだ。こんな、悪意かどうかわからないようなことで悩んでいたら、今後の人生、身がもたないだろう。
それでも、あるときを境に、こんな形で泣いて帰ってくることはなくなった。泣き言を言われたことは、全くない。心配は、杞憂に終わった。それから詩織はいい大学に行って、大学院にも進学し、誰が聞いても知っている企業に就職した。
詩織は強くなったんだ、と誇らしく思う。
急に結婚、それも、お笑い芸人と……と言われた時はさすがに驚いたものだ。私はあまりテレビを見ないので詩織の結婚相手、雅也のことは知らなかったが、お笑い芸人と言われても信じられないぐらい、物静かで落ち着いた人だった。
初顔合わせの時、対面に座る恭子に、こんなことを聞いた気がする。
「恭子さんは……なんとも思わなかったんですか、息子さんがお笑い芸人になること……止めなかったんですか?」
一瞬、怪訝な顔をしたが恭子は、またにこやかな表情に戻った。
「ええ、息子の人生ですから」
あんなことを聞いたから、恭子は素っ気なくなったのだろうか。
嫌われてしまったのだろうか。
「気にしすぎだって」
頭の中の声が空虚に響く。そんなことを言われても、全く癒されない。気にしすぎ、と言われても気にしてる事実は、何も解決しないのに。
「気にしすぎだ」
今度ははっきりと聞こえた。声の主も、誰かすぐわかった。
私は、持っていたスマートフォンで急いで電話をかけた。
「はい佐川急便ですが、集荷……」
若い男性が言い終わる前に、私は食いつくように言った。
「ああ、ちょっとね……やっぱり申し訳ないけど、キャンセルしてくれない?ちょっと気が変わっちゃったもんだから」
「え……?あ…….はい、承知しました……」
若い男性の声が戸惑ったようにしぼんでいき電話が切れた。
私は玄関に歩いて行き、ガムテープをメッと剥がした。ダンボールの蓋が開き、薄緑の梨たちが鈍く光る。私はその中の一つを取り出して、台所に持っていき、小さな包丁を当てた。少しずつ回されて剥かれた皮がするするとまな板に落ちていく。
裸になった白い果実に包丁を入れるとジャクッと果汁が迸る。一定のリズムで切っていくと、断面が水滴を残したまま白く光った。一切れを摘んで口に含む。シャクシャクと口中に音が広がり、果汁が広がる。今年の梨も、美味しい。
残りの梨を白い皿に並べ、サランラップを二ッと広げて皿全体を包んだ。
仏壇に皿を持っていくと、写真の中の夫が少し目を細めてこちらを見ている。
生前も、あまり笑わなくて、無口。
私が、一方的に話しかけてばっかりだった。
「あのねー!気にしすぎだって言われても、何も解決しないんだから!どうしてあの時、かばってくれなかったの!」
表情を変えないのは、あの時とあまり変わらないのかもしれない。
「……今年は、梨……たくさん食べてよ」
(了)
読んでいただきありがとうございました。
「 #何の企画でも賞でもない小説を普段から書けるようにしておきたい 」という自分一人でしている取り組みの、3作目です。
1作目
2作目
今回の作品は、2作目の「桃」と同じ世界観で発想しています。
2作目の語り手、詩織さんのお母さんの視点です。大事に思っていても、一筋縄では行かないような家族関係について書いてみました。
ご興味がありましたら他の物語も読んでいただけると嬉しいです。
<他に書いている小説>
詩織と雅也の物語↓
賃貸不動産業界の物語↓
ショートショート↓
引き続きよろしくお願いします。
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