見出し画像

【掌編小説】傲慢

自分が何を言ったのか、覚えていない。
それなのに、そう言った時の男の言葉を、私は忘れることができなかった。

「傲慢だな」

男は私の肩を抱き寄せる。全身を固くしようと思っても、彼の体温でほどけてしまいそうだった。

「早坂ゆりあ、不倫CM降板 違約金2億円の波紋」

ネットニュースをスクロールすると、早坂ゆりあの話題で持ちきりだった。同じような話題が、文面を変えてずらりと並んでいる。コメント欄は、もうみる気が起きなかった。

Xを見ても同じだ。不思議なのは、この不倫のニュースが出る以前は、「可愛らしい」とされてきた様々な仕草が「男を落とすためのあざとい仕草」となっているところだ。

「みんな、馬鹿だなあ…」思わず、本音が口に出てしまうと、「ダメですよ、千夜子ちやこさん」と、バックミラー越しに越川が軽く睨む。

「言葉には気をつけてって言ってるでしょう。そういうの、大事なところで出るんだから」
「だって…本当のことだもん…だいたい、ゆりあだって知ってたでしょうに。相手が既婚者だってことぐらい…」

灰色のカーテンをチラリとめくり、窓の外をみやる。街路樹越しに大きな公園が見え、家族づれの談笑する声が聞こえてくるようだった。私はふと寂しくなって、カーテンを閉じた。ゆりあと、自分の人生を思う。

ゆりあは私と同い年だ。別の事務所だったが、私はゆりあと何度か顔を合わせたことがある。「そんなに可愛くもないのに」なんて、不倫叩きついでに悪口を言う人は、実際に彼女に会ったら口をつぐむだろう。顔のどのパーツが目立つわけでもないのに、バランスの整った顔立ちが、笑うと大胆に崩れて、それがまた胸を打つ。人懐っこくてよく笑い、数回しか会ったことのない私にも親しげに話しかけてくる…時もある。

(その時は、そういう役だったのかもしれない)

「売れっ子女優」と言われるゆりあは、会うたびに雰囲気が異なっていた。あの時みたいに、人懐っこいこともあれば、こちらが声をかけるのを憚られるくらいにつれない雰囲気を出すこともある。寂しそうな時もあれば、すれ違っただけでドキッとしてしまうような色気を纏ってる時もある。

要は、ゆりあは役を引きずってるのだ。その時に演じている役が、彼女自身にはみ出している。あえて、そうしているのかもしれない。すぐに役に入り込めるように。

「千夜子さんも気をつけないと。こういうのは、他人事じゃないと思った方がいい」
越川がまたバックミラー越しに言う。少々渋滞に巻き込まれているようで、車は進んでは止まって、を繰り返していた。

「私は大丈夫だって…ゆりあと違って、切り替えられるもの」
「…とにかく、何かあったら私に相談してくださいね。うちも、大きい事務所じゃないから、完全には…」
最後まで言い切る前に、渋滞から抜けたようで、車が進み出した。

越川から渡された台本は、いつもよりずしりと重い。台本の1ページ目を開くと、新しい紙の匂いが漂った。

「路地裏一課・松多啓次 SEASON3」

「これ、明後日初顔合わせなので、頑張ってくださいね」
「…明後日…?」
越川が少し声を落とした。
「お察しの通り、早坂ゆりあの代役です」

「路地裏一課・松多啓次」は数年前からの人気ドラマで、町中の様々な事件を、とある路地裏に住む刑事、松多が解決していく話だ。松多は時々話が脱線するが、そこから事件解決の糸口が見えてくる手法が人気でよく再放送もされている。松多を演じるのは俳優の伊勢原基仁いせはらもとひと。そして、助手はその時々の人気女優が務めている。今回の助手役「武内衣姫えのき」は早坂ゆりあと公式発表済みだったが、今回のスキャンダルで降板になったようだ。

「私が…武内衣姫えのき…ってこと?」
声を震わす私に、越川は微笑む。
「そう。これをチャンスと思って、頑張ってくださいね」
私は何度も頷きながらも、心の中で小躍りしたい気分だった。

(…やっと…みんなが私を認めはじめた…!)

私は台本を開いて、話の流れをざっと確認した。「路地裏一課」のドラマは何度か視聴したことがある。Season1とSeason2は助手役の女優が異なるので、それが番組全体の雰囲気を少し異なるものにしていた。初代は元気だけが取り柄の無邪気な助手、二代目は理知的で時々松多とぶつかり合うタイプだった。そして、三代目、武内衣姫えのきは…。

台本をめくる手が止まった。

多くの男女バディと同様にあまり松多と助手はお互いに信頼し合っているものの、恋仲になることはない。それが物語の風通しを良くしていたように思う。それが、 SEASON3では松多と助手との、恋愛要素が入ってきている。

(大丈夫なのかな、これ…)

男女バディの恋愛は劇薬だ。恋愛要素を入れると、確かに盛り上がるが、もう元の関係性には戻れない。物語全体がチープになってしまう恐れもあるだろう。同時に、だから最初にゆりあを衣姫えのき役にしたのだ、と納得する気持ちがあった。同年代の女優は、確かに皆、容姿端麗、もしくは今流行りの顔だが、世間の要請なのか妙に子供っぽい子ばかりだ。色気、と言って思い浮かぶのはゆりあくらい…

ちがう。逆だ。まるで…というか、これは…ゆりあへの当て書きだ。読めば読むほどそう思ってしまう。脚本家が、最初からゆりあを想定して…もしくはゆりあのファンで、彼女にさせたいことを書いた。あくまでも私は、代役、余り物なのだ。そう思うと悔しさが込み上げる。

衣姫えのきは、私の役。ゆりあには渡さない)

松多啓次役の伊勢原基仁いせはらもとひとは、想像していたよりもずっと大きかった、というのが第一印象だ。身長だけではない厚みもあって、最初に見た時には圧倒された。スタッフに目を細めてニヤッとした顔で挨拶をする。

「伊勢原さん…よろしくお願いします…衣姫えのき役の…」
「深尾千夜子さんでしょう。最近、よく見かける」
伊勢原がそう言うと、スタッフの一人が「あっ」声を上げた。
「おうちさがしはぁ〜シロヤマに!…でしょ?」
自分の出ているCMを手振りまで真似されて、顔が熱くなった。そんなスタッフをたしなめるように、伊勢原は手を横に振る。
「それだけじゃない。どのドラマでも君を見かける。でも…全くちがう役柄を演じてるから最初は全く気づかなかったよ。今回も、いつも通りな」

伊勢原はまっすぐ私の方を見て、やわらかく微笑んだ。草原に秋風が吹いたように、ざわっとする。伊勢原は40代と聞いていた。「男前なイケおじ」と呼ぶにはあんまりフォルムが丸すぎる気もする。それなのに、その薄い髭にやわらかな輪郭、少し日焼けした肌、すべてが誰かを惹きつけるためにあるように思ってしまった。

そう思う私は、すでに千夜子ではなく衣姫えのきなのかもしれなかった。

私は通常、衣装に着替えることで自然と役柄に入っていく。そして、普段着に着替える時にはもう千夜子に戻っている。衣装が切り替えのスイッチなのだ。初顔合わせだから衣装には着替えないはずなのに…すでに衣姫が顔を出し始めていることに、若干戸惑っていた。初めて、こんな大きな役をやるからかもしれない。

それからクランクイン、撮影が始まった。

「マツダじゃない、マツタだ」という決め台詞で伊勢原扮する松多は路地裏での様々な事件を解決していった。殺人事件などの重い事件から、浮気調査、遺失物探しまで、すでになんでも屋さんとなっているのが路地裏一課の特徴だ。衣姫は歴代の助手と同様に松多の使いっ走りとして最初は反発し合うものの、次第に心を開き信頼関係を築いていく。しかし、やはり恋愛要素を匂わせたいという脚本の意図からか、身体的な接触が次第に増えていくのに気づいた。


「どうして…今作から恋愛要素を入れ始めたんですか…?」
私が脚本家の雨川に尋ねると、彼は戸惑った顔をした。
「どうして、そんなこと聞くの…?」
「だって、男女バディで恋愛入れちゃうと、そこで終わっちゃうじゃないですか」
雨川はしばらく黙って、そして穏やかに笑った。
「よく見てるね。ただね、君は、演じることだけ考えてくれたらいい」
これ以上何も言うな、という壁のように張り付いた笑顔だった。

役者はどこまで頑張っても、演じること以上のことはできない。助手として紺色のスーツを着た私はあくまでも衣姫だ。衣姫として、松多に恋心を抱く。恋心の源泉は、伊勢原に初めて会った時の、秋風のようなざわめきだった。それはもしかして、千夜子のものだったのかもしれない。それでも、衣姫は千夜子の感情を借りたかった。現実の感情を借りなければならないほどに、衣姫の恋愛感情は無理がある気がしていた。

「おつかれっす」
カットの合図が出されると、伊勢原はそう言って私から離れた。

撮影中、松多として時折情熱的な目線を送る伊勢原は、カメラが止まるとその目線をゆるめた。しかし、それ以外の伊勢原は、松多そのものだった。常に飄々としていて、誰にでも人懐こく接するから人が集まり、その分だけ悩みが集まる。困った人がいると放っておけない。松多は伊勢原のために生まれたキャラクターなのかもしれない、と思っていた。

時々、松多は台本に書かれている以上のことをする。そんな時、自分の呼吸が荒くなってしまう。そのアドリブは、松多のものなのか、伊勢原のものなのか…

衣姫えのきは、松多に溺れた。
松多も、衣姫えのきに溺れた。

それでも、それは役の中の話…

女優として、役は役に閉じ込められていた。
時代劇から学園もの、ファンタジー…様々な役を演じたが、その衣装から、はみ出すことはなかった。役は役。千夜子は千夜子。

千夜子は衣姫えのきに感情を補う。衣姫えのきは千夜子を侵食してくる。

千夜子としての気持ちを、認めたくないだけなのかも…
一瞬浮かんだこの思考を、密かに振り払った。

「…千夜子さん、千夜子さん…聞いてますか?」
顔を上げると、眉根を寄せている越川と目があった。
「はい、どうしました」
「どうしましたじゃないですよ…千夜子さん、スマホ禁止にしますよ」
「え…やだ」
「だってずっと見てばっかりじゃないですか…大体わかってます、何を見てるか」
「あっ」という間もなく、越川は私のスマホを取り上げて、画面を覗き込んだ。

「ほら…やっぱり…やめましょうよ、自分で自分を傷つけるの…」
越川がため息をつく。しかし、私にはもうこの見出しが目に焼き付いて離れなかった。

視聴率急落の戦犯は誰? “衣姫”深尾千夜子に集中砲火

千夜子の“媚び演技”に賛否 「シリーズの品位が…」の声

ゆりあ版・衣姫が見たかった…SNSで盛り上がる“もしも”論争

見たくない、と思うほど覗いては、小さなナイフが自分の心を傷つけている。

千夜子?も悪くないんだが、色気が足りなくて違和感がある。やっぱり、ゆりあの凄さを思い知らされた。ゆりあだったらこうはならなかったと思う

一瞬だけ目に入ったこのコメントが焼印のように体に押し付けられて、私は抜け出せなくなった。吐き気がするほどに呼吸が浅くなった。

越川が声を落とす。
「こういうの…ほんと気にしないでください。ここだけの話…早坂さんの事務所が噛んでる可能性だってあるんです…」
「え…」
「あくまでも可能性だけど…うちと違って早坂さんの事務所は大手だから。こうやって演技力評価させて…復帰の足がかりにしようとしてる可能性もある。千夜子が利用されてるだけかもしれない…」
そう言いながら、越川は唇を噛んだ。いつも冷静な彼がこんなに感情を露わにしているのは初めて見た。

(ごめんなさい、力になれなくて…)
そう、口に出そうとすると涙とともに出てしまいそうだった。

実際、私にはわかっていた。松多は伊勢原のため、衣姫えのきはゆりあのために書かれた脚本だと言うことを、演じながら感じていた。衣姫えのきの衣装を着ることはできても、ゆりあの衣装までは着れなかった。

そして、ゆりあは、あまりにも大きすぎる存在だった。

全部、自分のせいだ。
私の力不足で、路地裏一課を、台無しにした。

すでに全ての撮影は終わっている。千夜子は、衣姫えのきを脱いでいる。

千夜子である私の指が、素早く動いた。


「会ってください」

自分が何を言ったのか、覚えていない。
正確には…思い出そうとすると、頭痛がしてしまい、思い出すことを拒否している。

それなのに、そう言った時の男の言葉を、私は忘れることができなかった。

「傲慢だな」

男は私の肩を抱き寄せる。全身を固くしようと思っても、彼の体温でほどけてしまいそうだった。

「…撮られちゃいます」
「その時はその時だ。暖をとっていた、とでも言っておく」


(5137字)

<あとがき>

読んでいただき、ありがとうございました。
この小説は、「 #何の企画でも賞でもない小説を普段から書けるようにしておきたい 」、と思って書いたものです。

きっかけは「今2000字で書けって言われたらどこからの発想で書き始めますか 」という豆島圭さんの企画を考えようと思ったのですが、締め切りには間に合わずに今に至ってしまいました。自然発生的企画ですが、すでにデビューしている作家さんも即興で描かれていて「作家になりたいなら、すぐに書けないといけないのか…くうぅ」と悔しい思いをしました。

次自然発生した時のために、何の賞でも企画でもない小説を書きためておきたいな、と思います。

ちなみにこの小説には二つの源泉があります。

1.短歌
以前、下記のような短歌を作っていました。

傲慢に酔いしれたくて「原石」と言ったあなたの肩にもたれる

傲慢に酔いしれる、ってどう言うことかな、と改めて考えてみました。
物語中では、最初と最後で「傲慢」と言われて受ける印象が変わってくると思えるかと思います。

私は、全てを自分のせいにしてしまうのも、また傲慢だという考えです。
傲慢、という言葉が千夜子の救いになってくれればな、って思いまして書いてみました。

2.共演者の切り替え

私が、かねがね疑問に思っていることがありました。
共演者同士の恋、って言われるけど共演者に恋しない方が大変なのではないかと。下記の記事の最後にも書いています。

改めまして、何の企画でも賞でもない小説を読んでいただきありがとうございます。

連休中のお供になりましたら幸いです。
引き続きよろしくお願いします。


いいなと思ったら応援しよう!

亜麻布みゆ📕言の葉みゆフィーユ チップのご検討、ありがとうございます。 3歳児を育てつつ、スキマ時間に創作を続けています。 いただいたチップは、家事の時短や創作時間の確保に使わせていただき、より楽しい文章をお届けする力に変えていきます。応援が本当に励みになります。

この記事が参加している募集