【歴史小説】寧らかの波 第六章(1)「貴様はその外道と、命の奪り合いをしているのだ」
ここまでのあらすじ
16世紀。
異国の血を引く少年・楠葉入鹿は、育ての親ジイを自らの手で殺めてしまい、管領・細川高国のために働くことを強いられる。
美貌の明国人・宋素卿と行動をともにした入鹿は、南海の臥蛇島から大陸の港都・寧波へと渡ってゆく。
そこで明の官吏・朱子純と武人・愈志輔に尋問され、一行は双嶼島へ逃れて海賊たちと明の海軍を迎え撃つ。入鹿の剣技は明兵を圧倒するが、愈志輔と斬り合って海へ逃れざるを得なくなる。
意識を失い、父赤沢宗益とジイの戦いを夢に見る入鹿を温めていたのは、裸になった素卿であった。実は素卿は乳房を落とした元歌妓で、その壮絶な過去を打ち明けられた入鹿は、境界に生きる者の国を作る、という夢を叶えようと決意を新たにする。
高国の命を受けた二人は、土壇場で大内氏による遣明使を阻止すべく、唐船の建造されている堺へと向かうが…
本編
第六章
一
連子窓の外には、二隻の大船が浮かべられている。
真新しい帆柱が、初春の日差しを受けて照り輝いている。
堺の港の眺めは、入鹿にとっては懐かしかった。沼島へ行く前、幼いころに、母と暮らしていた町だ。
ひどく貧しかったが、時々どこからか桁外れの金が入り、しばらくは分限者みたいな暮らしをしていた。そんな覚えがある。
「帆柱二本に、それぞれ三十反帆、十五反帆。踏立板の下の腹も平らでたっぷりでんな」
商館の床は板敷きで、履物も脱がない。円い卓、というものを囲み、椅子に座って向かい合うのは明国と同じで、母国へ帰ってきたという感じがしなかった。
「外海の波にもびくともせず、うなるほどの回賜品を積み込んで帰ってこられるでおましょう」
目の前にいる日向屋の主人は、伸びた眉毛の下の垂れ目を細めた。耳たぶの長さと厚さが人並外れており、いかにも福相だ。
隣には、木屋の主人も控えている。ひどく小柄で、干し柿みたいな皺だらけの老人だった。目を閉じたまま、黒十徳の袂を掻き合わせている。
「木材は土佐、清水の港で組み上げ、ここ堺まで回してきたところでおます。十年一度の遣明使に、ふさわしい船になったんとちゃいまっか」
「申し分のない仕事だ」
その隣に座っている素卿も、満足げにうなずいてみせた。
「日向屋、木屋という堺の大立者同士が、手を取り合って勤しんでくれただけのことはある」
「手を取り合ってやおまへんで」
たしなめるような笑みを、日向屋の主人は浮かべた。
「競い合って、や。お互いに抜け駆けせんよう、形だけは取り決めましたが、あとは良いもんを造り上げる勝負でおます。どっちが正使殿の御座船になるか、それも出来次第でおまっしゃろ」
うなずきかけたのは、素卿の右隣に座っている、墨染衣に錦の絡子を掛けた禅僧に対してだった。
背筋をしゃんと伸ばし、木彫りの仏像のように澄まし返っている。
鸞岡瑞佐、という名で、今回の遣明船の正使となる老僧だった。素性はよく知らないが、京五山のそれなりの大物だという。
素卿自身もかつては、遣明の正使を務めたことがあるらしい。だが本来は禅僧を戴くのが正式な形であるし、これから相当際どい手も使う以上、あまり矢面に立たない方が良い、という思いもあった。
「左様か」
素卿は、堺商人の負けん気な言い分に微笑してみせた。
「では、先ほど二隻の船を検分されていかがでした、瑞佐和尚」
「それについては、追ってお伝えするといたそう」
老僧は眉も動かさず、ゆったりと首肯した。
「それよりも、気にかかるのは大内方の動向である。何でも、既に博多で三隻の大船を仕立て、その正使は謙道宗設なる者であるとか」
「そう聞き及んでおります」
「実のところ、拙僧は若い時分、謙道宗設とともに相国寺で学んでいたことがある」
口の端を結び、いかにも張りつめた面持ちになった。
「元は、明国の生まれだったともいう。優秀な学生ではあったが、当時から妙な噂話を聞くことがあった。境内に入ってきた猫や犬、鹿などを、あの者が殺生し、食らっているのではないかと」
入鹿は思わず、素卿の横顔を見やった。
大内館で相対した狂気の姿、あれがそのころから表れていたというのだろうか。
「おぞましき話じゃ。むろん、何の確証もない。が、やがてあの者は半ば寺を放逐され、逃げるように西国へ下っていった。それがまた、このようなところで邂逅することになるとはのう」
一同は言葉を継げず、重苦しく押し黙った。
「こちらに最新の勘合がない以上、ただで済むまいことは覚悟の上。我らは必ず、連中に勝利してみせます」
素卿は、まっすぐに瞳を上げて言い切った。
その時、窓の外で悲鳴が上がった。
叫びは絶えることなく続き、男たちの喚声も入り混じってきた。
「何事かな」
瑞佐もそちらが気にかかるのか、しきりに眼差しを送っている。
商館の廊をばたばたと忙しない足音が駆け抜け、肥満した手代が扉から駆け込んできた。
「どないした、騒々しい」
日向屋の主人が、そちらへ険のある声を投げた。
「港が」
手代は息せき切り、転がるように床へ伏せっている。
「港が燃えとります。ま、町場も」
入鹿は素卿と顔を見合わせ、うなずき合うまでもなく立ち上がった。
急ぎ港へ駆けつけると、既に築島周りの陸屋根の家屋、土蔵の格子、船の帆柱などに火が回っていた。
見渡す限りが炎に照らされて凶々しいほど明るく、立ちこめた煙で息をするのも苦しい。
「ああっ、唐船が」
泣き出しそうな声を上げたのは、日向屋の主人だった。
見れば、威容を誇って岸壁に横づけされている大船二隻が、早くも炎に包まれようとしていた。特に手前の方は火の回りが早く、垣立の上にまで黒煙が這い回っている。
「納屋貸衆に触れ回り、消し止めいっ」
水手へ指図を飛ばしているのは、木屋の主人の方だった。
「ただの火事なのか、それとも」
入鹿がつぶやくと、隣の素卿がこちらへ顔を向けてきた。
「入鹿、私は細川の守護所まで走り、応援を求めてくる。お前はここにいて、辺りを見張っておいてくれ」
「わかった」
「くれぐれも気をつけろ。既に大内の手が回っているかもしれん」
素卿の背姿を見送ると、墨染の袖を掻き合わせた瑞佐が、やけに泰然とした物腰で近寄ってきた。
「質の悪い方が失われる。人間も同じことであるな」
見れば、もはや救いようがないほど炎上しているのは、日向屋の仕立てた船の方だった。
その時、火柱と化した家屋の間から、異様な姿が現れてきた。
身の丈七尺ほどもあるだろうか。巨人と呼んでもいいほど大柄な男だった。
後ろへ撫でつけた露頭に、黒い旗のような小袖を着流し、長大な長巻を背負いもせず腰に佩いている。円柱のような手足は引き締まっているが、腹ばかりは妙に突き出ていた。
両手に捧げ持つのは丸太の松明で、先端の火球がごうごうと燃え立っている。それで火をつけ回っているらしい。大股の一歩を踏みしめる度に、夥しい火の粉が舞い散った。
「一体何だ、あいつは」
入鹿は目を見張りながら、咄嗟に腰の刀を抜き放っていた。
「宋素卿はどこだ。細川の犬、宦官の娼婦。その化けの皮をひん剥いて、この業火のただ中で犯してくれようぞオ」
そんな言葉を耳にすればこそ、入鹿は考えるよりも先に、そちらへ向かって駆け出していた。
巨人と正面から向かい合った。仁王像のような大まなこがこちらを見下ろしてくる。魔性、と言ってもいい。
「貴様、何奴じゃ」
「化け物の相手をさせられるのは、俺と決まっているのでな」
「ほう。知っているぞオ、宋素卿に飼われている兵法使いのガキよな。あの端た者の女に咥え込まれ、いいように使われておるらしいのオ」
知られ始めている、素卿の素性が。
睨み返しながらも、入鹿はただ息を乱すまいとしていた。永春との稽古の中で見出した境地を、決して手放すまいとしていた。
「お前こそ何者だ、デカブツ」
「吾? 吾は神代源太郎よ。大内左京大夫様の子飼いの武将ぞオ」
「やはり大内か。こんなことまで仕出かして、どうやっても細川の遣明船を送らせないつもりか」
「ムウ? 道理がないのだよ、貴様らには。我らの勘合は、先の公方様より直々に託されたものぞ。それをまさか主人の館に忍び込んでまで盗み取ろうなど、一体どちらが非道であろうか」
「それで堺の町と港を焼き払おうというのなら、お前たちこそ悪だろう」
入鹿は柄巻を握り込み、刀を正眼に構え直した。
「そもそもお前のような外道が、武将のはずがない。良いところ、見世物小屋の力士がせいぜいだな」
相手は、欠けた前歯を剥いて笑ってみせた。口の端が裂け、歯茎を突き破っている奥歯が覗き見えた。
「楠葉入鹿。その腹を引き裂き、臓物を食らってくれるわい」
両手の松明を、左右の土塀の向こうへ放り捨てると、腰の長巻を器用に抜き放った。切っ先が星の巡るような線を描く。
かと思うと、巨体に似合わぬしなやかな身のこなしで、こちらへ駆け込んできた。
突きが来る。
入鹿は刀身でそれを叩き落とした。が、あまりに重い。弾き飛ばされるように後ろへ飛び退いた。
剛力は、見た目に違わない。ただ、今の一合で悟った。武芸の手練れというわけではなさそうだ。体躯に恵まれ過ぎたゆえに、どうしても力任せの戦い方になっている。
あの長い腕、さらに七尺ほどもある得物で、互いの間をやけに遠く保とうとしている。懐へ入られるのを嫌がっている、と見た。
入鹿は、そこまでおのれの考えを進めた。戦いは、勢い。技は、それを生み出すためのもの。
ためらわず、踏み込んだ。
またしても、長巻の突きが来た。やはり、荒い。
入鹿はその切っ先を見切り、相手の右側へ回り込むと、長柄を握っている手元まで入り込んだ。やや身をかがめながら剣尖を小さく回し、一文字に斬り上げた。
手首まで刃が届いた。肉が裂け、血がほとばしる。
取った、と思った。
ところが、思いもしないことが起こった。
やけにぼってりと張り出した腹の、帯の上の前合わせがひとりでに割れた。まるでがばりと大口を開くように。
そこから飛び出してきたのは、もう一本の腕だった。
「なにっ」
声が出たのかもわからない。ただ閃くものだけが目の端に映った。
危うさを察し、咄嗟に身を引いた。そのぶんだけ浅かったが、横ざまに斬りつけられ、直垂の胸が菊綴の紐ごとぱっくりと裂けた。
息一つおいて、だらだらと血が溢れ出してきた。
「お前は」
痛みよりも驚きのあまり、二の句を継げなかった。対峙した相手の脾腹から、三本目の腕が伸びている。ずいぶんと短いようだが、しっかりと抜き身の短刀を握りしめている。
「驚いたかのオ。これが吾、神代源太郎の万人に一つの体よ」
裂けた口を横に広げ、奥歯を覗かせながら笑んでいた。
現とも思えない。
明澄になったはずの入鹿の心は、すぐさま掻き乱されてしまった。
ここからもう一度静め直すなど、さらに容易いことではない。
かろうじて相手を見た。右手の甲から夥しく血を垂れ流し、もはや両腕で長巻を振るうこともできないだろう。
が、至近で受けたこちらの傷も深い。血を失うほど力は抜け、目の前が冥くなってゆく。どちらが先に倒れるのか。体の小さなおのれの方が、死に近いのは間違いない。
時が惜しいのはこちらだ。
入鹿は刀を構え直し、上段から遮二無二打ちかかった。が、相手は巨体でひらりと後ろへ飛びすさり、またしても間合いを保とうとする。
やはり、何が起こるかわからない戦の場に立てば、身につけてきた技などあまりに無力だ。
「吾を外道と呼んだな」
頬から飛び出した乱杭歯は、あたかも獣の牙のようだ。
「そうよ、その通りよ。貴様はその外道と、命の奪り合いをしているのだ。そんなことで勝てると思うか、この神代源太郎によオ」
戦は、勢い。
考えもつかない、文字通りの「奥の手」を出されて、その勢いはあっさりと挫かれてしまった。
相手の体の作りが、常人のものではなかった。しかし、そんなことは何の言い訳にもならない。負け犬の遠吠えに過ぎない。
互いに命を奪おうとしている以上、勝負は常に一度きりだ。その一度で肝を潰されてしまったのなら、自分がそれまでだったということだ。
神代は、傷ついた右手をだらりと垂らしたまま、左の脇に長巻を手挟んでいる。腹から伸びた短い腕で短刀を逆手に構え、懐への踏み込みにも備えていた。
百鬼夜行の絵巻ですら、見たことがないような姿だった。
「陰の流とやらも、ここで途絶えることになるのかのオ」
思いのほか穏やかに言い渡すと、裏腹に力のこもった斬撃を繰り出してきた。
入鹿は、背中を向けてそれを避けた。と言うよりも、逃げた。
「うわあっ」
と、か細い声さえ上げていた。
「ざまあないぞオ、畠山卜山の弟子」
振り返ると、炎を背後にした敵の巨大な姿が、怒れる不動明王のように仰ぎ見られた。
俺は、恐れている。
相手は再び腰を落とし、長巻を大きく振りかざした。
殺される。
その時だった。
神代の右肩に、ぐさりと肉の音を立て、矢柄が深々と突き立った。
「ウヌッ」
相手はうめき声を発した。
矢の飛んできた方を見やると、築島の石段の上で、弩を手にしている者がいた。肩をすくめるように構え、懸刀に指を載せている。
青い漢服姿の素卿だった。
「入鹿、今だっ」
声が煙の中を突き抜けてきた。
入鹿はうなずいた。今度は、何も考えなかった。
力強く踏み込んで刀を薙ぎ払い、目の前にある膝の腱を斬り裂いた。
「ヌグウッ」
相手は化け物じみた顔を歪め、長巻を取り落として背中を丸めた。膝に手をやり、巨体を支えるので精いっぱいらしい。
間髪入れず、相手の脇腹へ切っ先を突き刺した。
小さな腕が短刀でそれを防ごうとしたが、到底間に合わない。
肉の壁が厚い。が、力任せに突き込むと、臓腑まで達した、という手応えがあった。
「構わんわイ」
口の端から血を垂らしながら、神代は吠え立てた。
「貴様らの唐船を燃やす、という目算は達せられた。負けたのはそちらの方じゃ。悔しいか、悲しいかオイ。細川の犬どもが」
「俺たちが犬なら、お前たちは大内に飼われている豚だ」
「フヌウッ」
相手は気合一閃を込めると、身を反らして腹に埋まった刃を引っこ抜いた。
どす黒い血を噴き出させながら、くるりと背中を向けて走り始めた。左膝がおぼつかず、激しく上体を波打たせているが、それでも信じられないほどの速さだった。
港の岸壁に、一艘の小早が横付けされていた。神代は巨体を引きずるようにそちらへ乗り移った。船は沈みそうなくらい前後に揺れたが、腹当をつけた水手たちはてんで構いつけず、一心に櫓を動かし始めた。
巨人は崩れ落ちるように板子へあぐらをかき、真っ黒く煙った空を仰ぎながら、明るく哄笑してみせた。
「道理を通せば無理が引っ込む。神代源太郎、推参でござった」
遣明船の帆柱は、山火事の林のように燃え上がり、赤い火影を暗く濁った海へ投げかけていた。
港まで駆けつけてきた守護所の武士たちが、何やら大声で喚き合いつつ、木桶から船へ水をかけたり、家屋の打ちこわしを始めている。
だが文字通り、焼け石に水だろう。
入鹿は膏にまみれた刀をぶら下げ、直垂の胸元を赤黒く染めたまま、茫然と立ち尽くしていた。
~(2)へ続く
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