【歴史小説】寧らかの波 第五章(3)「あそこへ帰るのは、全てが終わってからでいい」
ここまでのあらすじ
16世紀。
異国の血を引く少年・楠葉入鹿は、育ての親ジイを自らの手で殺めてしまい、管領・細川高国のために働くことを強いられる。
境界に生きる者の国を築こうとしている明国人・宋素卿と入鹿は行動をともにし、南海の臥蛇島から大陸の港都・寧波へと渡ってゆく。
そこで明の官吏・朱子純と武人・愈志輔に尋問され、素卿の過去が明らかになる。素卿は実は乳房を切り落とした女であり、寧波出身の元歌妓であった。
一行は船で双嶼島へ逃亡し、仲間たちの船団とともに明の海軍を迎え撃つ。入鹿の剣技は明の兵士を圧倒するが、愈志輔と斬り合って窮地に陥る。
致命的な一撃を受ける直前、入鹿は海に飛び込んでどうにか難を逃れるが、そのまま果てしなく沈んでゆき、意識を失ってしまうのだった……
本編
三
細川京兆家の屋敷は、洛外と言ってもよい北の外れにあった。
ここまで来ると町場は途切れ、建物の数も少ない。周囲には荒れ地と田園ばかりが広がっている。
「天下の主の居所らしくもない。ずいぶん寂しい所に住んでいるもんだな」
入鹿は習いたての鞍にまたがり、太腿でどうにか馬の背を挟みつけていた。
「歴代の右京兆邸だ。高国は昔、野州家の屋敷から引っ越してきたことになるな」
やや先を行く素卿は、いつものように素っ気ない声を出す。
褐色の直垂烏帽子で威儀を正しているので、まるで異国人には見えない。むろん女にも見えないだろう。
自分も揃いの衣装を貸しつけられ、見た目ばかりはいっぱしの武家二人組のようになっている。
これからの支度のため、孫太郎は双嶼に残り、永春は吐噶喇へ戻っていた。一旦日本へ帰ってきたのは、自分たち二人だけだ。
京の都は、さすがにこの国では大きな町だった。だが新しい軒並みと荒れ果てた場所がはっきり分かれていて、雑然としている割には活力に乏しい。そんな感じを受けた。
小川の流れの突き当たりで折れ曲がると、瓦屋根の練塀がどこまでも伸びていた。壁の向こう側に、ぴんぴんと尖った松の枝や、一際高い主殿の入母屋屋根が覗いている。
唐門の前には、薙刀を手にした大柄な番士が、左右の力士像のように立ち尽くしていた。
「大内のところと似ているな」
「武家の屋敷というのは、いずれも将軍の御所をまねている。似たりよったりになるものさ」
馬を降りると、厩番が駆け寄ってきて轡を預かった。こちらから名を告げるまでもなく、番士は木の閂を外し、二人を門の内側へ迎え入れた。
「まるでここの主人のようだな」
「今からは、軽口はなしだ」
細長い指の腹を、こちらの唇へ当ててきた。
中門から廊へ上がり、細長い池のある庭園に沿って歩いていった。案内の者が主殿の襖障子に手を掛けると、素卿は簀子縁に袴の膝をついた。入鹿も慌ててその所作をまねる。
広い室内には、畳が追い回しに敷き詰められていた。一段高くなっている奥の間に、付書院と飾り棚が設けられ、唐物らしい壺や香炉、山水の墨絵などが飾られていた。
ややあって、内側の襖が開き、痩せた目の大きい男が上段へ入ってきた。松笠菱紋の入った素襖に立鳥帽子をかぶっている。髭はなく、頬ばかりは妙にふくよかだった。
太刀持ちを傍らに従えながら、その男が茵に腰を下ろすと、素卿は遠くの縁側でゆるゆると頭を下げてみせた。入鹿もおずおずとそれに倣う。
「ひとまずは、ようぞ戻った、宋素卿」
細川高国の声は甲高く、鼻にかかっていた。
「右京大夫様におかれましては、時下ますますご清祥の事、お慶び申し上げまする」
「遠いな」
相手は眉をたわめて笑ってみせた。
「遠いし、まどろっこしい。そなたらはいずれも異国人じゃ。この国の武家の作法に縛られることもあるまい。もうそっと近寄ってまいれ」
入鹿は異国人のつもりはなかったが、ためらいなく立ち上がって入室していく素卿の振る舞いに、やはり従うしかなかった。
先行く者は、上段の小紋高麗縁のところまで進んでから、またそろそろと腰を下ろした。むろん入鹿も同じようにした。眼差しの先の右京兆は、閉じた扇で顎の先を叩きながら、満足げにうなずいていた。
「無事に戻ったはよいが、首尾も上々、とまではいかなんだようじゃの」
「そのことにつきましては、申し開きの言葉もなく」
出で立ちに引きずられてか、素卿はらしくもなく武士じみた言葉遣いをしている。
「ふむ。山口の大内館へ忍び込んだまではよいが、敵方の内者に逆に謀られ、平七を討ち取られてしまった。あまつさえ、正徳勘合を奪い取ることもできなかった。もはや唐船派遣のことは、全て大内に独占されてしまったとする他はあるまいの」
「いや、さにあらず」
「さにあらず?」
高国は、試すように片眉を持ち上げてみせた。
「まだあきらめるのは早い、ということです。一つ前のものとは言え、我らには弘治勘合がある。大内の機先を制し、朝貢使として先に到着さえできれば、まだ逆転の目はあります」
むう、と高国は螺鈿の脇息にもたれながらうなった。
「確かにの。今までそなたはいくつもの不可能を可能にしてきた。そうでなければ、一介の商人が北京へ上り、新年の朝議に列することなどできはすまい。いや、そもそも氏素性も定かならぬ身で、この武家管領と相対し、一国の使節まで務めていること自体が奇跡よの」
扇でひたひたと膝頭を打ちながら、大きな目を天井へ向け、あれこれと思案している様子だった。
「しかし一歩まかり間違えば、我が国と明国との通交を、今後一切閉ざしてしまうことにもなりかねまいぞ」
「それは重々、承知の上」
素卿は、覚悟を込めた所作でうなずいてみせた。
「既に堺では、日向屋、木屋という客衆が、それぞれ一隻ずつの大船を支度しております。いっぽう大内の船団は、この春に博多から出航の手はずになっている。我らはそれよりも早く船を仕立て、日本国王から皇帝への上表を奉じ、南海を横切って寧波に到着するのです。そうすれば、この素卿が一命を賭け、市舶太監に正式な朝貢使として認めさせてみせましょう」
「愚問であろうが、そのようなことができるのか」
「必ず」
この一言を迷いなく言い切るための、ここ数ヶ月の素卿の努力だったのだと、入鹿には悟られた。
「そなたがそこまで請け負うのなら、今一度任せてみよう。元よりこのような任に耐える人間は、唐土広しと言えども、そなたの他に一人もあるまいしな」
そこで目を転じ、今まで一瞥もくれなかった入鹿の方を、たじろぐほどまっすぐに見据えてきた。
「お前さんも、ずいぶんと見違えたな」
ハッとして、咄嗟に烏帽子の頭を下げてしまった。武士というのは、いちいち不便なものをかぶっている。
「素卿や佐々木永春に、さんざ鍛え上げられたのだろう。ほんのかすかだが、卜山殿の名残りも漂い始めている」
恐縮とかすかな嬉しさが、胸の奥に萌したのも確かだった。これがこの、細川高国という天下人の魅力なのかもしれない。
「一つ、伺いたいことが」
入鹿は思いきって問いかけてみた。
「何だ」
「我が父は、どのようにして死んだのでしょう」
素卿は横目で振り返ってきたが、敢えて咎め立てはしなかった。
「赤沢宗益か」
入鹿は黙ってうなずき返した。相手は腕を組み、虚ろな斜め上を見上げた。
「率直に言えば、ほとんど知らない。かの者が生きていた間、余はまだ何者でもなかった。戦に出たことすらなく、毎年の千句連歌の差配をするのがせいぜいだった」
心なしか、皺ばんだ口元を緩めてみせた。
「一方で、宗益は押しも押されもせぬ京兆家内衆の大立者だった。大和、河内を征服し、細川の領国を何倍にも広げてみせた。むろん、並大抵の男ではない。何度か目にしたことはあるが、比べる者がないほどの巨躯で、剃り上げた頭に婆娑羅者の如き羅紗の法衣をつけ、鷹のような顔つきをしていた。全く、戦場で向かい合ったらと考えるだけで、怖気をふるうばかりの男じゃった」
覚えをたどるように、うっすらと目を閉じていた。
「ただ一人、その前に立ちふさがり、挑み続けたのが畠山卜山殿だ。万に一つの勝ち目を作り出し、乾坤一擲の勝負に出たことも一再ではない。まことの好敵手同士よ。思えばお前が、そんな二人と深い縁を持っているのも、不思議なことよの」
「で、その最期は」
入鹿は催促するように訊き重ねた。相手はふむ、とうなり、鼻から大きく息を吸い込んだ。
「そうよの。我が養父でもあった当時の右京大夫、細川政元公は、手ずから公方の首をすげ替え、『半将軍』と呼ばれるほどの権勢を誇っておられた。
が、修験の道に凝り、出家を自認していたので子がなかった。細川一門はその跡目をめぐり、大きく阿波派と公家派に分かれた。阿波派の優位が定まった時、公家派は最後の望みをかけて、他ならぬ政元公を暗殺するという挙に及んだのだ。
その時、宗益は丹後国の一色氏討伐のため出征していた。しかし、平坦な河内や大和とは勝手が違ったのか、山上の城を攻めあぐね、長く睨み合ったまま身動きが取れなくなっていた。
政元公暗殺の報せが届くと、すぐさま京へ撤退しようと試みたが、現地の国人衆が結束して退路を断ち、これを押し包んで攻め殺してしまった。最後は天橋立の観音堂に立てこもり、焼かれながら自害したという。
ついでながら、余はその混乱の中、公家派を討ち滅ぼすことで頭角を現した。やがて阿波派をも駆逐し、大内のもとにおられた先の公方をお迎えすることで、京兆家の跡目として認められたのだ。長年の宿敵であった畠山氏との和睦も、その時に成し遂げられた」
数ヶ国を征服し、ジイを全く寄せつけないほど強かった父ですら、あっさりと地侍どもに討ち果たされてしまったのか。
やはり戦は勢いだ。その前では、人ひとりの強さなど、とても大勢を覆すには至らない。
すなわち剣の道も、戦の勢いを生むための手段でなくてはならない。
「そなたが宗益の息子で、卜山殿の弟子だというなら、よくよく素卿を助けてやることだ。既に存じておろうが、この者は他に帰る場所もない。せいぜい手を取り合い、懸命に働くことだ」
「言われずとも」
それを潮として、目の前の素卿が烏帽子を下げて平伏した。入鹿もまた同じようにした。女のものらしい尻が、袴越しにこちらの鼻先まで突き出されてきた。
京兆邸を出て、上京の町場まで戻ってくると、みるみる往来が増えて賑わいも増してきた。
大路小路は左右に小屋が掛けられて狭く、馬上では進むのに難儀するくらいだ。
「これから堺へ向かい、唐船の出来上がりを待つことになる」
手綱を波打たせながら、素卿は淡々と告げた。
「船へ乗り込んでしまえば、あとは命を賭けた戦いが待っている。しばらくは気を抜いて休む暇もなくなる」
「ああ、覚悟の上だ」
「そう張りつめてばかりいるものではない。せっかく畿内へ戻ってきたのだ。一度、沼島へ帰ってもいいぞ」
意外な言葉に、入鹿は思わずはっとした。
おえい。
懐かしい海。砂浜と緑の丘。透き通った波と光る魚。その間を泳ぎ抜けてゆく、日に焼けた乙女の肢体。
もう十年も帰っていないかのように、懐かしく思い出されてきた。
ふと見れば、素卿の横目がこちらの面差しをじっと捉えていた。微妙な心の揺らぎが、能面のような面差しの向こうに透けて見えた。
入鹿は、脾腹をくすぐられるような感じを覚えた。本当は気がかりでも、一度故郷へ帰したくらいで逃げてしまうことはない。そう認められたのだろう。
「いや」
様々な思いを払いのけるように、力強くかぶりを振った。
「あそこへ帰るのは、全てが終わってからでいい。少なくとも、あんたの夢を叶えられると、俺たちの中ではっきりしてからのことだ」
~第六章へ続く
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