空風りさ〜まだ名前のない色〜|第26話 『 風待ち人。 風景の中で… 』
※ 本作はフィクションです。
登場人物・団体・出来事に実在の
モデルはありません。
※「正しい答え」を提示する物語ではなく、 “まだ名前のない感覚”を眺める作品として 読んで頂ければ幸いです。
※ この作品の最新話は、
毎週、月・水・金に掲載予定です。
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空風りさ〜まだ名前のない色〜
第26話『 風待ち人。風景の中で… 』
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理由は特になかった。
ふっ、と思い出したからでもある…。
りさは、朝比奈灯に出会った店。
その窓際席に座っていた。
店内には静かな音楽が流れている。
木のテーブル。
柔らかな照明。
窓の外には揺れる街路樹。
初めて来た時と同じ景色なのに、
少しだけ違って見えた。
心理学講座まで、あと二日。
テーマは未定。
当然、何を話せばいいのかも分からない。
だから……という訳ではない。
ただ、なんとなく落ち着きたかった。
そして………
「……スイーツも食べたかったし」
小さい呟きとは対照的に、目は燦々と輝く。
そもそも…
前回来た時は、結局食べ損ねたのだ。
りさは開いたメニューを見つめた。
ケーキの名前が並んでいる。
しかし――
「どれが美味しいんだろ……」
全部美味しそうだった。
だから、決められない。
メニュー表のページを進めては戻し、
戻しては進める。
……その時だった。
「朝比奈さん、いらっしゃいますか?」
聞き覚えのある声が耳に届く。
りさは反射的に顔を上げた。
レジの前に立っていたのは、
瀬戸悠真だった。
店員が申し訳なさそうに頭を下げる。
「本日はお越しになられてません」
「あ、そうなんですね」
瀬戸は少しだけ残念そうに笑った。
「分かりました。
ありがとうございます」
そう言って振り返る。
そして……目が合った。
「あれ?」
瀬戸が目を丸くする。
りさの心臓が一拍だけ跳ねた。
「……あっ」
なぜか、それ以上言葉が出ない。
瀬戸はそのまま近付いてきた。
「来てたんだね」
「う、うん」
「珍しいね」
「まぁ、その……ちょっと」
りさは意味もなくメニューを
閉じたり開いたりした。
自分でも何を慌てているのか分からない。
瀬戸はそんな様子に気付かないまま、
ふと視線を落とした。
開いたメニューに、並んだケーキの写真。
そして、少し考えるように笑う。
「あっ、そうか」
「なに?」
「ごめん」
「え?」
「そういえば前回来た時さ…」
瀬戸は少し肩を竦めた。
「スイーツ食べてなかったね」
りさは固まった。
そして、思い出した。
朝比奈灯の話や影の話。
あれこれ考えているうちに、
すっかり忘れていた。
「……そうなの」
「リベンジ?」
「ち、違う!」
思わず否定する。
しかし、その直後に小さく続けた。
「……半分くらいは」
瀬戸が吹き出した。
店の窓から、柔らかな光が差し込む。
りさは少しだけ頬を膨らませながら、
再びメニューへ視線を落とした。
結局…
食べたいものは、まだ決まっていなかった。
「この前さ、
空風さんにお勧めしたかったの……これ」
メニューの写真を指差す。
「このお店一番の隠れスイーツだよ」
メニューの写真を指差しながら、
瀬戸はそう言った。
りさは写真と瀬戸の顔を見比べる。
聞いたことのない名前だった。
「……美味しい?」
「うん」
迷いのない返事……それだけだった。
りさは少しだけ唇を尖らせる。
「説明、ないの?」
「ない」
「雑ぅ〜」
瀬戸は小さく笑った。
けれど、その顔はどこか楽しそうだった。
りさは観念したようにメニューを閉じる。
「じゃあ、それにする」
店員を呼ぼうとした時だった。
「俺も座っていい?」
瀬戸がそう言った。
りさは少しだけ目を瞬かせる。
「灯さん待ちじゃないの?」
「待っても今日は来ないみたいだし」
そう言いながら、瀬戸は向かいの席へ腰を
下ろした。
木の椅子が小さく音を立てる。
りさはなぜか少しだけ落ち着かなくなった。
店員がやって来る。
瀬戸は慣れた様子でコーヒーとケーキを
注文した。
りさも同じスイーツを頼む。
注文が終わると、不思議なくらい会話が
途切れた。
けれど、気まずさはない。
窓の外では風が揺れている。
葉と葉が触れ合う音。
店内の空調が流れる音。
遠くの席から聞こえる小さな笑い声。
カップが置かれる音。
誰かがページをめくる音。
その全部が混ざりながら、
静かに流れていた。
りさは窓の外を見る。
瀬戸はコーヒーカップを手に取る。
特に話すこともない。
だからといって、何かを探す必要もない。
その時間が、ただそこにあった。
やがて運ばれてきたスイーツから、
甘い香りが立ち上る。
りさはフォークを手に取った。
柔らかく切れる。
一口……静かに口へ運ぶ。
「……」
甘い。
けれど甘いだけじゃない。
……何かを考えようとして、やめる。
窓の外では、また風が吹いていた。
揺れる木々。
揺れる光。
そして、
その風景を眺めていた時だった。
ふと……
本当に何の前触れもなく。
心理学講座で最初に話したい言葉が、
胸の奥へ浮かんできた。
探していた時には出てこなかった言葉。
悩んでいた時には見つからなかった言葉。
りさは小さく瞬きをする。
「……あ」
思わず漏れた声に、瀬戸が顔を上げた。
「どうしたの?」
りさは少しだけ笑う。
そして窓の外を見たまま答えた。
「……なんか、浮かび上がったかも」
店内の静かな音が、その言葉の続きを急かす
ことなく流れていた。
瀬戸が首を傾げる。
「何が?」
りさは少しだけ笑った。
けれど、自分でも上手く説明できない。
講座のテーマ…話したいこと。
たぶん、それに近い。
でも、まだ違う気もする。
「……もう少し。
もう少しで、何か掴めそうな感じ…」
りさはそう呟く。
瀬戸は何も聞かなかった。
りさはフォークを置く。
胸の奥に浮かんだ何かは、まだ言葉になって
いない。
けれど消えてもいない。
それは、風景のどこかに置かれたまま、
静かに形を待っているようだった。
「瀬戸くん…
2日後、あたしの講座に来てみる?」
瀬戸は、少し意外そうな顔をする。
しかし、すぐに微笑みに変わった。
「俺が行ってもよければ」
「もちろん!」
お互い、クスッと笑う。
「それでさ、空風さん。
講座の場所と時間を教えて欲しいな」
「………」
りさの表情が固まる。
その雰囲気を瀬戸悠真は察した。
「…分かったら……教えてね」
店内に流れるピアノのBGMが、
静かなフルートへ切り替わった……。
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