自分の中に残る過去の怒りに気付く
過去の感情に寄り添うことに努めてきた。
悲しかった過去、傷付いた過去、
苦しくて、寂しくて、
その時の私では、どうしようもなかった過去。
その中で忘れていた感情が他にもあったと
やっと最近、気が付いた。
『怒り』が出せる=信頼がある
私の中では、赤の他人に怒りを感じることは
余程、自分に不利益がある場合以外にはない。
『メンドクサイ』と感じるだけ。
逆に子どもや、特に今のパートナーには
今までにない位の怒りを全力で出している。
何でだろう?と考えてみた。
『怒り』を出せる相手=『甘えられる』人
甘えられる人=私にとって信頼ができている人
私の中には、そんな価値観があった。
親に信頼が持てない
過去の出来事を遡っていく中で
私は両親に対しても『怒り』を出せていなかったことに気が付いた。
悲しみや寂しさは認識していたけれど、
きっと、その手前にあったはずの『怒り』には
全くの無関心だった。
もしも、同じことを今のパートナーがしていたら、爆発的に怒るだろうことも、怒れていなかった事実に今やっと気付けた。
そして、両親に対して
『怒り』がだせない=信頼ができなかったんだなと改めて思い知った。
そこも含めて、今、一つ一つ思い出せる限りの怒りを感じ尽くしている。
まだ、終わらない。
どれだけの『怒り』を『諦め』に替えてきたのかと思う。
時間がかかっても、全てを感じ尽くして
過去の怒りを手放す。
今は、悶々として少し苦しい時間だけれど
全ての過去の怒りが消化された時、
私はもっと軽くなると分かっている。
だから、諦めない。
今の私で、過去の私の怒りを全て聞いて
受け止めて、一緒に感じ尽くして消化させる。
この記事を書きながら、
色んな思いが溢れて涙が出てくる。
さぁ、後少しだ。
全ての感情に意味がある
人に怒るって、とてもエネルギーを消耗する。だから『メンドクサイ』と感じるのだなと思う。
脳がエネルギーを勝手に節約しようとして
『メンドクサイ』という感情に置き換えている
だけで、本当は『怒り』も感じているんだと
今回の向き合いで、はじめて知った。
決して『怒り』がない訳じゃなかった。
『怒り』を感じることは決して
悪いことじゃない。
むしろ、未熟な私達にとっては当たり前に感じるはずの感情で、感じていない訳がない。
きっとその『怒り』を出すことで、余計に両親の怒りを買ったり、自分に不利益があると感じていたのだろうなと思う。
人が自分を守る為の自己防衛本能。
今まで私を守ってくれてありがとう。
もう、守らなくても大丈夫だよ。
読んで下さって ありがとうございます。
何かの気付きになれば 幸いです。
elma
やっぱり、全ては愛でした。
