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【ツミデミック】一穂ミチ|読了

第171回直木賞受賞作。

コロナ禍という未曾有の状況の中で、人生の歯車が少しずつ狂い、罪に近づいてしまった人々を描く全6編の短編集。

罪といっても、最初から大きな悪意を抱えている人ばかりではない。

仕事を失う。

孤立する。

判断を誤る。

誰にも言えない感情を抱える。

ほんの少し、現実の足場がずれていく。

その先に、罪がある。

だからこそ、読みながらずっと他人事ではいられなかった。


遠い犯罪ではなく、すぐ隣にある現実


本作に登場するのは、最初から犯罪者として生きてきた特別な人たちではない。

仕事を失った人。

家族との距離が変わった人。

孤独の中で判断を誤った人。

自分でも気づかないうちに、少しずつ追い込まれていった人。

そういう、ごく普通の生活をしていた人たちだ。

ニュースで事件を見れば、結果だけが目に入る。

何をしたのか。

誰が被害に遭ったのか。

どんな罪に問われるのか。

でも、その一行の前には生活がある。

焦り。

不安。

見栄。

後ろめたさ。

誰にも言えない弱さ。

『ツミデミック』は、その部分を静かに描いていく。

これは「遠い犯罪」の話ではない。

少し条件が違えば、自分のすぐ隣にあったかもしれない。

そう思えてしまう距離の近さが、じわじわと怖かった。


淡々としているから、自分で考えてしまう

コロナ禍という題材は、それだけで重い。

失業。

孤立。

生活の変化。

人との距離。

いくらでも感情を強く煽る物語にできそうな題材だと思う。

でも、本作はかなり淡々としている。

誰かを簡単に糾弾するわけでもない。

逆に、罪をなかったことにするわけでもない。

だから、読む側に余白が残る。

この人が悪い。

こうすればよかった。

そんなふうに簡単には片づけられない。

むしろ、

「自分なら本当に踏みとどまれただろうか」

と考えてしまう。

同じ状況に置かれても、違う選択ができたのか。

逃げ場を失ったときにも、絶対に間違えないと言い切れるのか。

作品から答えを押しつけられるのではなく、自分で考えさせられる。

この距離感がとても良かった。


コロナ禍が、人の生活を少しずつずらしていく

本作は、コロナ禍という時代と強く結びついている。

でも、単に当時の出来事を並べた作品ではない。

大きな社会の変化が、一人ひとりの生活へどう入り込んでいくのか。

そこが描かれている。

生活が変わる。

仕事が変わる。

人との距離が変わる。

それまで何とか保たれていた関係や感情まで、少しずつ形を変えていく。

その変化は派手ではない。

むしろ、静かに進んでいく。

そして気づいたときには、以前とは違う場所に立っている。

この感覚が妙に現実的だった。

世界が突然別物になるのではなく、日常が少しずつずれていく。

そのずれの中で人が何を選んでしまうのか。

コロナ禍を背景として置くだけではなく、その時代だから生まれた人間の揺らぎまで小説にしているところが印象に残った。


「特別縁故者」――制度の言葉と、人間の温度

6編の中で、特に印象に残ったのは「特別縁故者」。

まず、この言葉自体がどこか冷たい。

制度の言葉。

書類の言葉。

人と人との関係を分類するための言葉。

でも、その言葉の中に置かれる人間には感情がある。

孤独がある。

事情がある。

簡単には名前をつけられない関係がある。

その温度差が強く残った。

制度は、人を整理するために必要なのだと思う。

でも、人間の感情まできれいに分類できるわけではない。

「特別縁故者」というひとつの言葉の中に、入りきらないものがある。

その冷たい言葉と、人間が抱えている感情との距離が良かった。

派手な展開で残る一編ではない。じわじわと、あとから効いてくる。そんな一編だった。


六つの罪が、一つの時代の空気になる

6編は、それぞれ独立した物語になっている。

登場人物も状況も違う。

罪の形も違う。

それでも一冊を通して読むと、同じ空気が少しずつ積み重なっていく。

コロナ禍の閉塞感。

生活が変わっていく不安。

人と人との距離。

現実の足場が少しずつずれていく感覚。

最初は一人ひとりの個別の罪として読んでいたものが、読み進めるほどに、ある時代の中で生まれた六つの物語として見えてくる。

そこが良かった。

自分も知っている時代だからこそ、完全には距離を置けない。

あの頃の景色。

不安。

人との距離。

生活が急に変わった感覚。

そうした自分の記憶と、作品の中の出来事がどこかでつながってしまう。

その近さが怖かった。


怖いのは、最初から大きな悪意を持つ人だけではない

読み終えて特に残ったのは、怖いのは悪意だけではないということだった。

もちろん、罪は罪だと思う。

誰かを傷つけること。

間違った選択をすること。

取り返しのつかない場所へ進んでしまうこと。

それを簡単に肯定することはできない。

でも、本作に描かれているのは、最初から大きな悪意だけを抱えていた人たちではない。

ほんの少しの綻び。

判断のずれ。

孤立。

焦り。

生活への不安。

誰にも言えなかった感情。

そういうものが積み重なり、あるところで現実が傾いてしまう。

昨日まで普通に生きていた人が、絶対に越えないと思っていた線へ近づいていく。

その怖さがあった。

だから「自分とは違う人の犯罪」として切り離すことができない。

自分ならどうだったのか。

その問いを残すところが、この作品の誠実さだと思った。


読後に残ったもの

『ツミデミック』を読み終えて強く残ったのは、

「身近だった」

という感覚だった。

遠くの犯罪ではない。

特別な誰かだけの罪でもない。

コロナ禍という特殊な状況の中で、生活が少しずつ変わり、少しずつ追い込まれ、どこかで選択を間違えてしまった人たちの物語。

その近さが静かに怖い。

事件の結果だけを見て、人を裁くことはできる。

でも、その人がそこへ至るまでに何があったのか。

どこで足場がずれたのか。

どの瞬間なら戻れたのか。

そこを考え始めると、簡単には割り切れない。

本作は、それを押しつけがましくなく見せてくる。

淡々としている。

でも、冷たくはない。

重たい。

でも、過剰には煽らない。

その距離感がとても良かった。

怖いのは、悪意そのものよりも、ほんの少しの綻びや判断のずれから、現実がこちら側へ倒れてくることなのかもしれない。

その怖さを、コロナ禍という自分たちも知っている時間の中に置いて描く。

だからこそ、最後まで他人事にはできなかった。

静かだけれど、かなり近いところに残る短編集だった。

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