渇きの果てに…禁断のコンダクター 第2話
まゆは、渇いた心がゆっくり熱を帯びていくのを感じていた。
画面をスクロールするたび、自分の奥に隠していた感情が、少しずつ開かれていく。
怖いのに、心地いい。
「文章の奥にある“渇き”が、とてもリアルでした。」
その一文が、胸の深いところへじんわりと沈んでいく。
城山アダムス――。
どんな男なんだろう。
まゆは息を潜めるようにして、彼の作品ページを開いた。
タイトルは『禁断のCareless Whisper』。
……Careless Whisper……
80年代に流行った古い洋楽。
健一とまだ恋人だった頃、行きつけのダイニングバーで流れていた。
低く湿ったテナーサックスの旋律。
甘く、気だるく、夜の匂いをまとった音色。
タイトルを見ただけで、その旋律が記憶の深いところによみがえった。
読み始める。
そこに描かれていた男は、不思議だった。
強引なのに、乱暴ではない。
女を征服しようとするのではなく、隠していた感情を丁寧に拾い上げていく。
反応を急かさない。
言葉を重ねながら、相手の呼吸を確かめるように近づいてくる。
乾ききった場所へ、少しずつ湿り気を与えていく文章だった。
一文を読むたび、心の奥で固く閉じていたものが、じわりとほどけていく。
欲望を煽られているわけじゃない。
むしろ逆だった。
見ないふりをしてきた孤独が、じわじわと暴かれていく。
「本当は、ずっと触れられたかったんだろう・・・」
耳元で、低く囁かれている気がした。
まゆは気づけば、スマホを握る指に力を込めていた。
自分が欲しかったのは、ただ身体を満たす快楽じゃない。
誰かの記憶に残りたかった。
「私はここにいる」
と感じてもらいたかった。
妻でもパート従業員でもない、
“まゆ”として。
城山アダムスの文章は、その空白を見透かしながら、乾いた心へ音もなく入り込んでくる。
読み終えたあとも、サックスの旋律だけが胸の奥底に残っていた。
低く、甘く、切なく。
まるで忘れかけていた熱を、ゆっくり思い出させるみたいに。
隣では、健一が軽く寝返りを打った。
現実の寝息が、暗い部屋に戻ってくる。
けれど、その向こうで、サックスだけがまだ体の奥に流れていた。
まゆはベッドの上で膝を抱え、スマホを見つめた。
震える指で、DM画面を開く。
何を書けばいいのかわからない。
それでも、何かを伝えたかった。
「あなたの言葉が、私の心に触れました」
そこまで打って、指が止まる。
重かった。
この一文を送ってしまえば、何かが変わってしまう気がした。
まゆは一度、文章を全部消した。
深く息を吐き、もう一度打ち直す。
「どうして、そんなにわかるんですか?」
送信ボタンの青い光が、小さく浮かんでいる。
押せば届く。
たったそれだけなのに、指先が動かない。
……もし軽い女だと思われたら。
……無視されたら。
……この感情ごと拒まれてしまったら――。
そんな想像ばかりが膨らんでいく。
まゆは唇を噛み、スマホを胸に押し当てた。
本当は、もっと話したかった。
自分でもうまく言葉にできない渇きを、あの人なら理解してくれる気がした。
文章の奥に隠していた感情を、アダムスだけは拾い上げてくれたから。
……結局、送信することはできなかった。
アプリを閉じる。
暗闇の中、胸の鼓動だけが妙に大きく響いていた。
翌朝。
目を覚ますと、下書きはそのまま残っていた。
削除しようと画面に触れた瞬間、背後から健一の声が飛ぶ。
「朝飯まだか」
まゆは反射的にスマホを伏せた。
「……今、作るから」
そう返しながらも、削除ボタンには触れられなかった。
下書きの奥には、長いあいだ押し殺してきた“女としての声”が、まだ微かに残っていた。
