多言語観察の裏側|どうして「観察」?遅咲き多言語学習者のはなし / Behind the Observations|Why I Started Observing Multi-Languages
私は、いわゆる「多言語学習者」だ。とはいえ、20代で語学をバリバリ学んでいたわけじゃない。学生の頃は物理化学専攻のゴリっゴリの理系だったし、英語は受験のためにやっただけ。中国語は大学の第二外国語で1年、その後3ヶ月弱の短期留学に行ったくらいで、その後は10年以上ほぼ放置していた。
そんな私が2020年、仕事でなぜか外資企業担当チームに異動になったことをきっかけに、英語をabcからやり直した。そして2024年、なりゆきで中国関連のデータ担当になったことを機に、中国語も声調からやり直した。
それが今では、英語と中国語はもちろん、イタリア語・スペイン語・フランス語・ヒンディー語・トルコ語・アラビア語・インドネシア語・タイ語なども並行して、地道にコツコツ学び続けている。(ちなみに、韓国語・マレー語・ドイツ語・エスペラント語も少しかじったけど、今ひとつモチベーションが続かないので、後回し中。。。)
英語と中国語を1からやり直して、仕事でなんとか困らないくらいまで自力で引き上げたことを通じて、自分なりに「こういうルートで学ぶと、言語は習得しやすいっぽい」という方法論が出来てきた。
そのうち、この方法論は、今までやったことがない言語を学ぶ時にも通用するんだろうか…?と試してみたくなり、まずはイタリア語から始めて(音が日本語に近いから、ハードルが低いかなと思った)、ヒンディー語(文字を1から学ぶことにチャレンジしてみたくなった)、スペイン語(イタリア語に似てるらしいなら、いけるか…?とチャレンジしてみたくなった)……と、興味のおもむくままに手を出していたら、今の状態になっていた。
いろいろな言語を並行して学んでいる中で気づいたのが、「言語を観察すること」のおもしろさだった。
たとえば「チャイ」。日本語では「スパイス入りのミルクティー」だけど、トルコ語の çay も、ヒンディー語の चाय も、どちらも「お茶」全般を指す言葉。あれ?日本語は意味がズレて、限定的になってる。なんで?
他にも、例えば、インドネシア語では「東」は Timur。つまり日本語の「東ティモール」は「東東」になってしまう。うーん、なんのこっちゃ。
いくつもの言語に、並行して触れているうちに、「ちょっと待って、なにこのズレは?」と思う瞬間が増えてきたので、それらを記録するようになった。そして気づけば、言語の観察記録がそれなりの量になっていて、日々の中での言語観察がすっかりクセになっていた。
私は、英語ネイティブでもなければ、留学経験豊富なわけでもない。生まれも育ちも生粋の日本人。
いまの会社ではグローバル系の部署に所属しているけれど、周りは帰国子女・長期留学経験者・元駐在員・各国のネイティブばかり。「私、ここにいていいんだろうか?」と毎日思っている。
でも、一つだけ、自信を持っていいんだと思えたことがある。
それは、「日本語と他の言語のズレ」に誰よりも敏感に気づけること。どうズレているのかを明文化して、ストックして、いつでも人に説明できること。これこそが、自分の強みかもしれない。
英語でうまく訳せないニュアンス、現地語でしか伝わらない含み、逆に、日本語でしか感じられない微妙なニュアンス。そういう「言葉のスキマ」みたいなところに、文化や思考の違いがふっと現れる。たまに、全然違う言語なのに、ほぼ同じ意味の言葉たちを見つけたり。こういうのが、たまらなくおもしろい。
このおもしろさを、私と同じようにおもしろがってくれる人がどこかにいるかもしれない。
そう思って、このnoteでの発信を始めた。
同じように言葉に興味がある人たちの、小さな引っかかりや気づきのきっかけになれば、とっても嬉しい。他の言語も覗いてみようかな、と思ってもらえたら、もっと嬉しい。
そんなことを思いながら、私は今日も、多言語観察をつづけている。
※多言語観察はこの3原則に沿って、活動しています
※ 多言語観察 目次↓
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