多言語観察|「私たち」の中に「あなた」は、いますか? / Multilingual Observation|Are You Part of “US”?
【関係性の言葉 1】
「癒し」や「思いやり」について考えていたら、今度は「誰と?」という問いが浮かんできた。自分の中の静けさを見つめたあと、ふっと、視線は、自然と外へ向かったようだ。
「私」と「あなた」のあいだの「私たち」。この言葉の中には、いったい「誰」がいるんだろう。
あなたを含む「私たち」と、含まない「私たち」
いろいろな言語を学んでいると、この「私たち」の範囲が意外と違うことに気づく。
たとえばインドネシア語では、"kita"(あなたを含む)と "kami"(含まない)をはっきり区別する。
初めてこれを知った時、正直、「え、そこ、きっちり言い分けるの?言い分けるシーンって、日常生活でそんなにたくさんあるっけ?」と、戸惑った。すんなりとは飲み込めない、考え方だった。
でも、このことを知ってから、「自分は、自分が誰と一緒だと認識しているのか」がすごくクリアになった。
「曖昧さ」の中にある、日本語の包み方
日本語の「私たち」は便利だ。含むか含まないか、文脈でなんとなく通じる。
でもこの曖昧さ、もしかしたら、関係をあえてぼかすことで、衝突を避ける文化のやさしさの表れなのかもしれない。
英語やフランス語には、基本的に inclusive な "we" しか、ない。
だから、「この『私たち』は、あなたを含んでいるよ」なんて会話、ほぼ発生しない。あったとしても、念押しの時くらいだ。
けれど、日本語には、空気のような含みがある。明言しないことで、調和を保つ。「あなた」を含めるかどうかは、文の外側の関係性で決まっていく。
言葉の中にある、距離のリズム
「私たち」という言葉を使う時、そこには「境界」と「ぬくもり」が同居している。
閉じれば安心、開けばつながるーこの揺らぎは、それぞれの言語の世界観を映しているのかもしれない。
では、今日も、あなたへの問いかけを。
あなたが今日言った「私たち」には、誰の顔が浮かんでいましたか?
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