【妄想シリーズ】「妄想の上目遣い」
部屋は、夕方から少しだけ暗くなっていた。
カーテンを半分に閉めたままの窓の向こうで、街の灯りがぼんやりと滲んでいる。
エアコンは静かに回り、部屋の温度は少しだけ低すぎる。
だから、彼女は毛布を軽く膝にかけ、私はその横で椅子に座っていた。
「ちょっと、寒くない?」
彼女がふと言った。声音は、驚くほど柔らかかった。
私はうなずきかけたが、言葉が出なかった。
寒くない、とも、寒い、とも、どちらでもよかった。
ただ、その声の温度が、私の内側を、少しだけ歪めた。
彼女は毛布を具合のように少しだけ寄せ直し、それからふと、こちらを見上げた。
上目遣いだった。
眉がかに上がり、まつげが光を遮り、目が少しだけ小さくなる。
それは、私を意識したような、何かを要求するような視線ではなかった。
ただ、そこに、ほんの少しだけ、曖昧な熱が混じっていた。
「ねぇ、そばに来ていい?」
その言葉は、あまりに自然に、あまりに軽く出た。
なのに、私の頭の中で、すでに何十段階も先の物語が始まっていた。
そばへ行く。
彼女の写真が、少しだけ近くなる。
呼吸が、重なる。
触れそうで、触れない。
その「触れない」ことの方が、私にとっては、あまりにも熱かった。
「……いいよ」
私はそう言った。
声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
でも、心は、もうすでに、別の場所へ飛んでいた。
彼女は、また上目遣いになった。
今度は、ほんの少しだけ時間が長かった。
まつげの裏が、暗い部屋で少しだけ熱を持っているように見えた。
「……近すぎて、危ないよ」
その言葉が、また私の想像を、さらに先へ運んだ。
危ない。
その一言が、すべてを、もうすでに「何か」に変えていた。
私は椅子から身を乗り出し、彼女の横に少しだけ近づいた。
触れてはいない。
でも、彼女の肌の温度が、私の袖に、かすかに伝わってくる気がした。
「……もっと、近くていい?」
彼女が、また上目遣いになった。
その声は、あまりに柔らかく、あまりに曖昧だった。
現実では、彼女は何もしていない。
ただ、窓の光が、彼女の目を少しだけ朋いたにしているだけだ。
でも、私の中では、もうすでにすべてが起きている。
触れた指先。
口の匂い。
呼吸が重なる瞬間の温度。
それらが、私の頭の中で、くっきりと鮮明に浮かび上がる。

彼女は、ふと頬をかいた。
その動作が、また私の想像を、さらに先へ運んだ。
触れたい。
でも、触れなかった。
触れないことの方が、私にとっては、あまりにも熱かった。
時間が、少しだけ狂った。
時計の音だけが、静かに部屋を切りながら、私は彼女の視線の中に、自分の妄想を隠し続けた。
上目遣いが、最後にもう一度戻ってきた。
その瞬間、私はようやく気づいた。
私を苦しめていたのは、彼女の視線ではない。
その視線に、私が勝手に意味を込めてしまう、自分の妄想のほうだった。
それでも、困ったことに、その妄想は嫌いになれなかった。
何も起きていないからこそ、私は今もあの部屋の温度を思い出す。
そして思い出すたびに、まだ起きていない何かを、また少しだけ期待してしまう。


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