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夢を読む頁(ページ)The Unread Papyrus 【創作大賞2026】ホラー小説部門ーTALESで応募中

あらすじ

大英博物館の地下書庫で、未登録のパピルスが発見された。 記号とも文字ともつかない“それ”は、既存のいかなる言語体系にも属さない。にもかかわらず、触れた者は意味を「理解してしまう」。 日本人研究者・伶は、その解読を任される。 だが解析を進めるうちに、奇妙な事実に気づく。 その文書には「区切り」が存在しない。 すべては一つの連続した“何か”であり、読む行為そのものが内容を変化させる。 やがて伶は体験する。 それが記録ではなく、「読者を記述するもの」であることを。 画面上のテキストに、自分の名前が現れる。 知らないはずの記憶が流れ込む。 そして、眠り続ける妹が残した言葉と一致する。 ——眠るな。読み終えるまでは。 さらに調査を進める中で明らかになるのは、古代の人々がこの“ページ”を封印した理由だった。 それは知識ではない。 夢でもない。 読む者を「接続」し、別の層へと導く装置。 そして、その最後の行は固定されていない。 読む者ごとに書き換わる。 名前か、あるいは——番号として。 やがて伶は理解する。 これは解読ではない。選別だ。 読み終えた者は戻らない。 だが、途中で止めることはできない。 なぜなら、この文書はすでに“こちら側”を読んでいるからだ。 そして今、あなたもその途中にいる。 この記録について、誰にも話さないでほしい。 それだけでいい。 理由は、すでに分かっているはずだから。 It's our number.



一 未登録の箱 


その箱には番号がなかった。 

大英博物館の地下三層、空調が常に十八度に保たれた収蔵庫の、棚の最奥。すべての所蔵品が登録番号という首輪をつけられているこの建物で、それだけが裸だった。アクリルのケースに収められた木箱。

蓋に、墨ともインクともつかない黒で、一行だけ何かが書かれている。 私は手袋をした指でその一行をなぞった。なぞれるはずがなかった。アクリル越しなのだから。それでも指の腹に、乾いた繊維の感触が確かに返ってきた。古いパピルスを扱ったことのある人間なら知っている、あの、砂を撫でるような手応え。 

錯覚だ、と私は思った。研究者というのは、自分が見たいものを指先にまで捏造する生き物だから。 

私の名前を、ここでは仮に伶(れい)としておく。なぜ仮にするのか、その理由はこの記録の最後まで読めば分かる。

読んでしまえば、もう私の名前はあなたのものになる。

——いや、先を急ぎすぎた。順番に書く。順番に読んでほしい。

順番というものが、まだ意味を持っているうちに。 

私は日本人で、ロンドンに来て四年になる。専門は言語学と、デジタルアーカイブ。要するに、死んだ言葉をスキャンして、検索可能な状態で永遠に保存する仕事だ。死者の声を、誰も聞かないままサーバーの底に並べていく作業。妹はそれを「図書館の墓守だね」と言って笑った。 

妹のことは、あとで書く。書かないわけにはいかないから。 

その日、私が地下三層に降りたのは、保存修復部から回ってきた一通の依頼のためだった。来歴不明の資料が一点ある。十九世紀のエジプト発掘ブームのどさくさで博物館に流れ込み、登録されないまま百数十年、棚の影で眠っていたもの。来歴も、出土地も、内容も不明。

「読めるかどうか、見てもらえないか」。

それだけの、ありふれた依頼のはずだった。 ケースを開ける許可は下りていた。木箱の蓋を持ち上げると、内側に巻かれた一巻のパピルスが現れた。状態は異様に良かった。

百数十年どころか、昨日巻かれたかのようだった。 そして、蓋の裏にも一行、同じ筆跡があった。 

私はそれを読もうとした。読めなかった。文字の形は、どの既知の文字体系にも一致しない。ヒエログリフでも、ヒエラティックでも、デモティックでもない。コプト文字の崩れたものかとも思ったが、違う。

線の流れに、文字というものが本来持っている「区切り」がなかった。一文字と次の一文字の境目が、どこにもない。一本の、終わらない線が、ただ意味ありげにのたうっているだけなのに。 

読めないのに、意味が流れ込んできた。 

蓋の裏の一行が、私の頭の中で、はっきりとした日本語になった。誰かが私の耳元で、ゆっくりと読み上げたように。 

——眠るな。読み終えるまでは。 

私は手を引っ込めた。手袋の中で、指先が冷たくなっていた。 

収蔵庫の蛍光灯が、低く唸っていた。十八度の空気が、首筋を撫でた。私は周囲を見回した。誰もいない。当たり前だ。地下三層は、申請がなければ私以外の人間が立ち入る理由のない場所だ。 

翻訳された、と思った。だが翻訳ではない。翻訳には辞書がいる。文法がいる。私には、その文字を解析するための何ひとつなかった。

それなのに意味が「分かった」。これは解読ではない。これは——接続だ。読んだのではなく、開いてしまったのだ。 

そのときの私には、その区別がまだ言葉にならなかった。ただ、ひどく嫌な感じがした。古い扉の鍵を、回す前から、もう向こう側に誰かが立っている気配。 私はパピルスを撮影機材のある作業室へ運ぶことにした。原本に触れるのは最小限に。すべてはスキャンしてからだ。

死者の声は、ガラス越しに聞くものだ。それが、墓守の流儀だった。 

木箱を抱えて収蔵庫を出るとき、私はもう一度だけ、蓋の表の一行を見た。 来たときには、その一行は、私には読めなかった。 

出るときには、読めた。 そこにはこう書かれていた。 

——よく来た。待っていた。


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