臨床心理で読み解くアニメーション
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教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌
どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。
共育LIBRARYりょーやん、元教師です。
臨床心理という視点により、
作品の一歩奥の世界を理解する。
臨床心理は「人間」を学ぶ学問であるからこそ、
人間の無意識の力を使って創り出される作品を
より本質的な視点で捉えることができます。
これまでは、
絵画や映画などに対しての記事を
投稿してきました。
今回取り上げるのが、
アニメーションです。
臨床心理の視点を用いることで
どのような世界を
アニメーションの中に見いだすことができるのか。
ガチの考察を
まとめてみようと思います。
楽しんでもらえると幸いです。
新世紀エヴァンゲリオン

今回取り上げたいのが、
「新世紀エヴァンゲリオン」
(TVアニメ+旧劇場版)です。
大学院の授業では、単位の関係上
臨床心理以外の授業を取らなければなりません。
その中に、「日本美術史」の授業があり
その中でこの作品が取り上げられていました。
源氏物語絵巻など、
絵巻から続いてきた日本の美術が、
アニメーションへと昇華されていく。
その中でも、
エヴァンゲリオンと
風の谷のナウシカ(他もののけ姫等)は、
日本の美術史を全く変えてしまうほどの
歴史的価値がある作品であるようです。
アニメーション=監督の表現作品
という立ち位置を確立させたのだとか。
筆者が最初に
エヴァを見たときに抱いた感想は、
「・・・意味が分からん!」
でした。
20代前半の頃なので仕方がないと思いますが、
エヴァンゲリオンは
ユダヤ・キリスト教などの宗教的な背景と、
臨床心理に関する知見がなければ
読み解くことが非常に困難な作品です。
エヴァの監督である庵野秀明は
宮崎駿の弟子であり、
ナウシカの巨神兵の作画を担当していました。
エヴァの作中には、
「口唇期」「分離不安」「自我境界」などの
精神分析の言葉などが散りばめられています。
庵野監督自身も精神疾患になったことがあるようで、
だからなのか、元々なのかは分かりませんが、
臨床心理に関する知見を持っているようです。
その上で登場人物たちの人間関係を
交錯させていくのですから、
臨床心理的な意味合いが多分に含まれています。
では、まずは
エヴァンゲリオンの前提と
登場する主要な人物たちを見ていきます。
ネタバレを含みますので
ご注意ください。
エヴァンゲリオンの設定

筆者は、
エヴァンゲリオンの本質的な主題の1つが
「一体化と分離」
だと捉えています。
サブテーマが、
「両価的な矛盾を1つの器に留めることが人間」
といったところでしょうか。
人間は胎児の状態から世に生まれ、
最初は母親と一体化しています。
母親の母乳を飲んで育ちますが、
母乳の出がよい場合は良い母乳、
出が悪い場合は悪い母乳のように、
乳児は全体をみることができないため、
局所的で分裂させた世界を生きています。
しかし成長していくに連れて、
それらの乳房は同じ母親が持っているものと
認識していき、
善と悪という
アンビバレントを抱える存在が
母親であることを知っていきます。
そこからさらに、
分離個体化の過程において、
安心感と痛みを伴いながらも
母親と分離し、
母親を内在化していく中で
「自我」というものを形成していく。
エヴァンゲリオンに登場する人物たちは、
この「分離の痛み」に耐えられない、
傷を負った人物ばかりが現れます。
他者と分かり合えない傷み。
曖昧さを抱える苦痛。
そんな分離的な痛みや苦しみから解放し、
胎児の頃のように
母親と一体化した状態に戻ろうとするのが
「人類補完計画」(作中用語)です。
作中で登場する
「ATフィールド」というものが
魂や肉体、自我といったものの器となり
人間の「かたち」を保つ役割をしています。
それをなくし、
人間の魂のみを1つに集め一体化する。
それは、何も悩まなくていい、
苦しまなくていい甘美な世界であると共に、
「人間」としての「死」を迎えることでもある。
旧劇場版の挿入歌である
「甘き死よ、来たれ」という音楽は
そのような意味合いも込められているのでしょう。
そこに旧約聖書にある
知恵の実や生命の実といった要素が
人間の不完全さ、
生まれながらに罪を負う原罪などと
織りなしながら組み込まれます。
では、そんな傷を抱えている
登場人物たちを見ていきます。
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