英語陰謀論 補講02 自動詞と他動詞
英語陰謀論の稿です。
面白い例をその後、いくつか見つけましたので、前回
こんなことを申しておりましたが、この自説を果たしてごり押しできるかどうか。
その確認をする、という目的があります。
Talk と Discuss
(1) We talked about the problem.
(2) We discussed the problem.
これは両者とも、
「私たちはその問題について話し合った」
という訳となります。
Talk だと、目的語を取らない「自動詞」。
Discuss だと、目的語を取る「他動詞」。
ほら、と。
このように、同じ意味で自動詞しかとらない動詞と他動詞となる動詞がある。
故に、自動詞はある証明とする。Q.E.D.!
……言いたいことは分かります。
しかしこれは、こういうことなのです。
(1) We talked us about the problem.
→私たちは、私たちにその問題について「言葉を交わさせた」。
talk という言葉は、なんだったでしょうか。
talk には、「話し合う」という意味は、あまりありません。
雑談、でもいいし、なんかふわっとした言葉のやりとり。これも talk です。
つまり。
talk という場合、その状況というのは「広い」のです。
ですから逆に、talkを文中で使う時は、そのtalkの種類と濃度が、使う場面によって違う、ということです。
ここで、about の核の意味をおさらいしておきましょう。
about の核の意味は、

です。
つまり、talkという「発散している、統一性がない」会話の応酬が、
「いや、ある問題を集中しての会話なんだよ」
と、ぎゅっと集めている、という意味を付け加えているのです。
(正確には、about は、「周りのキラキラの部分」というそちらに注目する効果詞です。round about が、信号のない円形交差点であるりくつです。つまり、talk about で、「その問題の周りをぐるぐると、えんえんと核の結論が出ないままなんとなく議論し続けた」という意味合いがにじみ出ているわけです)
なので、「~について」の意味を、talkに補完してやる理由がある、ということなだけであり、「自動詞だから」という理由は存在していません。
「単語の意味が違う」ということにフォーカスするべきで、「自動詞か他動詞か」という部分はフォーカスしないのです。
前置詞は前置詞ではなく、「効果詞」であり、「後に続く名詞が、どのような効果を帯びて前の動詞なりの単語に影響をおよぼされていたか」を「道路標識的に」表す言葉、でしたので、「前置詞をつけたからと言ってその後に続く名詞が『言っても言わなくてもいい修飾語』となったわけではない」ということは、今までさんざん繰り返してきたことです。
そして、口語として、ではありますが、"discuss about ~" と言ってもネイティブにとって間違いではない、間違いとは言えない、とまで言われています。
Talk と Discuss の単語の違いを、「自動詞と他動詞の違い」として認識するのは、いわば危険である、ということです。
どちらも「会話させる」「議論させる」という「他動詞」であり、目的語が主語と同じで自明であるため省かれているだけだ、という基本認識は変わりません。
なので。
めんどくさい、キツい言い方をすれば、(1)、(2) は、このように訳し分けするべきだ、というだけだ、ということになります。
(1) 「私たちは、その問題に焦点を絞って(about)会話した」
(2) 「私たちは、その問題を議論した」
Be used to ~ing と、Be supposed to (動詞概念)
use という単語は難しいです。
核の意味を捉えるのはわりと簡単(一貫して慣れ親しんでいる、なじみがある)なのですが、簡単な意味の言葉ほど、その用例は広く使われる、というのは英語でも日本語でも同じことです。
(日本語だと、行く、とか、切る、など。一番すさまじいのは「生」)
(1) I used to live in Japan.
だと、私はかつて日本に住んでいた。という訳となりますが、
(2) I'm used to living in Japan.
だと、私は日本に住み慣れている。という訳となります。
(1) については、かつてやった助動詞の話を想起させますね。
つまり、助動詞文は「話者の宣言」を表し、その後の一般動詞文が説明であり、主語が動詞してなにかに影響を与えた文である、ということです。
詳しくはこちら↓↓を。
問題は (2) です。
be used to ~ing で、「~し慣れている」という意味となります。
なぜ to 以下が動詞の原形ではなく 現在分詞 ing 形なのかは、こちらをどうぞ。
で、話戻して。
ここで問題にしたいのは、Be used to ~ing や、もう一つ、たとえば Be supposed to ~ のように、「自動詞というものがある」と考えている日本人にとっては、わざわざ受動態まで持ち出してきて「~し慣れている」や、「~することになっている」という意味のことを言わなければならない、というめんどくささのほうなのです。
use や suppose を「自動詞」と捉え、例えば
I use to living in Japan.
(私は日本に住み慣れている)
や、
I suppose to do the homework.
(私はあの宿題をすることになっている)
と言って、「なぜイケナイのか」が、判然としない、ということです。
これは、とりもなおさず
「英語に自動詞というものがある」
という誤解から来ているのです。
use の核の意味は「ずっと慣れ親しんでいる」
suppose の核の意味は「推断する」(推測より若干常識や決め事、方向性が決まっているという感じ)
であることに、注意が必要です。
これらを他動詞的に訳し、「常にこの意味だ」と考えるとします。
use は、「ずっと慣れ親しませ続けている」
suppose は、「そうに決まっていると思わせる」
と。
慣れさせたり、思わせたりする、ということは、実際に慣れている、思っている誰か、あるいは何かがある、ということです。
ここで、受動態です。
受動態についてはこちらをどうぞ。
受動態とは、一般動詞部分をなんらかの「事件」と捉え、その事件が「by 以下の首謀者」によって成され(行われ)、それは既に視認出来ない過去、あるいは場所で、終わっている("off"されている→過去分詞)けれども、その影響自体は「状態として残り続けている」(状態を表すbe動詞)、という文章でありました。
これをして英語の受動態を「犯人捜し」、と私は命名しました。
そして、日本語の受動態は「被害者ヅラ」であると。
ですが。
英語、日本語、共通の「受動態」の特徴。
これはすなわち、「犯人捜し」にせよ、「被害者ヅラ」にせよ、どちらにしても一般動詞の「自動詞化」を目指している。
……ということでは、ないでしょうか。
日本語は自動詞を「活用」することによって他動詞化し、最終的には使役動詞化していく、と以前私は申しました。
(※逆に英語は、句動詞といって、動詞の直後に前置詞(のちに、効果詞と命名を変更)を置いて動詞を他動詞化する、と。ただし、英語に他動詞しかない、と分かった今となっては、動詞の直接の影響者を表す「目的語」ではなく、その影響の及ぼされ方に「意味を持たせる」意味で(交通標識として)前置詞をつけられた、という解釈の方がそぐうような気がしています)
ならば、他動詞しかない英語は、受動態を使うことによってしか自動詞化出来ない、と考えるのはこれ、自然なことではないでしょうか。
I stood.
I agreed.
は、
「私は立っていた」
「私は賛成した」
ではなく、あくまで英語ネイティブも
「私は(私を)立たせていた」
「私は(私を)賛成させていた」
と理解しており。
本当の意味で「日本語における自動詞」的に動詞を使いたいならば、
「受動態」
にするのだ。
こう考えた方が自然な気がするのです。
先ほどの、日本人が書きがちな英文を、もう一度書きます。
(3) I use to living in Japan.
(4) I suppose to do the homework.
これは、とりもなおさず、英語表記通りに翻訳するなら、こういう意味となるのです。
「私は(私を)日本にずっと『住み慣れさせている』」
「私は(私に)、その宿題をするのが『当然だと思わせている』」
住まわせている、で止まってれば、まぁまだそんなに違和感はなかったかも知れませんが。
住み慣れさせた、という表現はどうですかね。
慣れるまで住むようにしむけたのは確かに自分自身かも知れませんが、使役動詞に近い他動詞の意味で汲んでしまうと、なんというか、「日本に慣れろ! 完全に日本人化するまで、二度と祖国の土は踏むな!」
と命令した誰かがまるでいるような気になります。
ですから、やはり受動態を使い、いつの間にか、自分の気持ちのままに「慣れた」のだよ、と表現するしかないのです。英語では。やはり。
そして。こちらはもっと露骨。
「推断する」の方は、果たしてどうでしょうか。
「私は私に、その宿題をするのが当然だと思わせている」
という訳は正直、ヤバさが満ちているようにも感じます。
私の目に依らずとも、誰の目にも「宿題をする」のは「当然のこと」です。
「俺は宿題なんてやらねぇんだよばぁか!」
って言ってる不良も、「当然やらなければならないことの反抗として」そう言っているだけで、「宿題=やらなければならないこと」という「常識を破壊できて」はいません。
なのに、それを「そう思わせている」と言ってしまうと。
すっごく……アレなのですよ。アレ。
こうなんというか……サイコパスというか……「あ、この人、常識が通じないヤバい奴だ」くらいの感じになってしまうんです。
「宿題、というのは、本来やらなくてもいいものなのです。しかし私はこの謎の組織に洗脳された現代社会で、宿題はすべき、という謎の使命を帯びていることを自覚できています。ですが従いましょう。今は反旗を翻すときではありません」
……というような。
なんか、イタい人になってしまうのですよ。
(4) のように言ってしまうと。
なので。
そう「思わせている」という言葉を、「受動態により(日本語における)自動詞化」して。
「そう思っている」に、圧を落とさないといけなかった。
そういうことだと、思うのです。
「解答」と「証明」
……さて。
ここで。
私、重要なことを言った、ということに気づいてください。
(3) I use to living in Japan.
(4) I suppose to do the homework.
という文章はなく、「受動態にして」、
(3') I'm used to living in Japan.
(4') I'm supposed to do the homework.
が正しい文だ、と私は言いました。
……じつは。この (3') (4') の事実で。
私がとりもなおさず自分が既に出していた結論、
「英語には自動詞がなく、英語において『自動詞を使った英文』と思われていたものは全て動詞は『他動詞』で、目的語がないのは、主語と目的語が同一であって自明なので省略されただけだ」
という、これ。
これが、「証明された」ということなのです。
どういうことか?
じゃ、ここで英語の問題を出します。
問)下記の英文を受動態の英文にせよ。(各15点)
(3) I use to living in Japan.
(4) I suppose to do the homework.
できますか?
……できんでしょう?
不思議ですね。
もう、分かったでしょう?
今まで、英語教師がどれだけ「欺瞞に満ちた英文法を教えてきたか」ということが。
そう。
上記問題は、致命的な欠陥があるのです。
「目的語がないので、受動態はできない」
旧来英文法だと、こう答えざるを得ないのです!
しかし。
受動態の文章は、実際はある。
(3') I'm used to living in Japan.
(4') I'm supposed to do the homework.
これが、「答え」……「解答」であるのです。
≪解答≫
(3) I use to living in Japan.
において、省略された目的語をまず補う。
I use me to living in Japan.
次いで、目的語meを主語とした受動態をつくる。
I'm used to living in Japan.
(4) I suppose to do the homework.
において、省略された目的語をまず補う。
I suppose me to do the homework.
次いで、目的語meを主語とした受動態をつくる。
I'm supposed to do the homework.
ちなみに。
私は本来、能動態の逆が受動態、というわけではないとも思ってますし、まず能動態を作って目的語を主語とし、be動詞を足して受動態にするのだ、という英語教育自体にも疑問を持つ者です。
しかし、その疑問をもつ方式を敢えて採用してさえ、議論の破綻が上記のように起こらなかった。
これはとりもなおさず、私の説の正しさを証明しているのではないでしょうか、と。
このように、自画自賛をして筆を置くものでございます。
