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変顔の時制09 恋人のお金を盗むと、不思議と恋人の信頼度は下がる、というお話

英語陰謀論の稿です。
そろそろ時制は終了ですかね。なんか未来完了進行形とか未来完了形とかあるらしいですけど、それはもう未来じゃないのでいいかなって。

さて。
時制、と捉えるには少し特殊ではありますが、受動態です。

受動態

日本語において受動態とは、と考えると、私はなんと言うか……日本語は本来受動態まみれの言語でして、ことさら受動態として文章を捉える必要すらないのではないか、とは思っているのですが。
それでも敢えて、受動態、という形を強調したい場合。それは。
一言で言えば「被害者ヅラ」だ、と思ってまして。

「私はコップを割った」
という能動態の文章を受動態に変える時は、例えば英語だと
「コップは私によって割られた」
って日本語を想像して英作文するじゃないですか。
ただ、日本語の、本当の受動態を追求すると、これ、私は
「コップが割れた」
だと思うんですよ。

この、英語と日本語の受動態のニュアンスの違い。
感じていただけるでしょうか。

なので、日本人が英語の受動態を「受動態」として考えた場合、往々にして受動態としてできあがる言葉がなんというか……「キツい」んですよね。

「私は彼を愛している」
という英作文の受動態が、
「彼は私によって愛されている」
となるの。
なんか違和感なんです。

……という違和感を感じ続けていたところ。
いつもの、がっちゃんは全てを解決する、のコーナーです。

要約しますと。
がっちゃんによれば、英語受動態は、

「目的語ごと主語に持ってきて、意味は変わらない。『私はユノユノを好きだ』という文の受動態は、『ユノユノを好きだ。私が』というただの倒置法に過ぎない」

という大胆な説を展開しておられます。

これには一定の理がありまして、なにより「英語受動態を日本語化した場合のキツさ」は改善されるし、受動態という文章の成り立ちを意識させる、ひとつの契機となる気はします。

正直、この解釈でも英語を日常会話、英会話としてたしなむ層の方ならばなんの問題もないし、むしろ受動態解釈としてベストではないか、とも思っています。

ただ。
私は一方で、これは受動態というものの英語日本語での受け取り方の「違い」そのものに蓋をしているのではないか、とも思ってまして。

と、言いますのも。
基本、日本語の受動態は被害者ヅラなんですが、英語の受動態は言ってみれば「犯人捜し」「推理小説」なんですよ。

そして。
なによりこの受動態をおさえることで、
「英語という言葉の核心は、実は『何を言うか』ではなく、『何を言わなかったか』である」
ことが、鮮明になるという利点がありまして。

英語の主張文化については以前私もお話させていただきましたが、主張もこなれてくると、その言語は
「自分の意見を正確に伝える」
という目的から、
「より相手にインパクトを与える表現を模索する」
というフェーズにより容易に移行するものなのですね。

ラッパーがなぜ韻を踏むか、ということを考えたことのある方は何人おられるでしょうか。
あれは、自分の主張たるラップの内容を、よりインパクトを伴って相手にたたきつけるための方法なのです。
韻が踏まれることによって、耳障りが心地よくなり、そこにリズムが生まれる。そのリズムがいかに心地よいか、ということが、その主張がいかに理に適っているか、という「錯覚」につながるからなのです。

エミネムは起きている間、ずっと韻を踏める言葉を探しているそうですよ。
マキシマム ザ ホルモンのマキシマム ザ 亮君が「気持ちいい言葉ノート」をつけていて歌詞に応用している、というのもこれ、似たような発想であります。

で。話それましたが。
相手にインパクトを与える、ということを主眼とすると、たとえば小説。
小説はよく「行間を読む」と言われますよね。
あれなぜ行間を読むなんて言われるかと申しますと、小説っていうのは場所とシチュエーションを綺麗に整えることでその情景や主人公の言葉が、
「普段使用される言葉とはまったく違って見える」
ことを楽しむところから始まって、
「なぜそれが全く違って見えるか」
という考察を経て、つまるところ
「ここに『書かれなかった』ことでむしろ鮮明になった作者の『本当の言葉』はなんだったか」
を探る、という楽しみ方をするものだからなのです。

その行間に何を見つけるかは、究極読み手の自由でありまして。
……あー国語教育批判への批判も込めますが。言いたいことは言ってしまうヘキがありますので。

「この文章で作者は何を考えていたのか」
という問いに
「締め切り」
と答えて×になるのはおかしい、っていう笑い話がありますが。

誰が「正解」を探れと言ったか、って話なのです。
まぁ……国語を「問題」にすると正解を探ることにはなるのですが。
逆に私などは、
「その文章を読んで、作者の思いを『締め切り』としか読み取れなかったおまえ自身の知性の問題なんだよカスが」
と言ってしまいますね。

言葉の効用ってのは、
「相手に考えさせて気づかせる」
時ってのが、一番脳の気持ちいい汁、アドレナリン・バリンロイシンイソロイシンがどばどば出る瞬間なのですよ。
で。
そのためにはやはり、「敢えて言わなかったこと」というところにこそ最重要の核心が眠っている、と考えなければこれ、人間としてアレですよ。アレ。
(語彙力が死んだ人間の戯言)

……えええなんでこんなに話って逸れていくん……。
話をするのがヘタなんですよ昔から。

受動態の話に戻ります。
そもそも、日本語と英語の受動態は、その性質が違うのに、英語受動態の翻訳として英語受動態の強さのままの日本語を使うこと、それ自体が本来の違和感の正体である、と、まずはこういうことを言いたかったわけです。

じゃぁ英語受動態はどう翻訳すべきなのか。という問題のフェーズに移るとしまして。
その一つの解決法というのが、さきほどのがっちゃんの説明でして、
「英語受動態を一種の『強調文』と考え、主語目的語を入れ替えるための『倒置法』として理解する」
という方法です。

じゃぁこれよりいいものがあるのか、ということを、……まぁこれから探っていきたいなと。

で。
探るならばまず、敵を知らなければならないわけです。
英語の受動態とは、なにか。ただ目的語と主語を入れ替えただけの代物ではない、という、「実情」から見てまいりましょう。

受動態の前に、いわゆる能動態。我々が「現在形」として唱えてきた文章を、再定義してみます。

図 25

今までは、英語の文章を「時間」という感覚で捉えてきましたが。
「受動態」という言葉の対義語としての「能動態」という言葉があるように、文章を受動能動で捉える場合は、主に据える感覚はやはり「時間」ではなく「主語と相手」の関係なのです。

今まで私が、文章として捉えた範囲の赤い丸。この外のことを「時間もしくは距離」と言い続けてきたのはここでして。
受動能動においては、この距離という感覚。距離感を計ることになります。

能動態における主語とは、行動主です。
行動主が動作し、目的語たる「相手」に、何かしらの影響を与える。
状態の影響は状態として。動作の影響は結果として相手に届きます。
ただ、その届いた先で、その相手がそれによってどこまで影響を受けたか、というのは、実は能動態文章においては曖昧になっているのです。

He stole her wallet.
という文章があったとします。
あー、彼が財布を盗んだのだなと我々は分かります。
しかし。
なんといいますか……財布を盗まれた(つまり、彼女)人間の悔しさとか、お金にその後どれだけ困ったかとか、そういう「影響」については曖昧にされてしまっています。
なぜ曖昧なのかといいますと、そりゃ、行動主は相手ではないから、わからねんだよ他人のことなんざ。てことなわけです。
それではあんまりな言い草なので、言い換えますと、そこ、つまり行動主と相手との間には「物理的な距離」が隔たっているからであります。

これを。
財布を盗まれた被害者 She が現れ、涙ながらにこう訴えたとします。

"My wallet was stolen! by…."

ここで。
我々は、「Heが財布を盗んだ」という、最初の文章だけでは知り得なかった情報を、この彼女の受動態文章の発言によって手に入れられるのです。

受動態においては、by 以降は頻繁に省略される傾向にあります。
彼女の発言もそれでしょうか?
いえ。
彼女はby 以降を言おうとして、辞めています。
つまりは。
犯人を知っていて、それを飲み込んだ、という情報がそこには隠れています。
そして。
犯人はおそらく顔見知りのHeであることを彼女は知っており、それを言うことで社会的な批判がHeに集まることも躊躇している、という心理に気づくことが出来ます。
また、"Stolen!" という エクスクラメーションマークがあることから、その被害額もたぶん少々ではないのだろうな、万いっちゃったか? とか。
あるいは財布自体が高価だったとか? FURLAかCOACHだったのかしらん、などという想像が働くわけです。

そういう意味で、受動態というのは重要であるということです。

He stole her wallet.
という第三者の一文だけでは知り得なかった情報、真意が、彼女の告発一言にもりだくさんにされているわけです。

そのもりだくさんな情報を図示するならば、おそらくこういうことでしょう。

図 26

受動態とは、いわば英語の本質に逆らい、「相手と首謀者の行為の流れを逆に捉える文章」と言えます。
あるいは、こうも言えるかも知れません。
受動態とは、能動態における動作主を目指して「首謀者」と定義し、隔たりのあった距離から、事件がどれだけの濃さ、自分に影響を及ぼしたかを説明しつつ、距離をつめ、だんだんと首謀者に迫っていく。そんな文章だ、と。

つまりは。
左から右に流れる文章を、あえて右から左に流し(実際の文章は左から右へ流れます。能動態と受動態の主語目的語の位置を固定して語った場合、ということです)、その首謀者を突き止める、あるいは暗に示すという意図がそこにはあります。

図25 と 26 を比較してみてください。

まず見て取れることは。
白と青。縞模様の状態が作った「影響」については、能動態文章も受動態文章も「まばら」です。
これはこう捉えていただきたい。
その、「まばら」となった文は、あるいは白と青が能動態と受動態では反転しているかも知れない。
二つを突き合わせて、初めて浮かび上がる実情もあるかも知れない、と。

では文章構成です。
能動態の文章は、主語が動詞を用いて目的語になんらかの影響を与えたことまでは分かりますが、相手にどれだけの影響を与えたかは究極、グレーです。

能動態における相手への影響。
これにグレー、つまり図でいう白抜きがあるのはなぜか、というと、目的語となっている人間(あるいは、物)本人の弁明が「ない」からです。
では聞いてみましょう、ということで、相手を主人公・主語として弁明させたのが受動態、図 26です。
能動態における動作は、その影響を受けた相手から見れば「事件」です。
意図せず降りかかってきたものです。
それによって受けた影響は、……図としては「まばらな空白」としか書き表せなかったのですが、これは「影響の受け手によって、重要と思しき影響は違う」という、いわば人それぞれ、の部分を表していると思ってください。

そして。

その影響は、事件としては既に「OFF」となっているものです。
自分(受動態文章の、主語だと思ってください)の視界の外から、急に動作が現れ、事件として降りかかってきた、という構図です。
そして。
降りかかってきた事件は、事件としては既に「終わって」います(過去分詞)が、その「終わった」事件は、今の自分(主語)に、「今という状態」を作って(be動詞)、そんな事件を起こした張本人へと迫っていきます。

つまり。
普通の能動態文章と違い、受動態は、「視認できる」範囲が文章後半に行けば行くほど、つまりby 以下の「本当の主人公」に近づけば近づくほど、その事件の行為・動作の詳細というのははっきりしている、ということです。

影響はこれこれ、これだけのことがあった。まぁそれは人によっては違う。彼氏に財布を盗まれて泣き崩れたかもしれないし、いつものパチンコだろうと笑って済ます人もいるかもしれない。そこはまちまちだ。
しかし盗んだのは確かに彼だし、盗んだ額も「彼」は正確に分かっている。(逆に「彼女」は、財布の中身を把握してない場合は被害額もおぼろげかもしれない)
これが、受動態です。

自分(主語)にとって、既に終わった事件(過去分詞)について、その状態と連れてこられた影響(be動詞)について話した。
受動態の本質はそこにあります。究極「犯人捜し」なのです。

ですから。
受動態を勉強するときは、実は不穏な英語文章ほど日本語訳がはまる、という不思議な現象が起こります。

He broke my heart.

My heart was broken.
(あえて by 以下を省略してみました)

「彼は私の心を壊した」

「私はいたく傷ついた」

など。

いや。分かってますよ。
もちろん英語母語話者が、不穏な文章こそ受動態で書いてる、というわけではないです。

作詞作曲のクレジットで、"Written by ~" って書かれるのを目にする機会は多いはずですし、そういう書き方は「犯人捜し的ではないからダメ」と切って捨てる気もありません。
しかし………。
ほら。作詞作曲クレジットも、結局は、by 以下に「注目して欲しい」「重要人物だ」という意図が隠れている。そんな気はしませんか?

作詞作曲の場合は、注目して欲しいからこそby 以下はきっちり書きます。むしろそれを書くためのクレジットですから、当たり前ですが。
しかし。
受動態は、能動態だったときの主人公である主語(つまり、by 以下)を、得てして省きます。

これなのですよ。
英語が、「あえて『言わなかった』ことこそ重要なのだ」という、その意味は。

大抵は、「言わなくても分かる」場合です。
そして。
「敢えて言いたくない」時も、省かれます。

そういう意味では、受動態は、英語の文章としては珍しく、
「文章の後半にいけばいくほど、話者の言いたいことがつまってくる」
文章であり、かつ
「その一番言いたいはずのことを言わないことである種の効果を狙った文章である」
とも言える、ということだと、私は思っています。

がっちゃんは、別の動画(前置詞)にて、by という効果詞(前置詞)の効果は、「主人公であるという表明」だとおっしゃっておりました。
そして。
受動態において、その受動態の目的語を表す意味で by が選ばれたのは、これ、必然であるような気がします。

Stand by me. は能動態の命令文ですが、この言葉を言ったクリスの、「自分の」そばにいてくれ、という気持ちの痛さは、by でしか感じ取れないですよねぇ。

と。
しかしここまで書いてきて、
「では英語受動態は日本語訳にする場合はどうしたら自然か」
という問いに関しては、解答は出ずじまいでした。
結局がっちゃんの、「目的語と主語の倒置法」というものがじつは日本語訳、としてはベストの解答であるような。そんな結論となりそうです。

そもそも。
日本語は、わざわざ「逆に」事象を流して、重要なことを最後にもってくるなんて思わせぶりなことをしなくても、本来の文章が重要なことを最後にもってくる作りになっているので、「英語受動態」という形を「受動態として捉える」にはほんと、不向きな言語なのですよ。
いわば日常的に受動態を使っているようなもんなんですから。
無機物もしょっちゅう主語にしてますし。

日本語は英語と違い、主張文化ではないですからね。
思考を思考のまま流されるまま流していくのが日本語です。
そのための助詞ですし、そのための語順(述語が最後)です。

「川が形を変える。護岸の岸辺は音もない。だがそこに立つ男の耳はずっと、川の無言の怨嗟を受け止めていた」

→(能動態)「護岸工事を業者が市の指示で行った。あれだけうるさくしていた現場工事の人間も機械も、今は見えない。男は工事に反対し続けていたがついぞかなわず、美しく整えられた川岸を、恨みがましく見つめていた」

川の形を変えたのは工事人。音を発していたのは業者。怨嗟を発してたのは男。それら全てを川のせいにする壮大な被害者ヅラ→受動態

とまあ、こんな受動態の嵐の文章を、まったく受動態と捉えていませんから日本人は。

というわけで。
明確な結論が出ないまま、受動態の稿、終了です。
これでひとまず、長かった時制のお話は終わりですかね……。

「時制の一致」にふれたくなさ過ぎて、できるだけ「時制の一致」という言葉を使わずに時制について語る、という目標は、ある程度果たせたかなぁって思います。
仮定法過去完了だけで済んだのは幸い。

次回からは、あとちょっとだけ英語難題としてそびえたっている関係詞や分詞構文なんかにちょっと触れて……それで英語については終われるかなぁ、なんて思ってます。

それでは、ありがとうございました。

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