英語陰謀論 補講 他動詞について
懐かしき、英語陰謀論の稿です。
唐突に思いついたことがあるので、自分でこの思いつきが果たして正しいのかどうか、自分で熟考しながら書き進めていきたいと思います。
まずは、かつての英語陰謀論の稿から、この記事を引用したいと思います。
この稿で、私は「他動詞」というものに触れ、他動詞は自動詞と「違い」、目的語を取るもののことだ、と申しました。
そして。
動詞 graduate の説明として、これが自動詞である場合と他動詞である場合を場合分けし、ネイティブの「動詞理解」について、その感性を知りたいと模索し、
この時点では、ネイティブの頭の中の画像に、「She」と「graduates」の間にどんな相関があるのかは、敢えて保留されています。
(イギリス英語ならgraduateは自動詞しかない、という辞書の説明がありましたので、実は英国人ならば、もうここで相関を作っているのだろうと考えます)
次に、「from」が来た場合。
「彼女」と「卒業証書」が、「一緒になって」、高校「から」飛び出ていき、後には何も残らない(from という効果詞の特性)絵を想像します…。(後略)
という、苦しい説明を試みていました。
そして。
今、この時に至っても、この説明で当の自分自身がまったく「納得」できていない状態にあります。告白するならば。
ひっかかっているのは、ここです。
英語ネイティブが、graduate という単語を聞いたとき。
「まずこれが自動詞か他動詞か分からない状態で身構え、頭でできあがる絵を保留している」
と解釈している(だろう)
という。
この部分であります。
本当に、そうなのでしょうか?
この、
「本当にそうかどうか」
を思考実験するために。
私は、自説である、
「英語とはトムジェリである」
という自作の標語について、もう少し深化して考えてみることにしました。
英語、という言葉は。文は。
その文章、主語から始め、ピリオドに至るまでに。
時間の経過を左から右へ流し、我々に「絵を描かせている」。
私はそう、唱えました。
この、「絵を描かせている」という部分。
これ。もう少し深く考えるならば。
これは、以下のように「言い換え」できるのでは、と考えてみました。
「英語の文章、言葉とは、能動態にせよ受動態にせよ、
【主語が、動詞という行為を起こした(あるいは、be動詞なら、状態とした・なった)ことで起こった『影響』について述べたものである】
のではないか」
ということです。
言われてみれば、
前置詞改め効果詞は、効果詞直後の名詞に「どんな雰囲気の影響を及ぼしているのか」を表すものでした。
そして。
英語における目的語とは、動詞が「直接影響を及ぼした相手」を示すものでした。
主語は動詞の動作主。動詞は実際の行為もしくは状態。目的語が影響を及ぼした相手。効果詞は、目的語=動作を及ぼした相手、「以外の」影響を副次的に述べるために用意された短い道路標識。
そして英語の文章は、
「S V O O C 場所 時間 曜日 月日」
という、たった一文型しかなく、しかも全て省略可能である。
というものでした。
さぁ。
これだけの材料を手にして、私が自動詞、他動詞について思ったことを、ひらめいたことを、ここでぶち上げてみます。
これです。
「英語に、『自動詞』なんてない!」
……いかがでしょうか。
……は? 何言ってんの?
と思われた方もいらっしゃるかも知れません。
私の思いついた発想というのは、こうです。
英語の動詞は、全て「他動詞」である。
これです。
ここでもまた。
日本語こそが、目くらましであったのです。
英語文法というのは、英語を日本語で解釈し、日本語との文法と比較して英語文法を構築し、英語を日本語として翻訳する、いわば「取って入れて出す」江頭である、と私は再三発してまいりました。
そしてここでも。
我々は、目くらましにあっていたのです。
上記の次の投稿……
の中で、私は、
「日本語に他動詞的な動詞が妙に少ない」
ということを述べています。
そして、動詞を無理に他動詞化していくと、他動詞を通り越して全部「使役動詞化」していく、と。
また、こうも述べています。
日本語の動詞は、「活用する」ことで、自動詞と他動詞を区別している、とも。
つまり。
日本語においても、自動詞と他動詞は、まず
・自動詞他動詞の「数の比率」が異様にいびつである(他動詞だけ異様に少ない)
・自動詞と他動詞は「活用が違う」……というか、「文字表現が違う」(動く←→動かす 等)
・日本語で自動詞を「強く」していくと、他動詞を通り越して使役動詞化する
このような動詞の特徴を、日本語では有しています。
これだけ違う、自動詞と他動詞。
なのに英語では、これらの「活用の違い」がない。
自動詞であり、他動詞でもある動詞は英語でも存在する。
しかし、にも関わらず二者は「活用」がない。同じスペルで表される。
これは大いなる疑問です。
日本語において考えるならば、この自動詞と他動詞。
やはり、
「活用を替える」→究極「違う言葉で表す」
ことをしないと、自動詞と他動詞は
「区別しづらかった」
ということなのではないでしょうか。
なのに。
繰り返しになりますが、英語母語話者が、なぜ「動詞を活用」しないのに、この動詞は自動詞、この動詞は他動詞、と「区別」できているのでしょうか?
これらのプリミティブな問いかけにいちばんしっくりくる答えこそ。
「英語には、自動詞がない」
という一文、そのものなのではないか、と思うのです。
まてまて、と。
じゃぁなにか?
I stand. という文章の stand は、他動詞か?
目的語は?
ないじゃないか。
I agreed. という文章の agree は、他動詞か?
目的語は?
ないじゃないか。
ええかげんにせえよ。
そういう声が聞こえてきそうです。
ですが。
うすうす、私の言いたいこと、分かってそう反論してないですか。
……そうです。
英語の文章は、
「S V O O C 場所 時間 曜日 月日」
という、たった一文型しかなく、しかも全て省略可能
なんですよ。
I stand. も。
I agreed. も。
目的語が「省略」された、他動詞を使った文章である。
こういって、何が間違いなんでしょうか?
っていうことなんです。
I stand. は、
「私は立っている(現在進行形 I am standing. に近いですがまぁええでしょう)」
なのではなく。
「私は(私を)立たせている」
という文章の、
「目的語が主語と同一なので自明であるため、省略された」
と考えて、なにかまずいですか?
って話なんです。
まあ、「自動詞はない」は、言い過ぎだったかも知れません。
ではより正確に、こう言いましょう。
「英語の自動詞は、他動詞の『他』の部分がたまたま『主語と同一だった』ため、まるで日本語の自動詞のように見えていた他動詞」
だ、と。
この考えを推し進めると。
英語の第三文型を取りがちな動詞の「迷い」が、払拭されてくるんですよ。
英語を見たとき、日本人というのはそこに使われている動詞が自動詞か他動詞か、覚えるしかないと思っているものです。
I discussed the matter with my friends.
という文章があったとします。
この文における、discussという、動詞。
仮に、英文じゃなく、discuss という動詞だけ見せられたら、日本人はこれが「議論する」なのか「議論させる」なのか、一瞬ピンときづらいです。
で。
辞書をひき、「議論する」だと知って、ほっと胸をなで下ろし、なんとなく「させる」じゃなく「する」なので「自動詞」だと覚えてしまい、
I discussed about the matter with my friends.
と英作文して about 部分に先生から☑をつけられるのです。
違うんすよ。
元の文章は、実は「こう」だったのです。
I discussed me the matter with my friends.
で。
「私は私にその問題について友人といっしょに議論『させた』」
という訳で。
私は私に、という部分が自明でくどいため、「私に」を省略した。
だけ、だったんです。
英文型の S V O O 。その O O 部分は、「人 物」という順番であることが決定しています。
つまり。
旧文法でいうところの、SVO型を取るつまり「他動詞」を使った文章は全て。
実は、「第四文型だった」ということなんです。
我々はかつて、五文型というものを覚え、そのうち第四文型を取る動詞がgive、get、tell、など特徴的ないくつかのものしかない、と教えられていました。
しかし。
ちょっと違うのです。
give、get、tell、などの第四文型を取る動詞は、「第四文型を取る」から特殊、なのではなく。
動詞直後の「O(人)」の部分が、「主語以外を取る」珍しい動詞だった、という意味で特殊な動詞だった、ということだったのです。
これによって。
私がかつてこの英語陰謀論において。
動詞には弱い動詞と強い動詞があり、弱い動詞は自分にしか影響を及ぼさないから弱い。第三文型を取る動詞はちょっと強く、何かに影響を及ぼしている。第四文型はさらに強い(これは後に否定しましたが)第五文型はさらに強く、影響を与えた上でそれにさらに別の行為をさせている(使役動詞)。
このように申し上げましたが。
使役動詞を除けば、動詞は全て「ある程度強い」ということがここに判明いたしました、というわけです。
なので。
今後英文を見たときには。
全て動詞は「~する」という自動詞ではなく、「~させる」という他動詞で翻訳し。
動詞直後に人ではなく物が来たなら、「あ、主語と目的語が同一であるため省略されたのだな」と思えばいい、ということになります。
例えば。
上記note記事にて出てきた、
I graduated from the school.
という文章。
この訳は、一旦この文章を、
I graduated me from the school.(S V O O でも、S V O 場所 でも、究極言えばどっちでもいいことです)
と考え。
「私は私をこの学校から卒業させた」
と翻訳し。
私は私を、の部分がくどいので、私を、を省略する。
そして、
「私はこの学校から卒業させた→私は学校を卒業した」
と、自動詞活用のある日本語の自然な文章へと変換する。
これでいいのでは、ということです。
これがむちゃくちゃな思いつきなのかどうなのか。
今の私には判別がつきません。
しかしこの思いつきは大事にしたいので、しばらく英語に当たってみて、矛盾が見つかれば都度修正していきたいと思います。
とういことで。
この稿、このままの表現でしばらく置いておきます。
それでは、ありがとうございました。
