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アバターの演技で、人は泣けるのか。メタバースドラマの面白さを考える

どうも、久我レイジです。

noteの質問箱に、こんな質問が届きました。

この質問は、メタバースドラマを作っている僕にとって、かなりありがたいものでした。

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ただ、少し答えるのが怖い質問でもあります。
ここで「メタバースドラマはすごいんです」
と言い切ってしまうと、たぶん一番大事なところからズレてしまう気がするからです。

僕は、メタバースドラマが映画やアニメ、ゲームの上位互換だとは思っていません。


むしろ映像作品として正面から比べられたら、勝てない部分はたくさんあります。

アバターの表情は、実写の俳優ほど繊細には動きませんし、アニメのように感情を細かく描き込めるわけでもありません。ゲームのように、観る側が物語を自由に操作する体験とも違います。

じゃあ、何が面白いのか。

たぶん、そこなんです。

今回の質問も、こちらの質問箱からいただきました。メタバースドラマ、創作、AI活用など、気軽に投げてもらえたら嬉しいです。


正直、見た目だけで勝てる表現ではない

メタバースドラマを初めて見る人は、最初に「すごい」よりも「ちょっと不思議」と感じるかもしれません。

仮想空間の中にセットがあって、アバターの役者が立っていて、声で芝居をしている。普通の映像作品に慣れている人ほど、最初は違和感があると思います。

僕自身も『クロスロード』を作りながら、何度もそこにぶつかりました。

この動きで感情は伝わるのか。この表情で、ちゃんと心の揺れは届くのか。カメラを切り替えて、音を重ねて、空間を作って、それでも最後に残るのは「人に届くのか」という不安でした。

3年半かけて作ってきた作品です。たくさんの人に関わってもらいましたし、自分なりにできることは詰め込んできました。

でも、ずっと思っていました。

アバターの演技で、人は本当に泣けるのか。

アバターは泣いていない。でも、泣いてくれた人がいた

『クロスロード』を上映したあと、「泣いた」と言ってくれた人がいました。

その言葉を聞いた時、嬉しかったというより、少しほっとしたんです。

アバターは、実写の俳優のように涙を流していたわけではありません。顔の筋肉が細かく震えるわけでもないし、目の奥の微妙な変化まで表現できるわけでもない。

それでも、届いたものがあった。

声の置き方だったのかもしれないし、沈黙の長さだったのかもしれません。キャラクター同士の距離、BGM、そこまで積み重ねてきた物語。そういうものが重なった時、人の中に何かが動くことはあるんだと思います。

この時に、少しだけ分かった気がしました。

メタバースドラマの面白さは、映像として完璧に見せることとは少し違うのかもしれない、と。

同じ空間にいる、という変な手触り

普通の映像作品は、完成された作品を画面の外から見ます。作り込まれた作品は、一気にこちらを物語へ連れていってくれます。

でもメタバースドラマには、少しだけ「現場」が残ります。

役者がそこにいて、観客もそこにいる。もちろん実際には、PCやスマホやVRゴーグル越しです。それでも、同じ仮想空間に集まって、同じ時間に物語を見る感覚は、ただ動画を再生するのとは少し違います。

上映会の空気って、不思議なんです。

コメントが流れていなくても、誰かが同じ場面を見ている気配がある。たぶん今、同じタイミングで息を止めている人がいる。そういう、画面には映らないものが少しだけ残る。

物語の外側にいるのに、少しだけ中にいる。

この曖昧さが、僕はメタバースドラマの面白さだと思っています。

弱いからこそ、工夫しないと届かない

メタバースドラマは、まだ発展途中の表現です。

アバター演技だけで感情を全部伝えるのは難しいですし、映像の完成度だけで勝負しようとすると、かなり厳しいところがあります。

だから、表情で全部を伝えられないなら、声や間に頼るしかない。動きが足りないなら、立ち位置や空間の距離で見せるしかない。

そうやって足りないものを埋めようとしているうちに、逆に観客の想像が入り込む余白が生まれることもあるんだと思います。

これは、便利な表現ではありません。正直、かなり面倒です。

でも、その面倒さの中にしかない手触りがあります。完璧ではないから、観る人の中で補われるものがある。作り手が全部を制御しきれないから、その場にいた人だけが感じる空気が残る。

僕はそこに、まだ言葉になりきっていない可能性を感じています。

まだ、答えの途中にいる

じゃあ、メタバースドラマにしか残らないものって何なのか。

まだ僕も、はっきり言葉にできているわけではありません。

たぶん、メタバースドラマにあるのは、完成品をただ届ける感覚とは少し違うものです。物語が立ち上がる場所に、観客も少しだけ居合わせる。

遠く離れた人たちが、それぞれの場所から同じ仮想空間に入って、同じ物語を受け取る。その体験は、まだうまく形になっていない気もします。

だからこそ、作る側は毎回悩みます。
アバターの演技で、人は泣けるのか。

その答えを、僕はまだ大きな声で言い切れません。

でも、泣いてくれた人がいた。
だから、もう少しだけ信じてみたいんです。


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