届かないことを美しく語るより、届く場所を探したい
どうも、久我レイジです。
気づけば、以前は毎日のように見かけていた名前が、その場所から少しずつ減っていました。
深夜まで語り合っていた人も、毎日のように声を届けていた人も、いつの間にか別の場所で活動している。
最初は、少し寂しかったです。
同じ場所に残り続けることの方が、誠実なのではないか。そんなふうに考えたこともありました。
でも今は、少し違います。
作品を作るだけでは足りないのかもしれない。
メタバースドラマ『クロスロード』を完成させ、その後も発信を続けてきた中で、何を作るかと同じくらい、どこで見つけてもらうのかも無視できなくなりました。
あれだけ話したのに、翌朝には流れていた

僕は、音声配信から発信を始めました。
声だけでつながる世界には、独特のあたたかさがあります。30分ほど話して、コメントが届き、その場で笑いが起きる。文章や録画された動画とは違う、人の体温に近いものがありました。
今でも、あの時間に意味がなかったとは思っていません。
ただ、配信を終えた翌朝、妙な空しさを感じることがありました。
あれだけ話したのに、もう流れている。
誰かと深い話をしたはずなのに、新しい配信が始まれば、昨日の時間は一覧の奥へ消えていく。自分の中では確かに大切だったのに、積み上がっている感覚を、なかなか持てませんでした。
ライブ配信には、その瞬間にしか生まれない価値があります。すべてを記録として残せばいいとも思いません。
それでも、作品や言葉を長く残したかった僕には、その場の熱だけで終わることが、どうしてももったいなかったんです。
あとから誰かが見つけられる形にできないだろうか。
たぶん、その頃から、そんなことを考え始めました。
発信とは、今いる人に声を届けるだけではない。まだ出会っていない人が、数日後や数年後にたどり着ける道を残すことでもあるのかもしれません。
いい作品を作れば、誰かが見つけてくれると思っていた

メタバースドラマ『クロスロード』を作り始めた頃、僕は完成させることで頭がいっぱいでした。
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脚本を書き、出演者と打ち合わせをして、メタバース空間で撮影する。撮った映像を編集し、うまくいかなければ、また撮り直す。
一本の作品として形にするだけで精一杯でした。
正直に言えば、いい作品を作れば、いつか誰かが見つけてくれると思っていた部分もあります。
でも、そんなに都合よくはありませんでした。
YouTubeへ公開したあと、再生数を確認しても、思っていたほど数字が動いていない。SNSで告知しても、作品の内容にまで踏み込んだ反応はほとんど来ない。
そういう日が、何度もありました。
制作にかけた時間と、画面に表示されている数字が、まったく釣り合っていないように見える。
これだけ時間をかけても、届かないんだな。
数字を見るたび、そんなことを考えていました。
音声配信では会話が盛り上がっても、その人たちが作品まで見に来てくれるとは限りません。
作品の内容なのか、伝え方なのか。それとも、メタバースドラマという言葉自体が、まだ知られていないからなのか。今でも、答えは一つではないと思っています。
ただ、作ることと届けることは別の仕事だという現実からは、逃げられませんでした。
創作者としては、作品の中身で勝負したい。宣伝ばかりしているように見られたくないし、数字だけを追いかける人にもなりたくありません。
同じ作品について何度も投稿すれば、しつこいと思われるのではないか。制作の話ばかりしていたら、自分の宣伝しか考えていない人に見えるのではないか。
今でも、そこは迷います。
それでも、誰にも存在を知られていなければ、作品を見てもらうところまでたどり着けません。
悔しいですが、これも現実でした。
新しい場所では、また何者でもなくなる

だから僕は、noteを書き、YouTubeへ動画を置き、SNSで制作過程を伝え、メタバースで上映会を開いてきました。
どれか一つに正解があったわけではありません。
作品への入口を増やしながら、少しずつ『クロスロード』へたどり着く道を作ってきた。それに近いと思います。
ただ、新しい場所へ行けば、すぐに広がるわけでもありませんでした。
メタバースで何年活動し、何人と作品を作ってきたとしても、その背景まで新しい場所へ一緒についてくるわけではありません。
こちらでは知られていた名前も、別の場所へ行けば、また何者でもなくなる。
自分が何をしてきた人間なのかを、一から説明し直す必要があります。
これまで積み上げてきたものまで、ゼロになったように感じる瞬間もありました。
でも、本当はゼロではありません。
音声配信で身につけた話し方は、動画や文章に残っている。メタバースで失敗した演出は、次の撮影に生きています。
Project Aliveも、人との出会いによって変わり、撮影の失敗から学び、反応がなかった発信を何度もやり直してきました。
場所を移しても、そこで得たものまで消えるわけではありません。
ただ、新しい場所では、過去の実績を並べるだけでは立ち止まってもらえない。
結局、その場所に合わせて、伝え方から考え直すことになります。
それは面倒ですし、やっぱり怖さもあります。
届かないまま居続けることを、美談にはしたくない

市場という言葉を使うと、少し冷たく聞こえます。
数字や規模を見て、人が多い場所へ移っていく。それだけを聞けば、流行を追いかけているように見えるかもしれません。
僕自身、長く活動した場所を離れる人を見て、昔から応援してくれた人を置いていくように感じたこともありました。
でも今は、作品が届かないまま同じ場所に居続けることを、無条件に美談にはしたくありません。
小さな場所だからこそ生まれる関係や文化はあります。
それでも、本当に広げたい作品があるなら、「ここで頑張り続けている自分」に安心してはいけないとも思うんです。
誰にも届いていないのに、信念だけを語り続けても、作品は広がりません。
少し厳しい言い方ですが、僕自身が何度もそこで悔しい思いをしてきました。
届かなかった理由を、場所や時代のせいにしてしまえば、気持ちは少し楽になります。
作品は悪くない。見る人がいなかっただけだ。
そう言いたくなることもあります。
でも、それで終われば、次も同じ場所で止まるかもしれません。
だから僕は、届かないことを美しく語るより、届く場所を探したいと思っています。
数字だけを目的にはしない。でも、数字から目をそらすこともしない。
反応が少なかったなら、作品を否定する前に入口を見直す。動画で届かなければ文章にし、長い物語へ入りにくいなら、別の形を試してみる。
『クロスロード』を、選択肢や分岐のあるゲームとして作り直しているのも、その一つです。
同じ作品を繰り返しているように見えるかもしれません。
僕には、まだ別の入口があるように見えています。
『クロスロード』は、まだ置き場所を探している

『クロスロード』は完成しました。
でも、僕の中では、まだ終わっていません。
作品は公開した瞬間に完成するのか。それとも、誰かに届き、その人の中に何かが残ったとき、初めて完成するのか。
僕には、まだ答えが出ていません。
ただ、一度公開され、消費されて、そのまま流れていく作品にはしたくありませんでした。
ドラマとして公開したあとも、noteの記事にし、短い動画にし、ゲームという別の形へつなげていく。
『クロスロード』だけが残っても、その次にメタバースで物語を作ろうとする人が現れなければ、文化としては続いていかない。
そこまで広がるかは、まだ分かりません。
新しい場所で反応がなければ、元の場所にいればよかったと感じるかもしれない。何度発信しても届かず、自分の作品には力がないのだと思う日も、たぶんあります。
それでも、『クロスロード』を限られた世界の中で、静かに止めたくありません。
数年後、まだこの作品を知らない誰かの画面に、ふと『クロスロード』が現れる。
その人はきっと、これがずっと前から置かれていた物語だとは、気づかないのだと思います。
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