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メタバースドラマを、そのままゲームにはしない。『クロスロード』を作り直す理由

どうも、久我レイジです。

最近、メタバースドラマ『クロスロード』のゲーム版を作り始めました。

そう書くと、新しくノベルゲームを一本作っているように見えると思います。もちろん、それも間違いではありません。選択肢があり、物語の進み方が変わり、ドラマ版にはなかった分岐も入っていく。

でも、実際に手を動かし始めると、僕の中では別の感覚が出てきました。

新しいゲームを作っているというより、すでに完成した物語を、別の体験としてもう一度作り直している。

今やっていることは、たぶんそちらに近いです。


完成したドラマを、そのまま移せばいいと思っていた

『クロスロード』には、すでに完成したものがあります。

全12話の物語があり、正式な台本があり、登場人物がいて、声があり、映像もある。3年半かけて作ってきたので、ゲーム化するにしても、ゼロから作るよりは早いだろうと思っていました。

すでに材料は揃っている。

あとはゲームの形に並べ直せばいい。

どこかで、そんなふうに考えていたんだと思います。

でも、実際にはそう簡単ではありませんでした。

動画をゲーム内で再生して、台詞を順番に表示しただけでは、それはゲーム版というより、ゲーム画面の中で映像を観ているだけです。

映像では、主人公が何を選ぶのかを観客が見守ります。

でもゲームでは、その迷いの近くにプレイヤーを立たせることになる。

たとえば、誰かに「大丈夫」と答えるのか、何も言わないのか、それとも話題を変えるのか。

映像なら、登場人物が選んだ答えを見届ければいい。でも選択肢として目の前に置かれた瞬間、プレイヤーは、その人物の感情にわずかでも責任を持つことになります。

誰かの決断として見るのか、自分が選んだ結果として受け取るのか。同じ台詞でも、そこに選択が入るだけで重さが変わってしまう。

作り始める前は、そこまで深く考えていませんでした。

原作を守るために、変えなければならない

僕はもともと、原作を変えないことが、原作を大切にすることだと思っていました。

せっかく時間をかけて作った作品です。台詞も、場面の流れも、登場人物の気持ちも、簡単には触りたくない。ゲーム化するからといって、別物にしてしまうのは違う。

その感覚は、今もあります。

ただ、ゲームとして作り始めると、何も変えないことの方が不自然になる場面が出てきました。

映像では一瞬で通り過ぎる迷いを、ゲームでは選択肢として立ち止まってもらう必要がある。ドラマでは視聴者が知っている情報でも、プレイヤーの立場では、まだ知らない方がいいこともあります。

映像で気持ちよかった間が、ゲームでは長く感じることもある。反対に、ドラマでは短かった場面を、もう少し深く見せたくなることもあります。

同じ物語なのに、媒体が変わると、呼吸まで変わる。

ここは面白いです。

でも、怖くもあります。

どこまで変えれば、ゲームとして自然になるのか。どこから先は、『クロスロード』ではなくなってしまうのか。

たぶん、正解はありません。

だからゲーム版は、ドラマ版の完全複製を目指していません。原作への敬意は残しながら、ゲームという媒体に合わせて作り直す。

言葉にすると簡単ですが、実際にやるとかなり迷います。

次の作品でも、また全部やり直すのか

開発を進めている時、ふと思いました。

今回の『クロスロード』ゲーム版だけが動けば、それでいいのか。

一本完成したとしても、次の作品を作る時に、また最初から全部組み直すことになる。

そう考えると、正直、気が遠くなりました。

個人に近い規模で作品を作っていると、毎回ゼロから始めるのは重いです。気合いだけではどうにもならないし、時間も手間もかかる。

そこで今、作品制作を支える独自の基盤として、Project Alive Engineというものを育て始めています。

名前だけを見ると、もう立派なゲームエンジンが完成しているように聞こえるかもしれません。

でも、まだそんな段階ではありません。

今は『クロスロード』を実際に動かしながら、次の作品でも使える形を探している途中です。

今回だけ動けばいい仕組みではなく、次にも何か残る形にしたい。

それができれば、一本のゲームを完成させる以上の意味が出てくる気がしています。

AIで速くなったぶん、判断は増えた

今回の開発には、AIも使っています。

以前なら僕一人では進められなかったところまで、形にできるようになりました。コードを書いてもらい、動作を確認し、不具合を直して、また試す。その速度は、かなり上がっています。

ただ、何を原作として残し、どこをゲーム向けに変えるかまでは決めてくれません。

作る速度が上がったぶん、「これは本当に『クロスロード』なのか」と判断する回数は、むしろ増えました。

そこは結局、僕たちが引き受けるしかないんだと思います。

完成した作品にも、まだ別の入口があった

『クロスロード』は、ドラマとして一度完成しています。

YouTubeで全12話を公開し、clusterでは上映会も行いました。3年半かけて、ようやく一つの形になった作品です。

そのまま置いておくこともできました。

完成したのだから、次の作品へ進む。それも自然だと思います。

でも僕は、もったいないと感じました。

物語が終わったというより、届け方が一つ完成しただけなんじゃないか、と。

映像で知る人もいれば、上映会で初めて触れる人もいる。もしかすると、ゲームから『クロスロード』を知る人も出てくるかもしれません。

入口が変われば、同じ作品でも出会い方が変わります。

ドラマでは省吾たちの人生を見守っていた人が、ゲームでは、その選択に関わることになる。そこで初めて見える感情もあるかもしれません。

だから僕は、過去の作品を使い回したいわけではありません。

同じ物語を、別の媒体でもう一度問い直したい。

今やっていることは、たぶんそちらです。

まだ、手法と呼べるところまでは来ていない

完成した映像作品を土台にして、ゲームとしてもう一度作り直す。

これが一つの制作手法として形になるのかは、まだ分かりません。

Project Alive Engineという名前も、中身に追いつくまでには時間がかかると思います。ゲーム版『クロスロード』も、今はまだ最初の一歩を踏み出したところです。

だから、あまり大きなことは言えません。

ただ、ドラマだった『クロスロード』の中に、これまで存在しなかった選択肢が生まれ始めています。

同じ登場人物で、同じ物語のはずなのに、ドラマだった時とは違う表情を見せ始めている。

それが正しい変化なのかは、もう少し先まで作ってみないと分かりません。

ただ、ドラマとして作っていた時には気づかなかったものが、今になって少し見えてきた気がします。


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