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「誰だって無価値な自分と闘っている」を見て「チ。ー地球の運動についてー」を読んだら感動が倍になった話


この文章ではドラマ「誰だって無価値な自分と闘っている」に関しては最終回までネタバレしています。漫画「チ。ー地球の運動についてー」については極力ネタバレを避け、第3集から第5集までの物語の本筋から少し離れた内容について書いています。ですが、漫画のネタバレを一切回避したい、という方は、ご注意ください。

「モジャムサ」のない最初の週末

 5月30日土曜日。「誰だって無価値な自分と闘っている(モジャムサ)」が終わって最初の週末を迎えた。4月中旬の放送開始から毎週末、欠かさず見ていたドラマが終わり、私はすっかり「モジャムサ」ロスになりかけていた。この春は韓国ドラマが豊作で、他にも評判がいい作品があることは知っていたが、私の中にはまだ何となく「モジャムサ」の余韻が残っていたので、今すぐ別のドラマを楽しむのは少し早いような気もしていた。
 そんな時、ちょうど春先に知人から借りたはいいものの、なかなか読む余裕がなく、そのままになっていた漫画「チ。ー地球の運動についてー」が目に入った。普段、漫画はそこまで読まないのだが、「チ。」は漫画好きの夫や知人から「絶対好きだと思うよ」と言われ、私自身もアニメの「チ。」のオープニング曲であるサカナクションの「怪獣」が好きだったこともあり、ずっと読もう読もうと思っていた。「モジャムサ」ロスを埋めるのは映像よりも活字のほうがいい気がして、私は第1集を読み始めた。

「チ。」の中に「モジャムサ」があった

「チ。」は2020~2022年に連載され、2024~2025年にアニメ化もされているので、既にご存じの方が多いと思うが、念のためどんな話か書いておくと、

地動説を証明することに自らの信念と命を懸けた者たちの物語

TVアニメ「チ。 ―地球の運動について―」公式

である。もう少し詳しく書くと、天動説が信じられていた15世紀を舞台に、禁じられていた地動説を秘密裏に研究し、命懸けで世に出そうとする人々の生き様と信念が描かれている。予想通り、私は読み始めたら止まらなくなり、2日で全8巻を読み切ってしまった。
 中でも私は第3集から第5集に出てくるバデーニ、ヨレンタ、オクジーという3人の人物が中心になるエピソードに強く感銘を受けた。このエピソードでは、地動説研究の中心になるのはバデーニという修道士で、彼はとあるきっかけでオクジー、そしてヨレンタと出会う。ヨレンタは宇宙論の大家の研究施設で天文研究の助手をしている女性。オクジーは代闘士(報酬をもらい、依頼人の代わりに命懸けで決闘相手と闘う仕事)という底辺の職業に就いており、自身は文字も読めないものの、バデーニに地動説研究のバトンを渡す重要な役割を担っていた。
 このエピソードの中で、オクジーはある時から彼が見聞きしたものを物語にして残したいと考えるようになり、ヨレンタから文字を学び始める。ところが、特権意識が強くプライドの高いバデーニは、最下層のオクジーが文字を学んで物語を書くことを快く思わない。彼はこう言う。

「大半の人間が言葉を読み書きできないのはいいことなんだよ。文字というのは特殊な技能、言葉を残すのは重い行為だ。扱うには一定の資質と最低限の教養が要求されるべき。誰もが簡単に文字を使えたらゴミのような情報で溢れ返ってしまう。そんな世の中目も当てられん」

魚豊「チ。-地球の運動についてー」第4集、バデーニのせりふより

 それでも、バデーニが地動説を研究し、論文を執筆する間、オクジーは物語を書き続ける。だが、ある時、二人は論文と物語の両方は残せない、という岐路に立たされる。果たして、どちらを残すか。続きは後で書くことにし、ここで一旦、話を「モジャムサ」に戻したい。

たかが物語

「モジャムサ」の2話で、ジンマンは弟ドンマンを出禁にした8人会のアジトに乗り込み、何の前触れもなく「チ。」の地動説のような話をし始める。

「地球は何度傾いてる? 傾いてるだろ。(「23.5度…」)23.5度か。地球が23.5度傾いて、一年に作られる食料が96億トン。地球の人口が77億人。1年に1人1トンずつ食べても残る。じっとして地球に与えられるものをそのまま食ってりゃいい奴らが、大騒ぎしてまた何かを作ろうとして、映画だなんだって…大層ご立派だな」

「誰だって無価値な自分と闘っている」2話、ジンマンのせりふより

 ジンマンは一度は詩人の道に挫折し、溶接の仕事の合間に“地球の恵み”である農作物の収穫をしている人である(そして、その恵みは地動説で証明された自転公転のおかげで、地球の時間季節が変わることでもたらされる)。そんな彼にとって、映画製作を生業にする8人会の面々は所詮、「たかが作り物の“映画”という物語に大騒ぎしている連中」であった。
 そんな彼も紆余曲折の末、最終回には再び筆を取って詩を書き始める。そして、念願だった映画を撮り始める弟に、こう話す。

「すべてのストーリーが、自分は存在しているという叫び声。こんなに苦しく存在し、悲しく存在し、憂鬱に存在し、可笑しく存在し、せいぜい100年。100年で全て消えてしまうのに、消えてしまうものが本当に存在していたのか、そんな疑問を打ち消すために、せわしなくストーリーを書き続けていく。生きてる限り、ストーリーを書かなければいけないのなら、どうせなら可笑しく」

「誰だって無価値な自分と闘っている」12話、ジンマンのナレーションより

 ジンマンの言うように“せいぜい100年”で消えてしまう存在が書き続ける物語。ジンマンはそんな物語について「生きてる限り、書かなければいけないのなら、どうせなら可笑しく」と半ば諦観したように締めくくる。

されど物語

 しかし「チ。」では、その物語にこそ価値があると書かれているのだ。岐路に立たされたバデーニはこう言う。

「君の文章は論文としての価値はない。ーーが、それ故、伝わる可能性は高いだろう。(「伝わる? 何が…?」)感動だ。それさえ残せれば、後は自然と立ち上がる」

魚豊「チ。-地球の運動についてー」第5集、バデーニのせりふより

この世に何かを残して、全く知らない他者に投げるのは、私にとってなんら無意味で無価値だ。しかし、不思議なものでそれを無価値だと判断しない領域もあるそうだ。例えばーー歴史がそうらしい」

魚豊「チ。-地球の運動についてー」第5集、バデーニのせりふより

 論文、つまり論理的な文章や正確なデータ以上に、物語のほうが「感動が伝わる」。そして、何かを残して他者に投げることは、一個人にとっては無意味で無価値かもしれないが、無価値だと判断しない領域(歴史)もある
「モジャムサ」のタイトルをほうふつとさせる「無価値」というワードもさることながら、私はこの一連のバデーニのせりふが、「モジャムサ」のジンマンのナレーションに呼応しているような気がして、最初に読んだ時は本当に驚いたし、鳥肌が立った。まさか「モジャムサ」のメッセージが、ここに繋がるとは思ってもみなかったからだ。

文字は奇跡

 そして、このせりふ以上に、私がジンマンの“せいぜい100年”に対する最も端的なアンサーだと感じたのが、これより前に出てくるヨレンタのせりふだった。まだ文字が読めなかった頃のオクジーに、ヨレンタはこう言う。

文字は、まるで奇跡ですよ。(中略)本当に文字はスゴいんです。アレが使えると、時間と場所を超越できる。200年前の情報に涙が流れることも、1000年前の噂話で笑うこともある。私たちの人生は、どうしようもなくこの時代に閉じ込められてる。だけど、文字を読む時だけは、かつていた偉人達が私に向かって口を開いてくれる。その一瞬この世界から抜け出せる。文字になった思考はこの世に残って、ずっと未来の誰かを動かすことだってある。そんなの…まるで、奇跡じゃないですか

魚豊「チ。-地球の運動についてー」第3集、ヨレンタのせりふより

 ジンマンが再び書き始めた詩も、ドンマンが撮り始めたばかりの映画も、全ては文字から始まる。バデーニの言うように、確かに文字というのは特殊な技能、言葉を残すのは重い行為だ。なぜなら、文字は時間と場所を超越するからだ。“せいぜい100年”のこの時代に閉じ込められていた物語も、文字になればこの世に残って、時代を越えて未来の誰かへと伝わっていく
 この二つの物語の接点に、私は心底ゾクゾクしたし、心を揺さぶられた。そして、弟を仲間外れにする友人たちへの抗議を、一見まるで関係ない“地球の傾き”から話し始めたジンマンに、私は「チ。」のこのせりふを伝えたいと心から思った。「誰だって無価値な自分と闘っている」のラストでジンマンが投げ掛けたメッセージに、「チ。」が答えてくれた、そんな気がした。
 また、それと同時に「モジャムサ」の最終回以来、なんだかずっとフワフワしていた私の心が、この「チ。」(=地)にストンと着地したような感覚にもなった。(ちなみに、このタイトルの「チ。」はトリプルミーニングであり、他に2つ意味がある。まだご覧になっていない方は、漫画を読むか、アニメを見てぜひ確認してほしい)

「チ。」の後半では、「やっぱり文字は奇跡ですね」というせりふが再び登場する。そして、その人物が伝えた感動が、想いとなって次の世代へとバトンが繋がっていく。文字は、リレーのバトンなのだ。
 だから私も、この二つの物語から受け取った感動を、今度は別の誰かに伝えたい。そういう想いで、この文章を書いた。うまく伝えられたかどうかは分からないけれど、まずはここに文字にして、この感動を記しておきたい。そして、次なる新たな物語との出合いに期待しながら、この文章を締めくくりたいと思う。
 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

「誰だって無価値な自分と闘っている」過去記事


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