「誰だって無価値な自分と闘っている」を見て感じた私の“感情ウォッチ”の記録 vol.7 11話放送後
5月、気付けば運動会もドラマも終わっていた
「誰だって無価値な自分と闘っている」が5月24日、幕を下ろした。全12話は短い。韓国ドラマは週2放送が基本なので、たったの6週間で終わってしまう。
多くの方がご存じの通り、そもそも韓ドラは少し前まで全16話がスタンダードだったのだが、パク・ヘヨン作家の前作「私の解放日誌」(2022年)からの4年で、世の中にはショート動画やタイパ重視のコンテンツがあふれ、動画配信サービス制作の全6話や全8話のドラマも増加。テレビ放送のドラマもあっという間に全12話が基本フォーマットになってしまった。今や全16話のドラマは絶滅危惧種である。
それどころか、韓国の制作者たちが最近、口々に言う目標は「倍速再生されない(=標準速度で見てもらえる)ドラマを作ること」。AIと闘う前に、まずは人間のドーパミンと闘わなくてはいけなくなったわけだ。
そういう見方をするなら、パク・ヘヨン作家のドラマは間違いなく「倍速視聴できないドラマ」である。だって標準速度で見たって、一度見ただけでは、ちゃんと「見た」と言えるかどうか怪しいくらいなのだ。
私は仕事で必要な場合を除いて、ドラマの視聴中はなるべく一時停止をせず、完走するまでは見返さない、というのを、なんとなくのマイルールにしている。だが今回、9、10話だけは、そのルールを自ら破った。その週末に最終回放送を控える中、もう一度見返して咀嚼しておかないと、ちゃんと最終回を迎えられない気がしたからだ。
11、12話の感想はネタバレ防止でnoteに
ゴールデンウイーク明けに↓の投稿を書いた後、多忙な日々の中でドラマの感想をnoteにまとめる余裕がなかった私は、開き直って毎週日曜と月曜、本国より一日遅れでドラマを見た後、Xに感想を書き続けていた。
その間、いつの間にか年度始めの慌ただしさは過ぎ去り、子どもの新年度最初のビッグイベントである運動会も終わった。ドラマの最終回配信は、日本は5月24日(日)夜11時。翌日が運動会の代休で子どもが休みだったこともあり、私はいつも通り、月曜の夜に最終回を見ることにした。そのため、25日の日中はネタバレを避けるため、なるべくXを開かないよう腐心した。
「モジャムサ」11話。ドラマにはもう感情ウォッチは出てこなくなったけど、私の感情ウォッチは限界値を超えて「알 수 없음 (正体不明)」 になったので、この感情に名前をつけるのは後でnoteでゆっくりやろう…
— Yui ライター&韓国語翻訳 (@yui1106) May 24, 2026
にしても次が最終回なんて😭😭😭ドンマナ〜!!ウナヤ〜〜!!!
明日夜に最終回を見るまでネタバレを絶対に踏んではならない…!絶対にだ!!
— Yui ライター&韓国語翻訳 (@yui1106) May 24, 2026
そうやって何とかたどり着いた最終回は案の定、一度見ただけでは消化できなかったので、今回も早々ともう一度見直すことにした。ただ、先ほどのXのポストにも書いたように、ドラマ放送の最終週である11、12話は、ネタバレ防止も兼ねてnoteに感想を書くことにした。
冒頭のnoteで「Xの感想ポストはnoteにまとめていきたい」と書いたものの、まだそちらも3話以降は手つかずなのだが(汗)、まずは11、12話の感想を余韻が覚めないうちに書いておきたい。
書き方はXの感想ポストと同じく五月雨式で、まずは11話から。どうぞお付き合いください。(※以下ネタバレあり)
11話/真面目な成功者は面白くない?
「成功して俺の魅力が下がったらどうしよう」「騒々しく、せわしないが、不幸じゃない。これが俺のアイデンティティーであり魅力なのに。成功したら一気に魅力がなくなりそうで悩ましい」「よくあるでしょ。前半ではトラブルメーカーで魅力的だったキャラが、後半で急に真面目になって面白くなくなるパターン。自分もそうなりそうで怖い」「成功者って、なぜか皆つまらないでしょ」
ドンマンがウナに打ち明ける、少々気が早すぎる悩み。これって、日本でも一時、毒舌や成功者へのひがみで人気を博していた有吉さんや山ちゃんが結婚前に話していた「幸せになったら、芸人としての自分は終わりなんじゃないか」という不安と全く同じだなと思う。ある意味、芸に生きる人々に共通する悩みでもあるのかもしれない。
11話/誤った運命のしがらみ
そんなドンマンと似たような悩みを劇中で既に抱えていたのがギョンセ、そして彼の公私共にパートナーでもあるへジンだったのではないだろうか。
妻でもありプロデューサーでもある自分が、夫でもあり監督でもあるギョンセの創作の最大のネックになっているという、如何ともしがたい現実。そんな彼女の長年のジレンマが一気に表出したのが、ギョンセを前にしてへジンが見せた、一世一代の大芝居だったのだと思う。
「創作者にとって、人は財産じゃないですか。自分の住み着いた土地に火を放って立ち上がる焼き畑農家のように、誰かに夢中になって、その人の言葉やエネルギーを大喜びで吸い取って立ち上がる(=創作の糧にする)のだから」「だから私、創作者が恋に落ちるのは、百回でも千回でも容認されるべきだと思うんです」「応援しています。最後まで楽しんで書いてください」
そんな二人がこの日、打ち上げに参加していた映画のタイトルは、なんと「오답의 굴레/誤った足かせ(束縛)」である。「오답」は「誤答、誤り」、「굴레」は「足かせ、鎖(くさり)、連鎖」という元の意味が転じて「自由を束縛したり、行動を制限したりするもの」「逃れられない運命やしがらみ」をも意味する。そして、店の前に置かれていた、打ち上げ会場の案内板には「恋愛は誤り、今夜の打ち上げは正解!」と書かれている。
恐ろしく芸が細かく、画面に出てくる文字の一つも見逃せないのが韓ドラの怖いところでもある。
「世界で最もかわいそうなのが監督の妻だと言うじゃない。でも私は製作会社の代表でもある。だから、このまま楽しく書き続けて。うまく書ければなんだっていい。あなたがどの地獄に落ちようと、どの密に溺れようと、脚本さえ出来上がれば、地獄にだって蜜にだって突き落とせる!」
ちなみに、このシーンについては、さすがにこの道20年のカン・マルグムでさえ、1カ月悩んだそうである。
(15:00〜)ヘジン役のカンマルグム「11話で夫のことを知らないふりをしたり、絶賛したり、激怒したりするシーンは難しくて、台本もらって1ヶ月ずっと悩んでました。だからあのシーンが一番印象に残ってます」確かに、あの場面の彼女の演技はすごすぎて😮←この顔で見てた。https://t.co/b5HvPbkcfl
— Yui ライター&韓国語翻訳 (@yui1106) May 26, 2026
11話/ウナはドンマンのアイドル
もしウナが成功したら、自分とは別次元の人になってしまって、今以上に近寄りがたい存在になりそうだというドンマン。「神が授けた顔のイデア」からの「私の解放日誌」のキーフレーズ「崇める」が登場するくだりを見ていて思ったのは、ウナに会っている時のドンマンは、まるでアイドルに会っている時のファンのようだということ。そう考えると「そんな方とこうして向かい合って座り、言葉を交わせること自体が奇跡」という言葉も、より自然に聞こえてくる。
ドラマでは、えてして男女の関係を恋愛という枠に収めがちだが、二人がカフェや漫画喫茶、さらにアジトの個室で会うシーンは、どれもファンミーティングや握手会(サイン会)のような雰囲気が漂っていた。それはドンマンにとってウナは“推し”に近い感覚だったからではないだろうか。推し活経験者として見ると、ドンマンのウナへの崇拝ぶりは、色々と納得がいくような気がした。
11話/手のひら返し大賞はチェ代表
あれだけウナをこき下ろしておいて、急に手のひらをクルっと返して焼き肉をおごるチェ代表。この期に及んで「俺は見る目がある。他のPDとは違うと思ってた」とは…こういう人だとは分かってたけど、改めて驚きである。そんな上司の質問に淡々と答え、「書きたい話ができたら書く。お金をもらって書くことはしない」というウナ。これが人間の器の違いか…。
ギョンセの補助作家の「私は自分が成功できないから、せめて周りの人に成功してもらって、そのおこぼれにあずかりたい」という開き直りマインドもすごかったが、人間、良くも悪くも突き抜けていると、逆にすがすがしささえ感じるのが不思議である。
11話/ノ・ガンシクの撮影セットと共演者
ノ・ガンシクが囚人服を着て撮影している刑務所のセットは、「刑務所のルールブック」を思い出して懐かしかった。このドラマの序盤には、ノ・ガンシク役のソン・ドンイルが悪徳刑務官役で出演している。
刑務所のセットなので、壁には「道徳性を養い、健全な人生を生きよう」「法と秩序の確立」「人生の朝には仕事を、昼には忠告を、夜には祈りを」「明朗で秩序ある誠実な生活を送ろう」といった標語があちこちに貼ってあるのに、へジンとドンマンが訪れた時にはガンシクが後輩俳優とケンカの真っ最中…というアイロニー。そして出しゃばるドンマンを何とか回収し、車中で叱り飛ばすへジンも、怒られてシュンとするドンマンも、相変わらず素行不良で呼び出されたトラブルメーカーの息子とその保護者のようである(苦笑)。
ちなみに、ガンシクとケンカしていた刑務官役の俳優はキム・ドンウク。このシーンのメーキングを見ると、キム・ドンウクと仲がいいというオ・ジョンセが、彼の撮影を見たい一心で、一足早く現場に来ていたのも印象的。
11話/反省は弱者の言葉
「ノック・ノック・ノック」の主人公を女性に変えることを拒否している脚本家“ヨンシル”ことウナの元に直談判しに来たオ・ジョンヒ。「恐怖は情緒的なもの」「地獄の果ては見なきゃ」と言う、どこまでも強欲で身勝手な彼女のせいで、ウナは9歳にして本物の恐怖と地獄を味わっている。オ・ジョンヒ一人が地獄を見るだけなら好きにすればいいが、その巻き添えを食わされる子どもはたまったもんじゃない。
一番言われたくない相手に、一番言う資格がないことを言われたウナ。母への憎悪を脚本にぶつけた彼女に「40歳を超えたら、もう親のせいにはできない。その時は何を原動力にして生きるの?」「これ以上、書くことないでしょ。同じ傷ばかり書いてるようじゃ、筆がさび付く」というオ・ジョンヒの言葉は、まさに「(あんたが)それを言っちゃあ、おしまいよ」である。
傷つけたほうは忘れるが、傷つけられたほうは忘れないもの。10話でウナがミランに話す「私たちは相手に強気で出られるとドキッとして、すぐに『悪いのは私?』と自分のせいにしてしまう」「反省は弱者の言葉。悪い奴らが反省するの、見たことある?」というせりふは、このシーンにつながる伏線でもあったのかもしれない。
11話/ポスターの伏線回収
「おまえは自分と違って光輝く(=才能ある)ウナが怖くなって、逃げたんだろ」と言われ、逆ギレしたマ・ジェヨンに殴られるドンマン。
折れた歯を吐き出し、立ち上がった彼が満を持して披露したのは、ドラマのポスターで見せていたファイティングポーズである。ポスターの時は影ばかりが大きく勇猛果敢で、実際は地面にしゃがみ込んでいたドンマンが、(へジンの言っていたように)ウナの言葉やエネルギーを吸収して立ち上がり、このシルエットのように大きく成長した、とも言えるかもしれない。

11話/ドンマンの一発ギャグの元ネタ
11話のラストを飾ったドンマンの“古典コメディー”の元ネタはこちら↓
いつもウナが落ち込むたびに電話でリクエストされ、話していた「面白い話」の新ネタとともに、体を張ってとっておきのコメディーを披露しに行くドンマン、最高でした。
11話ラストの歯抜けドンマン渾身のギャグは、80年代後半にKBSのお笑い番組でシムヒョンレが演じたおバカキャラ、ヨングから生まれた流行語「ヨングいない」。かくれんぼで身を隠すも、近くを人が通るたびに“自分はいない”とわざわざ言ってしまう、というもの。#誰だって無価値な自分と闘っている pic.twitter.com/aD9Rd7CPLR
— Yui ライター&韓国語翻訳 (@yui1106) May 26, 2026
KBSのお笑い番組「ユーモア1番地」の映像はこちら↓「ヨングいないよ」は、かくれんぼに限らず、ヨング登場の決まり文句だったそう。
当時、これが子どもたちの間で大流行し、みんなこぞってヨングの真似をして、大人たちを心配させたらしい。
ひとまず、11話の感想はここまで。12話(最終回)と3~9話の感想まとめのほうも、なるはやで書きたいと思っています。
※12話の感想↓をアップしました!(5/29追記)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
