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「誰だって無価値な自分と闘っている」を見て感じた私の“感情ウォッチ”の記録 vol.8 12話(最終回)放送後


 昨日書いた11話の感想↑に続き、最終回となる12話についても、再視聴した上で、ネタバレ防止も兼ねて、noteに感想を書いていきたいと思います。どうぞお付き合いください。(以下ネタバレあり)


 12話/ドンマンの“人生で一番つらかった時”

 大学2年までは家も裕福で、家族仲も良かったというドンマン。兄弟が共に文学(詩人)や芸術(映画監督)の道を志したこと、さらに口ではあれこれ言い合いながらも、なんだかんだ一つ屋根の下に暮らし、互いのことを案じているのを見ていると、ドンマンが言うように“苦労知らず”で幸せだった当時の名残のようなものが感じられる気がした。
「お父さんが事業に失敗し、ご両親が相次いで他界した時期が“人生で一番つらかった時”なんですね」というウナの言葉を、ドンマンは珍しく、すぐさま否定する。そしてウナは知らないけれど、視聴者である私たちは、ドンマンの“人生で一番つらかった時”を既に見て知ってしまっている
 だからこそ「まだ一度も話したことがないんですね」というウナの言葉に急いで目をそらし、あれほど心を許している彼女にさえ、ぎこちない笑みを浮かべるしかなかったドンマンの表情が余計、胸に突き刺さった。


 12話/ご近所セコム

 ウナの義祖母がひざの手術を終えて退院する日、車で迎えに行くドンマンとジンマン。その後、同じ店内でジンマンがにらみを利かせる中、マ・ジェヨンに会い、「女しかいない家だからってナメてかかる奴、いるんだよな」「ウナさんの家は女だけじゃないぞ」とドンマンが警告するシーンを見て思い出したのは、同じパク・ヘヨン作家の「マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~」(2018)。
 あのドラマでは10話にジアン(IU扮)の祖母が施設に入居することになり、近所に住むドンフン(イ・ソンギュン扮)がおばあちゃんを負ぶってタクシーまで連れていくシーンが、12話には会社帰りが一緒になった二人が家の近所でドンフンの地元の友人たちとバッタリ会い、「夜道は危ないから」とみんなで彼女を家まで送り届けるシーンが出てくる。(ちなみに、12話のシーンはパク作家自身がドラマを見て特に気に入ったシーンの一つだという)
 この時、ドンフンの兄サンフンが、ご近所ネットワークを駆使し、ジアンの家のすぐ近くに住む後輩に「ドンフンの部下がここに住んでるから、変な奴が来ないか見張っといてくれ」と一声掛け、後輩も「お安い御用」と快く引き受ける場面(↓動画参照)があるのだが、ウナにとってのドンマン、ジンマン兄弟も、まさにあれと同じ“ご近所セコム”になったのだと思った。


 12話/感情ウォッチの最後の役目

 まるで1話に戻ったかのようにギョンセの悪口を言い、それを本人に聞かれていたドンマン。「もうこれで終わりにしよう」と言うギョンセに、売り言葉に買い言葉で捨てぜりふを吐き、ケンカ別れをしたドンマンがどうせ「痛快」と表示されているのだろうと決め付けて感情ウォッチを見ると、そこに表示されていたのは「後悔」だった。
 このドラマにはドンマンとウナだけでなく、様々な二人の人間同士の関係性が濃密に描かれていたと思う。ドンマンとジンマン、ギョンセとへジンのような切っても切れない兄弟や夫婦の関係をはじめ、ミランとオ・ジョンヒ、ウナと義祖母のような血縁のない家族関係、ドンマンとジュナン、ウナとミランのような互いへの信頼に基づく友人関係、そしてドンマンとギョンセ、ウナとオ・ジョンヒ、ウナとマ・ジェヨンのようなかつては強固な結びつきがあったはずなのに、今や嫉妬や憎悪の対象となっている関係まで。
 ドンマンもウナも劇中、様々な人間関係に揉まれ、感情ウォッチの助けを借りながら自分の感情に“名前を付けて”いく。二人は徐々に感情ウォッチなしでも自分の感情を把握できるようになり、それに伴って感情ウォッチの登場回数も減ってくる。そんな中、ドンマンが最後に感情ウォッチを見て知ったのが「ギョンセと縁を切ったことを“後悔”している」という感情だったことの意味は大きいと思った。ドンマンが最後の最後まで、自分でもうまく言語化できなかったのが、実はギョンセに対する自分の感情だったのかもしれない。
 人間、自分と近しい人ほど本音を言えなくなったり、つらく当たってしまったりもするもの。大好きな「リトル・ダンサー」も「エターナル・サンシャイン」も「人生で見た映画の半分はギョンセと一緒に見た」というドンマン。そんな彼にとっても、ギョンセはきっとそういう人だったのだろう。

 ケンカ別れした場所に引き返し、ギョンセと同じように地面に手をついたドンマンは、彼の顔を下から覗き込み、泣きながら「また同じになろう」と語り掛ける。このシーンで流れていたのは、これまでもドンマンの本音が透けて見えるシーンで度々流れていた「Parallel Night(나란한 밤)」。1話のギョンセの映画の打ち上げで、彼と自分との間に出来てしまった途方もないギャップに打ちのめされたドンマンが、夜道を一人、バスで帰るシーンで流れていたのも、この曲だった。
나란하다」は「並んでいる」「平行である」「そろっている」という意味。とうとう監督デビューが決まり、「俺、デビューして同じレベルになるから」と言うこのシーンは、どんどん遠ざかっていくギョンセの背中に追い付こうと、必死に走り続けてきたドンマンが、ようやく彼の耳に声が届くところまで追い付いて肩を並べた夜だったのかもしれない。


 12話/上等な娘

 あれほど母を憎悪していても、それと同時に“母に認められたい”という相反する感情を抱えていたウナ。そんな彼女を救ったのは、偶然ミランの口を通してウナ本人に伝わったオ・ジョンヒの言葉「私の実の娘は“上等(근사하다)”」だったのだと思う。流石に「あの子は私に育てられなくてよかった。立派に育った」は、あまりにも無責任すぎる言葉だが、その一方で視聴者目線で見ても、ウナの今があるのは彼女に育てられなかったからだと納得してしまうところもある。「親に置き去りにされる」という、子どもの人格形成において間違いなくマイナスな影響を与えるような経験さえ、ウナは脚本というプラスの形にして昇華させてしまった。
 目の前の相手に褒められるよりも、自分のいないところで誰かに褒められたほうが、より真実味や信頼度が増すというもの。そして、いつ何時でもハイヒールを履いているオ・ジョンヒにとって、「근사하다(洒落ている、カッコいい、素敵だ)」は最上級の賛辞。それが分かっていたからこそ、ウナも涙したのだろう。


 12話/ここから先はエピローグ?

 見直して初めて気付いたのだが、11話までは1時間で終わっていたのに対し、12話はランニングタイムが1時間20分もあった。ただ、ちょうど1時間になるところで、ドンマンは念願の初監督作品のクランクインを迎える。映画の安全&成功祈願の場で、ドンマンは兄ジンマンの言葉を借りて挨拶をしていた。そこで流れるジンマンのナレーションこそ、脚本家が本作に込めたメッセージの一つだったのではないかと思う。

すべてのストーリーが、自分は存在しているという叫び声。こんなに苦しく存在し、悲しく存在し、憂鬱に存在し、可笑しく存在し、せいぜい100年。100年で全て消えてしまうのに、消えてしまうものが本当に存在していたのか、そんな疑問を打ち消すために、せわしなくストーリーを書き続けていく。生きてる限り、ストーリーを書かなければいけないのなら、どうせなら可笑しく。俺はそうできなかったが、おまえは可笑しく(生きろ)」

「誰だって無価値な自分と闘っている」12話、ジンマンのナレーションより

 この言葉を境に、ジンマンの講演やヨンシル捜しの結末、ドンマンのスランプ、さらに試写会や打ち上げ、授賞式までが駆け足で描かれたが、私は先ほどのジンマンのナレーションとともに描かれるドンマンの映画のクランクインが本作のエンディングで、その後に登場するシーンはどれもエピローグのように感じた。
 20年間デビューできなかった映画監督“志望”のドンマンが、ついに本物の映画監督になった瞬間こそ、この物語のエンディングにふさわしい気がしたのだ。


 12話/人の肩書を決めるのは誰か(追記)

 先ほど書いた、私が“エピローグ”だと感じたシーンの中に、最初に見た時も、もう一度見返した時も、いまいち消化し切れず、なんとなく流して見てしまったシーンがある。それが、ジンマンが講義をするシーンだった。
 視聴者としては、まずは満を持して映画を撮り始めたドンマンのその後が気になったし、ジンマンにまつわる話で続きが気になっていたのは、やはりヨンシル捜しの結末である。“後輩に頼まれ、仕方なく詩人として表に出る”というシーンは既に一度、出てきていたので、似たようなシーンが最後に再び登場することの意味が、最初はよく分からなかった。
 しかし、このnoteを書き上げた後、私自身が人に言われた言葉で「モヤッとする」経験をした。すると、ジンマンがあの時話していた「こういう言葉にいちいち引っ掛かってるようじゃダメなんだが…」というフレーズが、急に頭の中に浮かんできた。
 このシーンでは、溶接工という定職に就き、閑散期には白菜や大根の収穫をする季節労働者としても働くジンマンのことを「肉体労働を“転々”としている」と言う人が出てくる。思い返せば、ドンマンも最初、シナリオ講座の講師や出張ビュッフェのアルバイトをしながら何とか生計を立てていたにもかかわらず、感情ウォッチの会社には「無職の40代男性」としてリストアップされてしまっていた。
 その人の職業を世間一般の分かりやすい枠に当てはめ、それを勝手にその人のアイデンティティーだと決め付ける。そして「“溶接工として働く詩人”のほうが何だか特別な感じがするから、わざとそういう生き方をしているんじゃないか」と邪推する。そういった世の中のひねくれた見方や型にハマった肩書、誤った偏見や先入観に抗い、「自分は詩よりも溶接が好きだし、合ってる」と前を向いて堂々と話すジンマンの言葉からは、自分のアイデンティティーは、誰かに決められるものではない。自分自身が決めるものなのだ、という脚本家の強烈なメッセージが透けて見えるような気がした。


 12話/大切な人に願うこと

 12話の前半、なかなか撮影に入れず、焦りを募らせるドンマンに、ジンマンはこう話していた。

「“人間”は英語で何だ? “ヒューマン・ビーイング(being)”だろ。“ドゥーイング(doing)”じゃない。ただ存在してるだけでいい。自分が何をした、どうしたって、せわしなく行ったり来たりして“doing(行動)”しようとするな。“being(存在)”しろ。」

「誰だって無価値な自分と闘っている」12話、ジンマンのせりふより

 そして何とか映画を無事に完成させ、お披露目した後の打ち上げではしゃぐドンマンを見ながら、ウナは心の中でこうつぶやく。

「一生、あなたを見ながら暮らせたらいいな。あなたが何かすごいものを作らなくても、今のようにずっとコメディーで、炎の中に飛び込んでもコメディーで、憂鬱なストーリー、悲しいストーリー、悲惨なストーリー、全部をコメディーにしてしまうあなたを見ながら…」

「誰だって無価値な自分と闘っている」12話、ウナのナレーションより

 20年間、映画を作るという「doing(行動)」無価値な自分を価値ある存在にしようと必死に闘ってきたドンマン。しかし、最終回でとうとうドンマンがそれを成し遂げた時でさえ、最愛の兄ジンマン、そしてウナにとってのドンマンの価値(存在意義)は、ただ「being(存在)」することだった。これこそ究極のアイロニーであり、脚本家が本作に込めた、もう一つのメッセージだったのではないかと思う。
 本当に大切な人には、その人が何かを成し遂げようがなかろうが関係ない。ただただ、そばにいてほしい。そう願うのもまた、人間の真理なのではないだろうか。


 12話/人は財産

 2話で自分の書いた脚本の主人公にパワーがないと言われ、「パワーはどこで売ってるか、ご存じですか?」と聞くドンマンに、ウナが言った「愛する人がいれば…主人公が天気を見たがっている愛する姪のために動くのだとしたら…もしくは愛する兄のためなら…そしたら胸も高鳴るはず」という言葉。この言葉に対するアンサーとして出てきたのが、最後のドンマンの受賞スピーチだったのではないか、と私は感じた。

「兄さん! 俺、賞もらったよ! これで俺は検索に引っ掛かる男だ! ヨンシル! 叔父さん、検索できるぞ! ウナさん! 一緒にいてくれて、本当にありがとう」

「誰だって無価値な自分と闘っている」12話、ドンマンのせりふより

 序盤は「この監督は愛するものがないんだな」とウナに言われるほど空腹だった(=愛に飢えていた)ドンマンが、愛する兄ジンマン、そして他でもないパワーの在りかを教えてくれたウナの存在をパワーにしてストーリー(映画)を作り、自らの「自分は存在している!」という叫び声が遠くのに届くくらい、その存在を世に知らしめる。そして、何者でもなかった自分を見出し、信頼し、一緒にいて(=存在して)くれたウナに感謝する。
 人は自分以外の誰かの存在を原動力にして行動し、その行動によって自分の価値(存在意義)を見出し、今度は自分以外の誰かにパワーを与えていく。そして、そのパワーを受け取った誰かもまた、それを原動力にして、新たに行動を起こしていく人間という存在が、まるでリレーの走者のようにパワーの“バトン”をつないでいくことで、その行動が次々に連鎖していく
 この受賞スピーチの場面については、特に見る人によって解釈が分かれると思うが、私は画面が暗転した後にドンマンの声で発せられる「これからもっと一生懸命、頑張って作ります!」は、彼の口を通したパク・ヘヨン作家の決意表明のようにも感じた。
 きっと、彼女も視聴者の“存在”をパワーにして、これからも“行動(脚本を執筆)”し続けてくれるに違いない、そう信じている。


最終回視聴後のXの感想&情報共有ポスト

 ここからは、最終回視聴後にXに投稿したポストをまとめておきたいと思います。

 最初からドンマンだったク・ギョファン

 ウナの心理カウンセラーの正体

 次に見るべき作品は?

 終わりが終わりじゃない

 マ・ジェヨン役の知られざる苦労

 監督が語る撮影秘話

 「モジャムサ」の企画意図

 俳優ク・ギョファンの“成長”

 カーディガンハグについて

 私の「モジャムサ」ロスを埋めた漫画

 爆笑パロディー

 オ・ジョンセによるコメンタリー動画

 8人会の2人が語る「モジャムサ」の裏側

 コ・へジン役カン・マルグムのインタビュー

 放送終了後のチャ・ヨンフン監督インタビュー

【番外編】ク・ギョファン関連ポスト

公私共にパートナー

【番外編2】オ・ジョンセ関連ポスト

チェ・ソンゴン大人気

 すっかり長くなってしまいました。ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

続きはこちらへ(「モジャムサ」のアンサーとしての「チ。」)



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