🏰11. 止まったパン屋を静かに動かす少女|シレット
街一番の評判のパン屋。
店内には香ばしい香りが漂い、焼きたてのパンが次々と運ばれる。今日も開店直後から店内は賑わい、外まで行列ができている。
──なのに、人の波が一向に進まない。
レジの前で人の動きが止まる。
その横で、受け取り待ちの人が立ち止まる。
トレーを持ったまま、進めない客が左右を振り返
「え、どこに並べばいいの……?」
「おいレジ〜、全然進まねーぞ」
「あ、痛っ」
人と人が、ぶつかるように止まる。
トレーの上のパンが少しずつ冷めていく。
「すみません、少々お待ちください!」
「次の方、こちらどうぞ……
あ、違う、そっちじゃなくて……」
店員の声が重なる。動いているのに流れない。
焼き上がったパンは尚も運ばれ、人の波が分断され、その隙に、また止まる。
何が悪いのか、誰も分からないまま、
忙しさだけがどんどん積み上がっていく。
「うわぁ〜!もうてんやわんやだ。誰か助けてくれ〜!」
店主がそう叫んだ時、入口の近くに一つの人影があった。
黒髪の少女が、静かに店の中を見ている。

誰にも声はかけない。ただ、店内の様子を一度だけぐるっと見回すと、小さくつぶやいた。
「……詰まっていますね」
次の瞬間。
店内に一筋の風が走った。

トレー置き場の位置が、ほんの少し変わる。
入口と出口の向きが揃う。
袋詰めの場所が、少しだけずれる。
自然と並び列が一本に整っていく。
最初に変わったのは、ひとりの客。
立ち止まっていた足が、一歩前に進む。
「あれ……?」
それにつられて、後ろも動く。
止まっていた列が、少しずつ動きだした。
「あ……進んだ」
その様子に店員たちは思わず息を飲んだ。
人々が動き出す。さっきまでの混雑が嘘のように、客は迷うこともなく、ぶつかり合いもしない。
渋滞はみるみるうちに解消されていった。
唖然とした店主が口を開いた。
「……き、君は天使か何かか?」

黒髪の少女は表情一つ変えずに答える。
「ただのメイドです」
店の後ろからスタッフの声が飛んだ。
「本日は完売でーす!」
「……え?」
店主が振り返る。
見ると、棚はほぼ空になっていた。
店主はもう一度入口の方を見る。
そこに少女の姿はもう無かった。
その日、街ではまた一つ噂が増えた。
──“パン屋に、黒髪の天使が現れたらしい”。
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