照れくさそうに見続けた父
私は、こんな光景を見た記憶がある。
駅へ向かう歩道を、幼い女の子がカートを押しながら歩いている。
時折転びそうになったり、左右にふらつきながら、それでも歩むのをやめずに進んでいく。
その息遣いが聞こえるような距離で、父親が見守るように歩いていた。
まるで似ていないが、娘を見つめる距離が似ている。
父とまだ幼かった妹の姿だ。
父は私と男同士の会話に徹していたようだ。
小学生の時は、風呂場で私の髪の毛を切りながら、母が買い物で父と二人きりになったときなど、笑いを交えながら話した。
どんな話でも「俺のようになるな」という締めだった。
視線を外して、遠い目で会話が終わることが多かった。
妹に対しては、不器用だった。
娘とどう付き合えばいいのか、わからなかったのかもしれない。
ただそれが絶妙な距離感を生んだ。
妹が幼かったときでも、自ら抱き上げるようなことはしなかったが、来ることは拒まなかった。
膝の上に乗ってくれば、どかすこともない。
手を出されれば、つなぐものの、どこか照れくさそうだった。
どこの家庭でも、父親は息子よりも娘に甘いのかもしれない。
妹が座って食事をとるようになると、我が家はテーブルと椅子の生活に変わった。
正座をして膝が出ると、かっこ悪くなるという理屈だった。
妹は、少し高めのテーブルに顔だけをのぞかせて、ご飯粒を頬につけて笑っていた。
言葉にも違いはあった。
「男は顔じゃない。中身だ」と言いつつ、
「俺は顔がいいけど、お前は中身で勝負」とからかうように笑った。
妹には、友達がかわいいといわれていじけて涙ぐんでいるのを見ると、
「今はいいんだ。大人になってキレイになればいい。かわいくなるぞ」
と励ましの言葉をかけていた。
まだ子供だった私は、接し方の違いに、少し腹を立てたことを思い出す。
父親似の妹は、やがて周りからキレイだといわれるようになった。
父は当然心配していたが、それを妹に悟られることを嫌がった。
高校生になり、妹の帰りが遅くなると母に、
「まだ帰ってこないのか?何時ぐらいに帰ってくるといってた?」
と何度もイラついているような声で聞いていた。
ただ妹が帰ってくると、注意をする母の横で笑っていた。
会社帰りの父と学校から帰宅する妹が、同じ電車になった日があった。
そして私に「いい女がいるな…と思ったら、自分の娘だった」と笑った。
同僚にも言ったというのだから、苦笑いを返すしかなかった。
妹が高校三年生になると、成人式の話をしだした。
「個性的な着物の方が合う」
とカタログを集めながら、妹に勧めていた。
ただ成人式どころか、高校の卒業式を見ることもなく、父は逝ってしまった。
父が亡くなり、遺品の整理をしていた時だった。
お菓子の缶の中に、キャラクターの絵がついた古い封筒が入っていた。
封筒には、バラバラの大きさの文字で、
「たんじょうびおめでとう」
と書いてあった。
父がその手紙を読みながら、自室の隅で背中を震わせていたことを思い出した。
『パパへ。いつまでも元気でいてね。お酒を飲みすぎないようにね』
鉛筆で書かれた幼い文字、「お酒」を「お配」と書き間違えていた。
父は当時、この文字を滲んで読めなかったのかもしれない。
いや、そんなことはどうでもよかったのだろう。
気が付くと、私は部屋の隅にしゃがみ、あの時の父と同じように背中を揺らした。
そしてその手紙とともに入っていた一枚の写真。
もっとも密接な時間を過ごした、鼻水を垂らした妹。
父が一番見ていた笑顔だ。
妹がいずれ距離を取る日が来たときを思い、写真を残していたのかもしれない。
ただ妹に反抗期はなかった。
高校生になってもまとわりついてくる妹に戸惑い、
「こっちが恥ずかしいよ」
とそれでもうれしそうにしていた。
たどたどしい足取りで歩き、鼻の下を”カピカピ”にしている妹。
良い関係のまま、父と妹は親子関係を終えた。
駅が近づき歩道が広くなったところで、私はたどたどしく歩く女の子を抜いた。
息を切らし、汗を少しかきながら、それでも前へ少しずつ進んでいく幼い女の子。
その後ろを歩く、父親は黙ってそれを見ている。
幼い女の子の足取りだけでなく、この関係性に惹かれて目に留まったのがわかった。
父はいつも、横でも前でもなく、後ろから妹を見ていた。
父の目に映った妹は、いつまでも鼻水を垂らした幼子のままだ。
今も鼻水は止まらないらしい。
父に似た目を花粉症で腫らして、
「行ってきます」
と鼻声で言い、仕事へ行くため、ドアの向こうに消えた。
※一本ずつ独立したエッセイ。以下はテーマが同じもののリンクです。」
父についての連作エッセイ①
逃げ場所は映画館
父についての連作エッセイ②
観覧車のあるビル
父についての連作エッセイ③
星は威張らない
父についての連作エッセイ⑤
”いい男”が墓参りに来なくなった日
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