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写真にとっての”余白”とは。

写真の余白について考えることがある。

余白というと、何も写っていない空間のことを思い浮かべる人も多いと思うけど、たぶんそれだけじゃない。

むしろ、ちゃんと写っているのに
説明しきれない部分のことを指している気がする。

分かりやすい写真は、すぐに理解できる。
構図も整っていて、光も計算されていて、意図もはっきりしている。

”ちゃんと良い”

でも、そういう写真ばかり見ていると、少し疲れる時がある。

どこをどう見ればいいのかが決まりすぎていて、自分が入り込む余地がない。

一方で、少し曖昧な写真は見ていて立ち止まる。

何がいいのかはうまく言葉にできない。
たぶんする必要もない。
そしてなぜか気になる。

視線の置き場所が一つに決まらなかったり、
光の当たり方がどこか中途半端だったり、
色が完璧に整っていなかったり。

そういう“足りなさ”がある写真は、見る側に少しだけ委ねてくる。

どう感じるかを、完全には決めてこない。

その余地が、余白なんだと思う。


余白がある写真は、見るスピードが少し遅くなる。

一瞬で理解するんじゃなくて、少し時間をかけて馴染んでくる。
その中で、自分の記憶や感覚が混ざっていく。

だから、写真を見ているというより、自分の中で何かが動いている感覚になる。

最近は、できるだけ決めすぎないようにしている。

整えすぎない。分かりやすくしすぎない。綺麗に撮らない。

特に色は、その影響が大きい気がしている。少しだけ抑えたり、少しだけ外したりするだけで、写真の意味が固定されすぎなくなる。

ただ、ここは感覚だけでやると難しい。

自分の中ではある程度「こういう方向に寄せる」という設定を作っていて、そこに任せることも多い。

その方が、やりすぎずに済む。

そのためのフィルムシミュレーションだったりする。
ある程度の方向性だけ決めておく。

でも決めすぎずに、目の前の景色に身を委ねてみる。
綺麗じゃなくても良い。と言葉にしてみる。

その心のゆとり、みたいなものがものの見事に写真には写るのだ。

みなさんはどう思いますか?

写真にとっての余白とは・・・。





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中澤紘大 ||写真家 サポートありがとうございます。今後の写真活動の資金にしていきたいと思っております。写真を通して”幸せを目に見える形に”していきます。

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