写真は自分の写し鏡。FUJIFILMユーザーの世界に嫉妬し、惹かれる理由。
ある日、SNSを眺めていて、ふと感じた。
FUJIFILMユーザーの写真には、“その人だけの世界の切り撮り方”が明確に存在する。綺麗な色の裏にある感情や、柔らかさの中に潜む強さ。
どうしてこんなに惹かれるんだろう。

FUJIFILMユーザーを眺めていると、「感性が鋭い人が多いなぁ」と、ふと感じる瞬間がある。自分の世界があって、好きなものがあって、まるで“身体・五感全部を使って写真を楽しんでいる”ような人たち。
SNSで見ているだけでも伝わる。
色に触れて、空気に触れて、その場の温度や湿度まで写し込もうとしている。専門用語よりも、“気持ち”が先にあるような写真。
同じ風景を見てもFUJIFILMユーザーが撮ると、なぜか「そこにあるはずの物語」が濃くなるような気がしてくる。コントラストや色味が映えるから、という単純な話ではなくて、その人が持つ人生観みたいなものが写り込む。
「こんな風に世界が見えてるのかぁ」と思うと、心のどこで羨ましさがこみ上げる。ちょっと嫉妬。
自分の世界の“切り撮り方”がそのまま作品になる。自分の“美しさの基準”が写真という形で具現化する。それを体現している人たちが多い気がする。

でも、そこに漂う世界観は決して「きれいごと」だけではないと思う。
綺麗な光を知っている人は、同じだけ“汚れた影”も見てきている。
優しい色を好きな人は、優しさが欲しかった時期を知っている。柔らかい世界を撮る人ほど、心が固くなった経験をどこかで持っている。
だからこそ、あの絶妙なニュアンスを写せる。
写真における“綺麗”って、ただ発色が良いとか、肌がきれいとか、そういう表面的な話じゃない。
写真家自身が「綺麗ではない部分」を知っていて、それを乗り越えたり、抱えたまま生きていたりするからこそ、一枚の写真に深みが宿るんじゃないかな。

FUJIFILMユーザーの写真には・・その影と光のバランスが妙にうまく混ざっている。
少しの切なさ。ほんのりした温度。柔らかさの裏に隠れた強さ。
画面の外に“人の生活の匂い”が残っているような感覚。
僕が感じているのは、「色の綺麗さ」ではなく、「世界の見え方の綺麗さ」なんだと思う。
FUJIFILMのカメラは、単なる撮影機材じゃない気さえしてくる・・。
色を選ぶという行為は、“自分の世界をどう表現するか”という選択そのもの。フィルムシミュレーションを選ぶたびに、その人の価値観がにじみ出る。
どんな人生を歩んできたのか、
何を大切にしているのか、
何に美しさを感じるのか。
人は写真に嘘をつけない。
その人の“本当の世界”が出てしまうのだと思う。僕はその世界を、もっと知りたい。もっと見てみたい。
| こちらの記事もおススメ!
いいなと思ったら応援しよう!
サポートありがとうございます。今後の写真活動の資金にしていきたいと思っております。写真を通して”幸せを目に見える形に”していきます。